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日々新たなり/日本語学2020

対話資料

2021-02-05 | 日本語学2020

話しことばの文型1


対話資料は録音を文字化している。その様子は、知る者のみ知る、つまり経験が語るところ、その難しさである。8時間分の文字化をしたことがあるので、この言及には研究の厳しさがある。

1960年、1963年の成果を待つまで、この話しことばの研究は、会話分析、談話分析と研究対象、分野を広げていく言語学にあって、国語学による先駆けである。
 会話分析 Conversation analysisは、1960年代のカリフォルニアで始まった社会学の研究領域
 談話分析discourse analysisまたは談話研究discourse studies、伝統的な言語学とは対照的に、談話分析は「文境界を越えた」言語使用の分析


現代日本語百科
話しことば 対話資料
2021-02-05 | 日本語文法


https://core.ac.uk/download/pdf/234725743.pdf
>われわれの文型研究が,従来の多くの文型研究に比べて特色づけられる点は,表現意図・構文の型・イントネーションの型の総合によって文型をとらえようとする
>文は統一体である。これを,表現意図と,成分の統合型すなわち構文の型と,音調の型すなわちイントネーション(特に,主として文末でとらえられるイントネーション)の型とに分析する。


文字化と訂補  録音資料の文字化をカナタイプの専門業者に依頼した。この専門業者が会議の速記録などを作る場合のやり方とちがった,忠実な文字化を,れわれは注文した。語のおきかえ,語形の修正,語順の変更,語の脱漏等は絶対に許されない。音声の不明瞭な箇所を推定で埋めるということも,じゅうぶん慎重になされなければならない。相づちの応答詞や遊びことばの類も,もらしてはならない。このようなことを厳重に.注文した。業者としては誠意をもって仕事をしてくれたことを,われわれは認めた。しかもなお,結果においては不十分のところが多く,われわれは自分の手でこれに厳密な訂補を加える作業を行なわざるをえなかった。これは作業量として非常に大きなものとなり,予定をかなり狂わせた。32年度に一応訂補を行なったが,33年度に性能のいいレシーバー(藤木電器KK製ダイナミック・レシーバーElega)を用いて再訂補を行なったが,資料作業のほとんど最後まで,その仕事が尾を引いた。
 正確な文字化の困難に,分析すると,二つの面がある。はやい速度で,しばしば予測されない形やくずれた形で出てくることばを,ありのままにおさえることのやりにくさと,不明瞭な音声の聞き取りのむずかしさとである。前者は,しかし,時間をかけて忠実に作業するということで克服できる。後者はなかなか手ごわい。やや不明瞭な部分については,同一材料が違う作業者によって別のものに聞き取られたり,時間を隔てて聞くと,同一作業者に同一材料が別のものに聞き取られたりすることが少なくない。そう思って聞けばそうも聞こえるということもある。要するに,作業者の生理的条件や心理的条件によって,かなり聞き取りが左右されるのである。こういう状況のため,聴取困難で切り捨てざるをえない部分があり,また,推定によってきめたところがあった。推定は,ふたり以上が何回か聞ぎ返してみて一致したところによった。性能のいいレシーバーで聞けば,静かな環境で録音器の音を外に流して聞くよりも,はるかに明瞭に聞き取られる。だが,それでもなお,ごれをなまのことばの聞き取りに比べれば,聞き取りの可能性はどれほどか落ちると思われる。それは,一つには,われわれが使う録音器の録音・再生の能力の限界による。また一つには,対話の場面に居あわせて話し手や場面に属する具体的な諸条件と照合してことばをとらえることができるとできないとの相違があろう。対話の場面に居あわせて聞く時は聞き取りやすいというのは.,話し手や場面に属する条件と照合することにより,推定が行なわれやすいのである。(もっとも,この
ことは,対話の場面に居あわせて聞く時は「わかりやすい」ということと全く同じではない。生活的な立場では,一般に,ことばの意味を聞き取ろうとする。その際は,ことばの形の細部まで一様に厳密に聞き取ろうという態度をもたない。音声不明瞭で聞き取れない部分があっても問題にならないところがある。こういう意味のわかりやすさと,ことばの形の聞き取りやすさとは別である。)とにかく,日常的な対話などの録音資料を取り扱う際に,こういう制約のあることはやむをえない。
(pp36-37)


2 コメント

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話しことば (Maria)
2021-02-06 20:08:45
はい、Maria です。
誰とは言いません(というか、言えません)が、うちらの関係者で「特定関係(防衛関係とか、警察関係とか)で、約一年半、議事録を作成していた」というメンバーがいます。
> 対話資料は録音を文字化している。その様子は、知る者のみ知る、つまり経験が語るところ、その難しさである。8時間分の文字化をしたことがあるので、この言及には研究の厳しさがある。
に関していうと、「文字起こし」というと、「どこまで取捨選択していいのか」について、記録者には「決然たる態度、および覚悟」が必要になってきます。
で、できあがった文書をそのまんま官と民の方に(大っぴらでなく、こっそりと)突き出すと、わいわい騒ぐ下っ端もいれば、「うーん …」と唸る上の人もいたりするわけですよ。で、上の人どうしで「これは大っぴらには言えないだろう」という話にはなるので、そのあたりの摺合わせを(下っ端の下っ端が)行なっていたそうです(笑)。このあたりは中間の人が知っちゃうと いろいろ差障りがあるので、まぁ、「仕事上の誠意の範囲内で」うまくやっていたそうです。
ソクタイプ(速記記者用のタイプライター)やカナタイプは、実際のところ、「そのまま」の記録にはなりません。「あー」とか「えー」とかいった間投詞の類(たぐい)や、緩急や強調に関する表現も、正直な話、抜け落ちています。
そもそも、話者は「話しことば」の話者の立場にいるわけで、「書き言葉」の使い手ではありません。ですから、「聞いたこと」を「文字起こし」して、「語り手」によってフィードバックする、というのが、おそらくは、いちばん適切な対応だと思います。「話し手」と「聞き手」は双対(そうつい)を成しているわけで、スタジオ録音でそれを実現した例を、六代目圓生師匠とグレン・グールドさん以外に私は知りません。まぁ、冨田勲さんとかマイク・オールドフィールドさんもいたわけですが、あのひとたちはあらかじめ「設計図」があって組み立てていったわけですので、リアルタイムのパフォーマンスとは別枠だとは思いますが。
そうなると、「話者」というのは「聞き手に投げっ放し」というわけにはいかなくて、それを「受け止めて、パッケージングする」という存在がなければ、ブロードキャストできない、という部分があります。ライブ録音だと、その場に「オーディエンス」がいるわけですけども。
それを考えると、「話しことば」に客観性も求めるのは「ないものねだり」であって、「話しことば」というのは「即時性」「一回性」「ライブ性」に立脚しているものだと考えています。
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あたらずとも (🐼ksk_ym)
2021-02-07 12:19:49
遠からず、至極御尤もな話題になりました。
要は、コンピュータによる文字起こしがあってもいいかな、ということで、時代は、もうできるようになっているだろうと思うわけです。
会議の速記録に、国会議事録がありますね。速記者の恣意でしょうけれど、議事録の成立には、さらに閲覧用には忖度が働くなどと想像するし、警察、検察の事情聴取などにも権力の独断、これをドクダンとするか、あるいはいうところの独擅場に他ならない、つまり、客観性を求めるのではない。
即時性、一回性、ライブ性をどう記録するか、ビデオにして収録する限界は、バーチャルの域になるのでしょうか。
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