BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

成仏は西方に 0315

2024-03-15 | まさしこと
  



 
往生要集を読んで、極楽は浄土であるという、これまでの定見に、いささか気づくことである。
わたしも真宗の学徒であったから、仏教徒なる信仰を持っていたわけでもない、現生利益の享受者に過ぎない。
これまでの極楽の意義に漠然とした思惑があって、何かしら今になってひょんなことで往生要集を手にして原文を読み始めて、浄土真宗の教えはそのままに、考え出したのである。

いまさらに親鸞の経文解釈は過激でもあるから、先の疑義によるところを源信によって漢文を見直してみると、これは驚くことに極楽と浄土の違いは明らかなることに気づいたわけで、教義とそれを説く僧侶の解釈はおいて、源信の説くところ、極楽は極略の観想にあり浄土は西方の浄土と解くことになり、かの国、かの土、と、安楽、安養の国に違いはなく、極楽の証拠に兜率天との対比で論をなす。

つまり、浄土の一つとされて弥勒信仰の兜率往生の思想もとらえるから、極楽国はそこで西方浄土となっているが、後世に信仰を進める教義となって称名念仏の行が盛んである、それこそ浄土宗が説く極楽となってしまったようである。地獄の思いに対比して極楽となるは大文第四 正修念仏の拠ることになる。はて、極楽国なるものは。

往生即成仏
おうじょう-そく-じょうぶつ
>浄土に往生すればただちに阿弥陀仏と同体の仏果を得るということ。
>「和讃」でも、
五十六億七千万
 弥勒菩薩はとしをへん
 まことの信心うるひとは
 このたびさとりをひらくべし (正像 P.604)
念仏往生の願により
 等正覚にいたるひと
 すなはち弥勒におなじくて
 大般涅槃をさとるべし (正像 P.604)
と、五十六億七千万年後にさとりを開くとされる弥勒菩薩に先立って、本願力回向の行信を受容した者は、阿弥陀仏の本願力によって大般涅槃をさとらしめられるとされていた。
 WikiArc
 http://labo.wikidharma.org/index.php/往生即成仏


大文第一 厭離穢土
大文第二 欣求浄土
大文第三 極楽の証拠
大文第四 正修念仏




https://www.youtube.com/watch?v=C-80NJ0QMgo
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