小諸市の事業仕分け、最後の事業は「市民まつり」
7月の「市民まつり・みこし」と、8月の「市民まつり・ドカンショ」
(小諸ドカンショを踊るもの)の2つ。
これは、昭和48年、日本が高度成長の真っただ中にあって、
団地が増え、地域の伝統的な祭りが姿を消してきたころに、
市民の宝ものとして作り上げたものだそうです。
年月がたち、現在はご多分にもれず、主体があいまいな実行委員会方式。
まつり当日の運営を行う市の職員は増える一方で、
参加者やスタッフはどこまで企画・運営に
責任を持って携わっているのか、と疑問が投げかけられました。
もちろん市民の方は一生懸命に「手伝って」くれますが、
「手伝う」のではなく、市民まつりなら「自ら実施する」のが
本来でしょう。
昔からの地域のまつりや神社の祭りでは
税金もかけず、住民自らがお金も時間もかけて
実施しているのに。
そもそも「主体」は誰か?ということを考えてほしいという
意見が多く出されました。
今となっては行政が「まつり」というイベントをやっているから
見に行くだけ、市民はお客様になってしまっているのです。
また、なまじ税金で実施するから、お金の流れや使い道を
とやかく言われてしまいます。
800円のお弁当が高いとか安いとか、
スタッフにもお茶を出すのか、とか・・・
が、そんな枝葉の事を取り上げ
窮屈なことを言っていたら、担い手はいなくなるでしょうね。
この事業は、市民のアイデンティティーをも考える
深い内容ですから、ほぼ1時間をかけての議論になりました。
市民判定人の結果は、市要改善が9人、
民間・市民自らが実施すべきが12人と拮抗しました。
楽しく、いつまでも心に残るまつりは
この市民まつりなのか
それとも、昔からの村まつり等なのか。
「文化」は長い時間をかけてごく自然に生まれてくるもので
行政が短期間で作れるものではないと思うのですが。
あなたのまちの祭りは、どうですか?
*ちなみに、まつりには
地域に昔から伝えられた伝統的なもの、
商業振興等が目的の興行的なもの、
上記のように、行政が主体となって始めた市民まつり
などがありますが、このような市民まつりは
昭和40年代後半頃から全国で流行り出したようですね。
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