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Beerかた手に独り言

建築とJAZZと酒をこよなく愛するオヤジの想い

【ミズーリの空高く】

2009-03-31 | JAZZ・コンサート


私のお気に入りのアルバムのひとつ『beyond the Missouri Sky』




「チャリー・ヘイデン」と「パット・メセニー」により、1997年に
「ヴァーヴ」レーベルから発売されたアコースティクなデュオアルバムです。

何故かお決まりの「ECM」レーベルでない所も、ベースとギターの弦楽器同士
のアンサンブルと言う変り種のアルバム。

初めて聴いた時の、パット・メセニーのギターの弦が指で弾じかれた時の音圧を
感じるクリアーな音とチャーリー・ヘイデンのゆったりとしたベースの胴鳴り音
に背中がゾクゾクしたのを覚えています。

このアルバムは二人の故郷である、「ミズーリ」がテーマになっているのですが、
二人のシンプルで深い音の重なりは、まるで雄大な大地をゆったり流れる風のようです。



チャーリー・ヘイデンの決して多くを語り過ぎないシンプルで深い音に、
良く「印象派的音楽」と称される、パット・メセニーのアコースティック
ギターが重なり、優しく、温かくメロディーを歌い上げ、とにかく美しい
アンサンブルで、独特な空気感が漂います。

このアルバムには3曲の映画音楽が収録されています。
ひとつはオードリー・ヘップバーン主演の『いつも二人で』の中から、
「Tow for the Road」と言うヘンリー・マンシー二のとても美しいバラード、
後の2曲は私の大好きな映画『ニュー・シネマ・パラダイス』からエンニオ・モリコーネ
親子の「愛のテーマ」と「メインテーマ」です。

今迄、何度となく聴いてきましたが、聴くたびにこの二人の奏でるシンプルでありながら
深い音の世界に引き込まれてしまうのですが、いつも聴きながら実際に「ミズーリ」の
大地の空の下で聴いたらどんな感じだろうなどと想像してしまいます。



そう言えば昔~し、オーディオ仲間と野原でスピーカーを鳴らしたらどんな
風に聞こえるのか実験した事があるのですが、反射音がない分幾らでもボリューム
が上がり、ついには「ブッ」と言う音と共にスピーカーがパンクしてしまった
のを思い出しました。

そんな馬鹿げた事も、「やって見ないと分からない」などと、真剣になって
色々やった事に今は苦笑いをしてしまいますが、どれもこれも懐かしい思い出です。






【BOP 復活】

2008-07-21 | JAZZ・コンサート

先日、大変嬉しいニュースが届きました。

今年の春に上階の火災で被災し、店を閉めていたあのJAZZ喫茶の名門『BOP』が、
場所を替えて営業を始めたと言うのです。

火事のニュースは、 とてもショックでした。
上階の火事? 店は地下!!、直ぐさま「水没」と言う事が頭をよぎりましたが、
御夫婦やオーディオ、レコードは無事と聞き安心しました。

『BOP』は来年、40周年を迎えます。
この間、『BOP』の果たした功績は絶大であり、函館におけるJAZZ、いや日本の
JAZZの歴史そのものといっても過言ではありません。

何よりもびっしり書込まれた「あのドアのサイン」がそれを物語り、まさしく函館の
文化そのものと言えるものです。

もう既に前の店があった建物は取り壊されてしまいました。

あの時代、あの空間で生き、本物のJAZZを聴けた事を私はとても幸せに思います。

そんな『BOP』には時代を越え,JAZZ MENを含め日本中にファンがいて、被災後には
色々な所から励ましが届いたそうです。

今は、函館を離れたファンの方が全国のファンの為に店の近況報告と応援の為のサイトを
立ち上げています。
    
           http://yaplog.jp/bop/


昨日、探しながら訪れたその店は、ドアを開けると相変わらずのセンスの良い音楽が・・
時間も場所も店も違いますが、やはり変わらず『BOP』でした。

そのコーヒーは、少しほろ苦い味がしました。



【Dear Mr. EVANS,】

2007-09-15 | JAZZ・コンサート
 

今年もまた9月15日になりました。

そう、27回目のあなたが亡くなった日です。
1980年のこの日は私達にとって忘れ得ぬ日となりました。

あの日は夜遅く仕事から帰って新聞で知ったあなたの訃報でした。
それは余りに突然で私達には信じがたい出来事でした。

セント・ピータース教会で行われたあなたの葬儀には、沢山のジャズメン
やファンが参列し、それはそれは盛大な葬儀でいかにあなたが、世界中の人々に
愛されていたかを知る事になりました。

そう~ あなたのアルバムを始めて聴いたのは高校二年の秋、BOPと言う
ジャズ喫茶でした。

確か、「Sunday At The Village Vanguard」

その次ぎが「Waltz For Debby」でした。

あなたが姪のデビーの為に作ったとても可愛らしい素敵な曲ですが、
レコードジャケットのイメージ、あれはデビーのシルエット
なのでしょうか?

始めて聴いた時は、あなたとスコットとポールの演奏もさる事ながら、
客席のざわめきやグラスの触れる音が本当にリアルでまるで
「Village Vanguard」にいるようでした。

このアルバムは録音が素晴らしいのでオーディオのチェックソースと
して、今でも良く聴いています。

あなたの音楽を解らない人達は、「高級なBGM」などと陰口を叩いていますが
それはとんでもない誤解です!

自分の音楽に対する真摯な姿勢とその崇高なまでの精神は、全ての演奏に
現れています。

それにあなたは一時も、音楽的成長を止めないでアルバムを創り続けたし、トリオ
以外での活動も積極的にしていました。
ジム・ホール、スタン・ゲッツ、ジェレミー・スタイグ、ハービー・マン、
トゥーツ・シールマンズ、リー・コニッツなど・・・
モニカやトニーとのアルバムは私のお気に入りです。

私はあなたのアルバムには駄作は無いと思っている一人です。

76年の三度目の来日公演、私があなたの演奏を生で聴いた最初で最後の
コンサートでした。
演奏内容から体調が思わしくなかったのは分りましたが、あなたの演奏を始めて
生で聴けた事だけで私は満足でした。

今思えば、あなたの身体はあの頃から既に酒とヘロインに犯されていたのですね。
やはりエレインやお兄さんのハリーの死が影響しているのでしょうか?
あの頃のあなたは、まるで死に急いでいるようにしか思えませんでした。


あなたが亡くなった後、「CONSECRATION ~THE LAST」と言うアルバムが出ました。

あなたの演奏は1980年の9月10日の「ファット・チューズデイ」が最期ですが、
その前の週の「キーストン・コーナー」での演奏が録音されていたのです!

最初に聴いた時は背中に電流が走り、それは鬼気迫る素晴らしい演奏でした。
決して、亡くなる一週間前と言うセンチメンタルな気持からではありません。

中でも「マイ・ロマンス」は燃え尽きてしまうようで、何度聴いても目頭が
熱くなってしまいます。

やはりあなたは、自分の死期を悟っていたのですね。

だから周囲の説得にも関わらず治療を拒否し続けて、最後の最期まで執念で
演奏を続ける事でピアニストとしての人生に、或いは自分の音楽にけじめを
付けたように思えてなりません。

最近はジャズを取り巻く環境も大きく様変わりをし、ビジネスとしては日本
はもちろん、本場のアメリカでさえ大変厳しい状況になってしまいました。

あなたの最期の演奏場所となってしまったあのジャズクラブ
「ファット・チューズデイ」も「キーストン・コーナー」も
今はもうありません。

あなたは亡くなってしましたが、あなたの【ジャズ・スピリッツ】は、あなたが
残してくれたアルバムを通じていつまでも私達の心の中で生き続けています。


  ・・・願いが叶うなら、あなたの弾くバッハを聴いてみたかった・・・




【幸せな夜】

2007-06-04 | JAZZ・コンサート
先日、何年かぶりに最高なコンサートと出逢う事が出来ました。
【中本マリJAZZ WAVE】とタイトルされたコンサート。

会場は函館の金森ホール、ちょっと早く着いた時間はとても美しい港の夕暮れで,
中に入るとちらほら顔見知りの姿があり、一番前のセンターテーブルに座りました。

    中本マリ    (Vocal)

大石 学トリオ
      大石 学 (Piano)
       米木康志 (Bass)
        原 大力 (Drums)

高槻ジャズストリートでの評判を聞いていて、同じメンバーと言う事で
楽しみにしていました。

うかつにもオープニングの第一声でノックアウトされてしまいました。

変わらないちょっとハスキーな伸びのある声、抑制の効いた低域からの歌い出し、
それは珠玉のバラードでの幕開けでした。

背中には電流が走り、目には涙、〈やられたと!〉・・・参りました!
こんな事は滅多にないのです!

大石トリオ演奏は生で始めて聴きましたが、三年程前から中本さんと
コンサート活動をしているらしく息もピッタリで、中本さんのリードによる
インプロヴィゼーションは素晴らしく中々の実力で、トリオとしての音楽性
も感じる事ができました。

元々函館でのコンサートはスケジュールには無く、Bassの米木さんが函館出身と
言う事もあり、伊達と札幌でのコンサートの前に急きょ決まったようです。

彼女のアルバムに【アフロディーテの祈り】(画像)と言うアルバムがあります。

1979年にロンドンでロイヤルフィルハーモニーオーケストラをバックに歌った
物で、ジャニス・イヤンやスティービー・ワンダー、ミシェル・ルグラン等が曲を
提供しています。

三木敏悟によるオーケストレーションが素晴らしく,神秘的な彼女の歌声がとても
印象的な作品で、私のお気に入りの一枚でもあります。

今回のコンサートを聴いて思うのは、彼女の音楽に対する真摯な姿勢は昔も還暦
を過ぎた今も、まったくぶれていないと言う事です。
それは昨今の形だけのJAZZに対するアンチテーゼであるとともに、本当のJAZZの
『魂』を強く感じました。

唯一気になったのは、ホールのPAです。
ボーカル用のモニタースピーカーの位置が問題で、彼女のマイクがその
モニタースピーカーの音を拾ってしまい、苦笑しながら自分の耳に手を当て声量を
調整しながら歌っていた。

さすが~・・・と感心しつつも、ホールの音響担当者に本当に腹が立った。

歌い手にそんな気使いをさせるなんて・・・情けない!!

とは言え内容的には大満足。
アンコールのPA無しでの【テネシー・ワルツ】は自信がなければ到底出来ない事
で、本当にハートにしみ入る歌でした。

コンサートが終わり会場を出て見上げた夜空には満月、真直ぐ帰る気になれず
余韻を楽しみつつ歩きながら、足はいつしかお気に入りのBARへ向っていました。

本当に忘れられない幸せな夜でした。





【three blind mice】

2007-05-15 | JAZZ・コンサート
このアルバム【MIDNIGHT SUGAR】は私のお気に入りのアルバムの一つで山本剛の
ピアノトリオを代表する作品でもあり、日本を代表するJAZZレーベル
【three blind mice】から1974年3月に発売されたものです。

名プロデューサー、藤井武 氏と凄腕レコーディング エンジニアの神成芳彦 氏
の名コンビによって製作された物で、パーソネルは

      山本 剛   (ピアノ)
      福井 五十雄 (ベース)
      小原 哲次郎 (ドラムス)

      と言うメンバーです。

山本剛のブルースフィーリング溢れるそのピアノによって、インスパイア
されたベースとドラムのサポートがまた素晴らしい、渾身の一枚です。

2曲目に納められた【I'm A Fool TO Want You】はシナトラなどの歌で有名な
スローバラードですが、リリカルな山本剛の一面を最も強く感じる演奏です。

そのピアノのから放たれる音は脳天を突き抜けるような研澄まされた強烈な音で、
発売当時は、オーディオファイルの間でも大変話題になりました。
実際、私の所でもこの脳天を突き抜けるピアノが聴きたくて、オーディオ装置の
チューニングに精を出したものでした。

私も当初よりオーディオのチェックソースとして聴いて来ましたが何度聴いても
神成芳彦 氏の手によるこのストレートな音は本当に凄いものがあります。

このJAZZレーベル【three blind mice】は1970年に日本のジャズの育成と
発展を目的に藤井武 氏によって設立されたのですが、メジャーレーベル
のような売れるための企画ではなく、プレイヤー本意の企画で有名でした。

それゆえ、説得力のある演奏と音には毎回シビレタものです。

それは真に日本のジャズが一番元気だった時代、【スリー・ブラインド・マイス】
の歴史はまさに、日本のジャズの歴史と言っても過言ではありまん。

36年に渡って日本のジャズに貢献して来た【TBM スリー・ブラインド・マイス】
ですが、残念ながら昨年、2006年4月に廃盤になってしまいました。

残念で残念でなりません!

これも時代の流れなのでしょうかね~?

その後ソニーミュージックが版権を譲り受け、売れ筋の物をハイブリットCD
として発売しているようです。

藤井さんの話では、体勢を整えてまた復活させると言う事ですが一日も早い
復活を願って止みません。

【TBM スリー・ブラインド・マイス】そこには日本のJAZZの魂が有ります。

      

【You Must Believe In Spring】

2007-02-13 | JAZZ・コンサート
先日、伯父の葬儀に向う道すがら峠の木々を見ていてふと、このアルバムを思い
出しました。

私が最も敬愛するピアニスト、Bill Evans(1929-1980)がピアノトリオで1977年に
録音し、彼の死後追悼盤として発売されたもので、お気に入りの一枚でもあります。
  Bill Evans   (piano)
  Eddie Gomez (bass)
  Eliot Zigmund(drums)
と言うメンバーで後期のBill Evans Trioの名盤だと私は思っています。
一曲目の「B Minor Waltz」は亡き妻エレインに四曲目の「We Will Meet Again」
は亡くなった、兄のハリーに捧げられた曲です。

アルバムタイトルにもなっている【You Must Believe In Spring】と言う曲は
JAZZピアノの名手でもあるミシェル・ルグランがカトリーヌ・ドヌーブ主演の
フランス映画【ロシュフォールの恋人たち】の挿入歌として書き下ろしたもので
メロディーの大変美しい曲です。
1976年にエヴァンスとトニー・ベネットのデュオアルバム【Together Again】の中
でも演奏されていますが、Evans自身お気に入りの曲だったようです。

彼の演奏はよく「リリシズム」と言う言葉だけでかたずけられてしまいがちですが、
彼の持つ内なる世界で昇華された音楽はただ叙情的と言う言葉で表わすにはあまりに
も激しく凄みさえ感じてしまいます。
特に後期の亡くなる前の数年間の演奏は研ぎ澄まされていて悲壮感さえ覚えて
しまいます。
立上がりの鋭い鍵盤離れの良いその音は、一瞬煌めいては空間に消えて行きます。
その余りに美しい音だけに、そこの叙情的な所だけに目がいってしまい彼の内面
が持つ自身の音楽に対する本当の厳しさや激しさは中々理解されないようです。

まだ学生だった1976年一月、郵便貯金会館での三度目の来日公演、これが私が聴
いた最初で最期のコンサートで、うつむいてピアノに向っていた髭モジャの顔を
今も覚えています。

葬儀からの帰り道、ステアリングを握りながら自分が彼の亡くなった時の年齢に
なった事に気づき、少し複雑な気持で家路に着きました。


【アスペクト・イン・ジャズ】

2006-11-28 | JAZZ・コンサート
東京でデザインを学んでいた頃の話しです。
FM東京の深夜番組に【アスペクト・イン・ジャズ(1973~1979)】と言う番組が
有りました。

私の敬愛するJAZZ評論家、油井正一さんがパーソナリティーを務めていた番組で
記憶では毎週火曜日の深夜、1:00~3:00だったと思います。

テーマ曲にジェリー・マリガンの【ナイト・ライツ】と言うアルバムの
中の【プレリュード・イン・マイナー】が使われています。

元々は【ショパン24の前奏曲(プレリュード)第四番ホ短調】なのですが、
ボサノバに仕上っていてマリガンのバリトンサックスの音が漆黒の夜を連想させ
美しい素敵な曲になっています。

番組の前半は主に新譜紹介、後半は特集などで構成されています。
油井さんのちょっと講談調の語り口が好きで毎週、課題に追われながらも楽しみ
に聴いていました。

三畳の部屋でいつもヘッドホーンで聴いていたのですが・・・ある時、なにかの
拍子にジャックが外れたらしく隣の住人に大目玉をくらった事を覚えています。
無理もありませんネ!! かなりな音量!!さらに夜中の2時でしたから。

油井正一さんは私がJAZZを聴き始めてから一番信頼出来た評論家で、私に
とっては真にJAZZの世界の羅針盤的な存在でした。

昨今の【好み論的】評価をする人達とは違い、誰にでも公平な真の評論家でした。

スイングジャーナルの新譜紹介で自分がこれは良いと思っていたアルバムに油井さん
が★★★を沢山付けてくれた時等はニンマリとしたものです。

そんな敬愛する油井正一さんも1998年79歳でこの世を去りました。

油井さんのお陰で大分耳が鍛えられ、評論家の皆さんのお力を必要と
しなくなりましたので、それからは雑誌の購読も止めてしまいました。

情報では衛生デジタルラジオ(ミュージックバード)で先月から
アスペクト・イン・ジャズの再放送を始めたようです。

懐かしくてちょっと、聴いてみたい気がしています。







【タイムスリップ】

2006-10-27 | JAZZ・コンサート
雑誌【男の隠れ家】11月号で<ジャズを巡る旅>と言う特集が組まれていて、
懐かしいジャズの香りが一杯詰まっています。

全国のジャズ喫茶やジャズクラブなどが載っていてジャズファンにはたまらない
内容です。

東京にいた頃通った店なども載っていて、懐かしさで胸が一杯になりました。
その中に高校生の頃通っていた函館のJAZZ喫茶【BOP】が載っていて、
たまらなくなり先日、意を決して行って来ました。

20年振りです。

毎日仕事に追われある程度自由になるお金を得て、レコードもある程度買える
様になりそれなりのオーディオも手に入れ、コーヒーが酒へと変わり自然と店
との距離も遠くなり、いつしか近くて遠い場所になっていました。

この20年の空白はそう言った申し訳なさかもしれません。

地下への階段を降りながら、懐かしさと恥ずかしさ、期待感と申し訳なさと
入り交じり複雑な気持でした。

ドアを開けて中へ入ると其処には、カウンター越しに人生を重ねたママの顔、
昔と変わらないコーヒーの香りとジャズの香りで一杯で、ただただ懐かしく
当時の記憶が脳裏に蘇り胸が熱くなってしまいました。

ジョン・コルトレーンのサインもトイレへと続くドアに描かれた沢山の有名
ジャズメンのサインも昔のまま、名機パラゴンは相変わらず良い音で鳴って
いて武田の【ジェントル・ノヴェンバー】は格別でした。

暫く話しをして店を出る頃には外はすっかり暗くなっていて、何だかそのまま
帰る気持になれず、足は自然と【オジンライム】へと向かっていました。

そんな、我が青春の【BOP】でした。







Gentle November

2006-10-23 | JAZZ・コンサート
もうすぐ十一月、 
この季節になると無性に聴きたくなる一枚のアルバムがあります。

1979に発売された【武田和命/ジェントル・ノヴェンバー】と言うアルバムで、
武田和命(ts)山下洋輔(p)国中勝男(b)森山威男(ds)と言うカルテットの
録音の良い素晴らしいバラード作品です。

彼は<幻のテナー>、<伝説のテナー>などと言われていましたが、それは
1966年暮、伝説になっている新宿【ピットイン】でのエルビン・ジョーンズ
とのセッションの後、10年ほどJAZZの世界から姿を消していたからなのです。

一説によれば、雑誌【スイング・ジャーナル】のその時の批評記事の内容が原因
ではないかと言われています。

まさに復帰第一作となるこのアルバム、誰も吹けないと言われる程、厚く硬い
リードによって演奏されるその音は、深く、厳しく、優しい、
まさしく【魂の音】です。

復帰した彼の函館でのコンサートは今でも覚えています。
山下洋輔(p)武田和命(ts)国中勝男(b)小山彰太(d)
センターマイクに着いた彼は、背が高く真っ白なシャツに黒いサングラスと言う
いでたちで、一曲目にリードから放たれたその音は今迄聴いた事がない【魂の音】
のテナーサックスでした。

そんな彼も様々な逸話を残して、1989年8月18日喉にできた癌の為49歳の
若さで此の世を去りました。

彼が11月が好きだった事から名付けられたこのアルバムタイトル。
これを聴く度に私には、【ジョン・コルトレーン/バラッズ】が霞んでしまいます。

そんな、泣けて来る【魂の音】、珠玉のバラードです。


JAZZ喫茶

2006-10-11 | JAZZ・コンサート
遠~い、昔の話しです。

私が本格的にJAZZを聴き始めた1972年当時、函館にも数軒のJAZZ喫茶が
ありました。

函館山の山麓には【想苑】、松風町には【エアリー】と【ゲート】、本町
には【BOP】が、柏木町には【アルフィー】と言う店がありました。
皆それぞれ、オーディオ装置なども違い個性的な店でした。

その当時お金の無い高校生の私にとってJAZZの新譜(レコード)を聴く手段は
ラジオ(NHK-FM)かJAZZ喫茶しか無く、下宿からも近かった事もあり、もっぱら
【BOP】に通っていました。

学校から帰り、私服に着替えポケットに煙草を忍ばせ、歩いて向かったものです。
店のドアを開け地下へと続く階段は、大人の世界への入口のようでワクワク
したものです。

そこは御夫婦でやっていて、店内で話しをすると叱られる事で有名でした。

自分の聴きたいレコードをアーチスト別に分類されたリストから選び、メモ用紙に
書き、リクエストしたり、スイングジャーナルと言うJAZZの月刊誌を暗がりの中
むさぼる様に読んだりで、コーヒー一杯で何時間も粘っていました。

今にして思えば、あの頃が一番JAZZが元気だった時代かもしれませんね~・・・

函館にいて【BOP】にも行ってみたいと思いつつ、中々ドアを開けられずに二十年が
過ぎてしまいました。

そんな、我が青春のJAZZ喫茶です。








ダラー・ブランドの思い出

2006-10-05 | JAZZ・コンサート

1974年だったと思います。

【アフリカン・ピアノ】と言うアルバムで脚光を浴びていた、アフリカ
出身のJAZZピアニスト ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)
のコンサートがJAZZ喫茶【BOP】の主催で開かれました。

ステージに現れた彼は、背が高くとても神経質そうな印象でした。
そんな彼がコンサートが始まりしばらくすると、演奏を止めて舞台袖に引っ込
んでしまったのです。

理由は私の耳もとで写真を撮っていた、新聞記者のカメラのシャッター音が
原因でした。
静まりかえった会場の中でのシャッター音、彼は相当気になっていたようです。

その後、気を取り戻した彼の演奏は素晴らしい内容でした。

コンサートが終わり、常連達が【BOP】に集まり色々、話しをしている所に
彼がマスターと一緒にやって来たのです。

みんなが盛り上がったのは言うまでもありません。
暫くすると、彼は立上がり店のピアノを引き始めたのでした。

デューク・エリントンの名曲、【メモリーズ・オブ・ユー】と
【テイク・ジ・Aトレイン】の二曲

その曲は泣けてきそうな程、美しい演奏でした。

翌日、見送りに空港までいき最後に握手をしたその、黒く大きな手
はいまでも覚えています。




久しぶりに今夜は【Ode to Duke Ellington(デークエリントンに捧ぐ)】から
In a Sentimental Mood で行きましょう。
   
        泣ける位、美しい演奏です!





リターン トゥー フォーエヴァー

2006-09-26 | JAZZ・コンサート
久々の休日、思い立ってCDの整理を始めた時に目に留った思出の
アルバムです。

ジャズピアニスト、チックコリアの演奏で1972年9月にポリドールレコード
から、ECMレーベルで発売されたものでかの名プロデューサー、
マンフレートアイヒャーの手によるものです。
もちろん当時はアナログレコードです。
(CDのジャケットは小さくてつまらないです)

解説も敬愛する、今は亡きJAZZ評論家の油井正一さんによる名解説でNHK-FM
で始めて聴いたその、エレクトリックなその演奏は背筋がゾクッと
したのを覚えています。

このアルバムに出逢った事がきっかけで本格的にJAZZの世界に興味を持つ事に
なり、少しでも良い音で聴きたいと思う様になり、オーディオの世界にも足を
踏み入れる事にもなるのでした。

お陰で今はこのオーディオの趣味は仕事で大変役立っています。


あれから34年、今聴いても古さなど微塵も感じさせない演奏とジャケットデザイン
の大変素晴らしいアルバムです。

と言う訳でその日の作業はそこでストップ!
その後はビール片手にCDコンサートになってしまった事は言うまでもありません。

伝説のコンサート

2006-09-26 | JAZZ・コンサート
この間、テレビで岡本太郎の巨大壁画の除幕式の模様が中継されていて、
ジャズピアニストの山下洋輔が演奏していました。

大分、昔の話しです。
あれは、高校の2年の秋頃だったと思います。
台風で凄い嵐の夜でした。

場所は函館の【バップ】と言う全国的に有名なジャズ喫茶で、メンバーは
山下洋輔(ピアノ)、森山威男(ドラム)、坂田明(アルトサックス)と言う
最強トリオで、私は坂田明の真ん前で渡辺力の紐椅子に座って、金縛りにあった
様に聴いていました。

その当時の山下洋輔はピアノに火を着けて演奏したり、拳や肘打ちを繰り出し
ての演奏スタイルであちらこちらの演奏会場のピアノを壊していました。
挙げ句には、コンサート会場を貸さない所まで出ていました。
案のじょう、【バップ】のアップライトピアノもピンピン音を立てて弦が
切れていました。

この夜のコンサートの事は彼も著書の中で書いていますが、ファンの中では
伝説になっています。
本当に天候も内容も凄いコンサートで店を出てから傘もさす気になれず、
ずぶ濡れになって下宿に帰ったのを覚えています。

最近はCDショップに行っても、売り場はどんどん縮少され、好きなアーチスト
はどんどん亡くなってしまい、JAZZを愛する者としては少々寂しい思い
をしています。

いつかまた、最高のコンサートに出会える事を期待しつつ、
今夜はBill Evansで行きましょう。