明日がはじまるとき

事業仕分け 議論の向こうに明日がある

役所に支払うお金

2012-02-28 | 事業仕分け

政府や地方公共団体に支払うお金には、税、使用料や手数料、人によっては寄附、時として過料などがありますね。
 行政法の授業で習ったかすかな記憶をたどり、息子の教科書もひっくり返し…

この過料(かりょう、あやまちりょうとも言いますね)とは、金銭を徴収する制裁の一つなので、金銭罰ではありますが、罰金や科料とちがって、刑罰ではないんです。大きく区分すると、秩序罰としての過料、執行罰としての過料、懲戒罰としての過料があります。
どれをとっても、過料は刑罰ではないので、刑法総則・刑事訴訟法が適用されません。

だから、というわけではないのでしょうが、ちょっとくらい違反したって少額の支払いで済んでしまう、というモラルハザードが起きる可能性も指摘されますよね。

 ある研究者の本で読んだのですが、「行動経済学」の分野で、行政が罰則をつけたとき、それは効果が表れるのか?という実験です。

ある保育園では、決められたお迎え時間があり、保護者は遅れると保育士等に迷惑がかかるから、なんとか遅刻しないように努力していたそうです。
そこで、いくつかの保育園に「遅刻したら少額の罰金」を導入してみたそうです。
罰金が嫌で遅刻者が減る=罰金は効果があるか否かの実験ですが、かえって遅刻者は増えてしまったそうです。
仮説では、「迷惑をかけて申し訳ない」という気持ちから、「お金を払えばやましくない」という気持ちに変わっていったのではないか、とありました。お金で時間を買うという商取引になってしまったかもしれません。

これが当てはまるなら、公共心や公益でバランスが取れていた仕組みに、市場取引が入り込むと、制裁が制裁でなくなってしまい効果がない、ということも起こるのでしょうか。

 ちょうどいま、「受益者負担」に関わる条例改正の議案が上程されています。そもそもは公平な砲受益者負担を達成するためですが、フリーライダーを排除することも1つの目的だったのです。
 が、制度のくぐり抜けも不可能ではない、お金を払えばOK、ということになりはしないか。
公共心をなくさない方策も、一方では必要だと感じています。


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