BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

国語文法、日本語文法

2021-02-12 | 日本語学2020

文法研究に、国語文法とする、日本語文法とする、いずれもわたしたちの言語の現象、言葉遣いによるものである。国語の文法と日本語の文法に、悠久1600年になんなんとする言葉の歴史を思えば、それは国語、日本語に区別があるものではない。しかし国語文法を文献による証明を手法とするとすれば、それは対象に書記言語のことになる。平たく文学作品に例をとれば日本古典文学は言語の現象をつぶさに見せている。その書きことばであるという限界は資料によるところ、それをまた、日本語文法ではどうなるかと持ち出せば、そこには話しことばで音声による言語資料となるが、やはりそれは対象にとらえるのは録音ということになるわけで、そう簡単なことではなかったわたしたちの聴覚による音声の言語となる。それを表記することによって言語現象の分析とし証明となるわけであるから、日本語文法と限るからには言語研究の立場が明らかとなる。日本語文法の日本語をそもそも、規定できるかどうか、国語においてもしかりである。国語は記録する文字によって仮名表記をまずはとらえることになる。すると漢字はどうなるか、漢語漢文の影響にある文字はそれで一つの言葉の体系であるし、ラテン文字によるローマ字をもってすることは、その国語に対してどのように見るかとなると、一概に英語の影響にあるとか、音声言語の分析に用いる表記であるというような日本語となるかどうかを考える、しかし一般は日本語をそのようにはみない。言文一致に、ローマ字会による、カタカナ表記の現代語の口頭語を工夫する試みとして記録にしようとするものがあったが、それは時代のながれに起こった国語の問題でもあった。国語と日本語を統一する言語に日本語という名称をもちいるなら、それは現代の日本語を見ることになる。国語を通して時代による言語現象とすることもできて、室町時代に国語を意識した始まりは徳川時代を経て江戸を東京にする明治の国語の扱いにあったから、明治時代の国語であるし、それは大正昭和の時代にも及び、国語というのは、この時代になる400年ばかりの言語である。それ以前にも国語としてあるのが強いて呼ぶならば和語であるし、さかのぼれば大和語となる倭語である。平安時代になる和語とそれ以前のヤマト語、大和語であり、その語には倭語のもとをたどる。時代をさげて、それでは日本語はどうかとなると、大日本帝国の言語、日本国の言語は国の言葉であるから、日本語として差し支えなさそうであるが、そこには国語のイデオロジーがあって、日本語と呼ぶには、時代に沿って、さらに下がって1980年代まであたりまで国語となるものの、そこに日本語が見え始めて、日本語の時代はたかだか、ここ40年近くのことである。国語400年、日本語40年で、考えることになる。日本語は敗戦後の言語である。漢語の及ばなくなったところで英語が範となる。さてそれで。国語文法と日本語文法の何を言うか。




2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
國文法と日本語文法 (Maria)
2021-02-13 17:43:57
お邪魔します。
「文化的な基盤」としての「國語」と、現代における流通語としての「日本語」というものが、あるのではないかと思います。
聖書研究の基礎としての「古典ギリシア語」と、現代語としての「ギリシャ語」は、いちおう区別されています。ヨーロッパの文化的共通語であった「ラテン語」は、現在ではあまり(カトリックにおける共通語以外では)一般的ではありません。「ロシア語」は、「スラブ語」の範疇を越えて「中央アジアの共通語」になっている部分はありますし、「英語」は「イングランドの言葉」ではなくて、インドでは五億人が話しています。
ところが、日本語というのは「國語」の世界に引きこもっていて、「日本語」という観点からはどうだろう、と思うわけで、『源氏物語』などの古典文学の研究が有名ではあるものの、「日本語」というとマンガやアニメになっちゃうんですよ。
で、日本では戦前・戦後で分断されているので、國文法と日本語文法の連続性というものがけっこう分断されているわけです。
このあたり、國文法屋としては、ちゃんと整理しておかないといえないなぁ、と思っています。
返信する
国文法の視野 (ksk_ym)
2021-02-14 16:15:44
国文法の視野、広く見ます。
国文法の源流には文語法と口語法があります。
教科文法に国文法となって現代語文法を入れましたが、品詞論によって構文論をカバーしようとしました、しかし構文の記述ができていません。
そこに通時論と共時論の研究の別が唱えられて、共時の日本語を言うようになりました。戦前と戦後の分断は言語にあったとは思えません。
文語から口語へと昭和初期当たりに緩やかにとらえられていたものを口語から現代語にするのは昭和半ば以降に見えるようになり、そこに日本語を言うのは1980年代と考えていいでしょう。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。