0706
文化センターの講座を聞いた。単発に、興味を起こして源氏物語の講座である。講師の物語社会学を期待したわけでもないが、専門分野のことに変わりはない。源氏をひらく 大臣家の物語というタイトルだった。
物語りのままに聞けばそれでわかる話だから、社会学の手法にはない。最近の話題に合わせて言えば、テレビのドラマ仕立てで見ていると、平安社会がどうにも狭い、画面も人間関係の奥行きもない、 . . . 本文を読む
本音、ほんねと言うタイトルに、建前、立て前とも、対語だけれど取り合わせが面白い。骨組を組み立てるというのであるに見せる方針でもあるが、ホンネはいかに。休み明けニューズウイークのカバーストーリは、岸田のホンネ、を見出しにする。
インタビュー記事となると、日本語版の発信からするように、5月4日にオフィシャルサイトの記事でアップしているので、そこで要旨を読むことができる。 . . . 本文を読む
日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する
1946年 昭和21年11月3日に公布
1947年 昭和22年5月3日に施行
日本国憲法は施行日を以て記念する、この日は実行の1日目だった。
憲法の公布日は敗戦1年後の文化の日、これまた歴史の経緯に明治節を意味する背景がある、
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凡人の自覚である。10代の半ばにおいてそれこそ凡夫としていた。この、大文大文第四 正修念仏 作願に見える条条は、10代初めの自覚にあった凡夫なるわたしである。ぼんぶ であったわけで、凡夫となるには、ぼんぷ というと、仏教の教えによる解釈が大きい。
凡人でありたい、ぼんぼん、平凡そのものであると、凡才を念じて行動にうつした。
らいはい、さんだん、さがん、礼拝、讃嘆、作願 と言う。
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念仏という修行を説くに罪業による生きざまに地獄を言いそれもまた階層に仕立てたものでどのように生きているかを諭す挙句には浄土の道しるべを西方に向けるべくそこに住する仏を念ずるとよいと方法を導く教えであるから、信仰するものの、称名による帰依がある。パーリsaraṇaは、保護所、避難所という意味らしい。三帰のことになる。
南無と言えばそこにいるわけでまことに有り難い。わたしに人生におけ . . . 本文を読む
極楽浄土なる浄土はいくつもある、そのうちの東西南北とでもいうか、西方の浄土が極楽浄土なのであって、それを極楽と言っていることになる。浄土の語句解釈に、とくに清浄な国土の中でも阿弥陀仏の住む極楽浄土とくわえているのは宗教によるところである。
解説には、漢訳の無量寿経の、清浄国土を縮めた語と見える。
ここに、浄土はさまざま、極楽浄土は願いの向こうにある一つととらえられて、それを極楽と . . . 本文を読む
往生要集を読んで、極楽は浄土であるという、これまでの定見に、いささか気づくことである。
わたしも真宗の学徒であったから、仏教徒なる信仰を持っていたわけでもない、現生利益の享受者に過ぎない。
これまでの極楽の意義に漠然とした思惑があって、何かしら今になってひょんなことで往生要集を手にして原文を読み始めて、浄土真宗の教えはそのままに、考え出したのである。
いまさらに親鸞の経文解釈は過 . . . 本文を読む
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極楽浄土の略を極楽という、浄土を省略することのようであるが、この語句解釈は、そうすると極楽イコール浄土となる。
この語句から極楽となるも日本語にしてみれば普通名詞、ひとつの単語となる。そしてその語構成を極めて楽しいと理解するようである。
あるいは楽の果てにあるものということか。極悪、極上、極熱などにも同様のことがある。
しかし . . . 本文を読む
地獄は極楽の対として描写される。地獄はよく知られるようになったのはこの往生要集の記述にある。お経の内容としての流布になるのか、絵巻物などにも描かれた。
しかし一方で極楽はとなるとこれもまた経の説く内容で絵画になるものkら想像を得ているが、その内実は果たしてどんなものであったか。これについても浄土思想から馴染みのあるところで極楽浄土となる。
仏説阿弥陀経をもとに説明があるところか . . . 本文を読む
往生要集、花山氏の解説には、経論疏と見える。
さきに経論釈の論法と書いたが、解説によれば、疏 とする。
違いがあるのは、その用語の時代にかかわり注が書かれまとめられた書名による、あるいは宗派によって使い分けている。
以下の引用は浄土教、浄土真宗辞典によるものである。
仏典の分類の一種で、釈尊の説いた経、経を解釈した論、経論の意を示した釈をいう。(浄土真宗辞典)
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