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メンタルケア ~希望へ向かって!~

現在、様々な依存症を含む精神疾患や、なかなか回復しない方々へ本当の貴方らしさを取り戻して戴きたい願いを込めて書いてます。

竹原ピストル ライブイン和歌山

2018年01月10日 20時01分00秒 | 日記
YouTubeで

『竹原ピストル ライブイン和歌山』
を検索してみてください。

私達の歌ですね!
友達から、聴いてみろって勧めてもらった歌です。
  




http://j-lyric.net/artist/a04b2cc
/l03358c.html

★自助グループのご紹介★

2018年01月09日 23時46分41秒 | 日記
本日は、薬物依存症のための自助グループのご紹介です。

NA(ナルコティクス・アノニマス)

http://najapan.org/

※この会の伝統として、匿名性があるので、詳細はリンクからアクセスして、各々でご覧ください。
 


ナルコティクス アノニマスのプログラムとは?

NAは薬物が深刻な問題になった者たちの非営利的な集まり、いわゆる会である。私たちは回復の道を歩むアディクトであり、定期的に集まってお互いがクリーンでいられるよう手助けし合っている。このプログラムは、あらゆる薬物から完全に離れるというものだ。メンバーになる条件はただ一つ、それは薬物の使用をやめたいという願望があるかどうかだ。ぜひあなたも、心を開き、ここでチャンスをつかんでいただきたい。
NAのプログラムは、たいへんシンプルに書かれた一連の原理で、私たちは日々の生活のなかでそれに従って生きている。この原理が何より重要なのは、実際に効果があるからだ。
NAはどこからも拘束を受けてないし、どのような団体とも提携していない。入会金も会費もない。宣誓書に署名する必要もなければ、だれかに誓約必要もない。政治や宗教や司法関係の団体との関係もいっさいなく、何があってもどこかの監察下に置かれることはない。年齢、人種、性的アイデンティティ、信条、宗教の有無などまったく問われず参加できる。
あなたが何をどのぐらい使ったか、どこから入手したのか、過去にどういうことをしたのか、金持ちか否かなどということに私たちは興味を持たない。私たちに関心があるのは、あなたが、いま抱えてる問題をどうしたいと思っているのか、私たちはそれをどうやって手助けできるのかということだけだ。ミーティングでいちばん大切な人は新しくやってきた仲間だ。なぜなら、私たちがいま手にすることのできた回復は、それを次の人に与えていかないと、保ち続けることができないからだ。私たちはグループの経験から次のことを学んだ。NAのミーティングにきちんと通い続けていればクリーンでいられるということを。

〔ナルコティクス アノニマス ホワイトブックレット 小冊子 p・2より抜粋〕



~~~~~~~~~~~~~~~~~_
NAは、全国各地にあります。
ミーティングはいろいろあって、たとえばオープンミーティングは、依存症者本人以外にも、その家族も参加できます。ミーティングは、テーマにそって、各自自由に発言できます。テーマにこだわらず自由に発言できます。
匿名性があるので、名前や素性は話さなくても構いません。
無理に発言しなくても構いません。他のメンバーの話を聞くだけでも構いません。
どのような方でも、門戸が開かれています。時間は約一時間半です。
言いっばなし、聞きっぱなしです。
試しに、最寄りのミーティング会場に足を運ばれてみてはいかがでしょうか。
ミーティング会場や開催日時は各地区によって異なります。リンクから、最寄りのNAに問い合わせてみられてください。
皆さん、メンバーは同じ仲間です。薬物をやめたいという願いを持って参加されてます。

回復に向けての取り組み

2018年01月08日 18時56分27秒 | 日記
今日は、自分なりに回復に向けて、どのような取り組みをするかについて書こうと思います。

今回は、減薬・断薬に向けて、まず、薬の服用量をどうやって減らしていくかについて書かせていただきます。

精神科の薬は、症状に応じて個々人によって相性があり、同じ症状でも、それを緩和するための薬の種類はたくさんあります。
どういった症状に対して、どんな薬を処方するかは、精神科医の問診、臨床心理士の心理テストなどによって様々です。

例えば、うつ病の急性期に処方する薬はこれがこの人に合うかどうか。
急性期に、いきなり効果の強い薬、たとえば強い抗うつ剤などは出しません。
まずは、軽い抗うつ剤を1日一回一錠から始める。〖私の場合は、レクサプロ10mgという薬を、夕食後1錠からスタートしました〗
抗うつ剤は、その効果が現れるのに約2週間くらいかかると言われています。
その後、一週間後に受診して、たとえば少し、意欲が湧いてきたとか、不安が和らいできたなら、それはその薬が合っているので、しばらくは、同じ薬を同量処方され、様子を見ます。
症状が全く変わらない。あるいは、症状が強くなった場合は、薬がその人に合ってないか、意欲を湧かす脳内伝達物質の分泌量が十分に出ていないため、それを促すために、抗うつ剤でもちがう種類のものに変更したり、また同じ薬の量を増やします。
併せて、抗不安薬も同様に処方内容を変更します。
うつ病の症状としては、意欲減退、不安感、焦燥感、イライラ、倦怠感、不眠などがあります。
最近はいい薬が出てるので、なるべくひとつの薬で複数の症状を緩和し、尚且つ、依存性の低い薬があります。〖私の場合は、不安感、焦燥感、イライラを緩和するための薬として、リホトリールという薬を使います。依存性低い薬です〗〖不安、イライラを落ち着かせるために、リスパダールという薬も服用してたこともあります〗
そして、まず鬱の症状として、ほとんど場合、不眠があります。全く眠れない、寝れても眠りが浅く短時間で覚醒する、昼夜逆転、起立性調節障害など。

これを緩和するために、睡眠導入剤と深く眠れるための睡眠薬を併用します。〖薬の名前は割愛します〗
これらの症状を、医師が薬の種類や量を変えながら、急性期にどれだけ緩和できるかに、回復期に早く移行できるかどうかがかってきます。

自分で出来ることとして、早期治療と十分な休息を取り、自分にあったストレス解消対策を講じること。
規則正しい生活リズムや職場環境調整などの改善。
ひとつの精神科医だけでは相性があわないなどの理由で症状がなかなか改善しない場合には「セカンドオピニオン」を持つこと。などがあります。

まあ、前置きはこのくらいにしましょう。これらが上手く出来なかったから、現在のような状態になったわけですからね。

さて、本題にはいります。

減薬・断薬に向けてまず、何がポイントになってくるのか。大きく三つのポイントがあると考えます。

まず一つ目は、当たり前ですが、減薬は自分勝手に自己判断でしてはいけません。
少し良くなったからといって、自己判断で服用を中止すると、必ずといっていいほど、再発します。また、離脱症状でツラい苦痛に苛まれてしまいます。

医師と相談しながら徐々に減らしていくのが大切です。

そして二つ目は、たとえば、うつ病ですが、この精神疾患は寛解はするけど残念ながら完治はしません。
主訴となる症状が緩和し、その状態が維持出来ることが治療の最終目標です。
うつ病が重度になると、不安障害や双極性障害といった二次障害を引き起こします。

障害になってしまうと、この症状は一生続きます。
もちろん寛解は可能です。ただ、そこに行き着くまでに長い期間と労力を要しますし、薬の種類が増えて減薬には程遠くなってしまいます。

二次障害を引き起こさないために、根気強く、焦らずに少しずつ減薬していくことが求められます。

ただ、減薬には勇気がいります。
長い間、薬が体中に回って、脳に染み着いてますから、そりゃあ一筋縄にはいきません。

この状態を無理なく軽減し、寛解に向かうためには、症状の緩和にあわせて、ひとつの症状緩和がある程度期間維持できたなら、勇気を持って1錠減らす決意を持つことが大切です。

焦らなくてもいいのです。

1ヶ月に1錠減らすくらいのペースで、医師と相談しながら減薬していくことです。

減薬の目標は、薬物依存からの回復もありますが、精神疾患の寛解も目標であることを忘れないようにしたいものです。 

そして、三つ目のポイントは、スリップを恐れないことです。
薬物依存症は回復はするけど完治はしない。アディクトとは、人生の全てが薬物に支配されてる人間のことです。
これまで、私達の生き方、考え方は、全てが薬物が中心でした。どうやって手に入れ、どうやって使い、もっと手に入れるためにはどうしたらよいか。
使うために生き、生きるために使うことの繰り返しでした。
終わることなく進行を続ける病気にとらわれた私達の行き着く先は皆同じ。刑務所、精神病院、そして死が待っているのです。
大切なのは、私達に薬物をやめたい願望があるかどうかです。
これまで私達は、家族の幸せよりも、妻や夫や子どものことを考えるよりも、薬物を使うことを優先させていました。
どんな犠牲を払っても、何としても薬物を手に入れなければなりませんでした。
だから、たくさんの人達を傷つけてきました。一番傷つけたのは、自分自身だったかもしれません。
盛んに薬物を使っていた頃のアディクトに逆戻りしない方法はただひとつ、それは最初の一回に手を出さないことです。
もし貴方も私達と同じアディクトなら、最初の一回はそれだけで多すぎ、千回やっても足りないことを知っているはずです。
私達が特にこのことを強調するのは、いかなる種類のものにせよ、あるいは、別のものに切り替えてみたにせよ、ひとたび薬物を使ったら、アディクションが再び猛威を振るうことをよく知っているはずです。
今日だけ、使うのをやめる。ずっとやめつづけるのは無理かも知れませんが、八時間とか十二時間だけなら、だいたいやり通すことができます。
もし、とらわれや強迫観念があまりに酷いようなら、五分間単位でやってみます。分単位が時間単位になり、時間単位が一日単位へとどんどん延びていき、結果的に貴方もこれまでの習慣を断ち切り、精神的な落ち着きを取り戻せるようになります。
薬物を使いたいという欲求がどうやら取り除かれていることに気づくと、本当の奇跡が起きます。
貴方はすでに、薬物を使うことをやめ、生きることに向かって足を踏み出したのです。

これら、三つのポイントを重視して、減薬・断薬に向けて、私達とともに、日々、精進していきたいものです。

大切なのは、『焦らずにやろう』ということです。

私達の体には、長い年月をかけて、薬物が染み着いてます。
それを、短期間で手放すことは、容易ではありません。

自分は、薬物依存症という病気であることを、まず、認めることです。

薬物依存症は薬物じゃ治せません。
当たり前のことですが。

薬物じゃ、精神疾患は完治しないのは、私達が身を持って体験して理解しています。

だから、減薬・断薬を決心されたはずです。
 
貴方らしさを取り戻せるようになりますように、祈っています。

和解

2018年01月07日 01時32分54秒 | 日記
今日、我が家に奇跡が起きたので書かせていただきます。

先日の『私の経緯』にもしたためた通り、私の家庭環境は親父の酒乱で劣悪なものでした。大工をしていた親父は、毎晩のように酒を飲んで飲酒運転して帰ってきてました。

特に棟上げのときには、施主から酒を振る舞われるので、理性をなくすまで飲みまくり、真夜中に家に帰ってきて、母親と私と妹弟に大声で怒鳴り散らし、家の中で母親と私ら子供に殴る蹴るの大暴れをしていました。

母親は出血するまで顔を殴り散らされ、私ら子供を奇声を上げて追いかけ回し、髪の毛を引っ張ったり、長男の私を蹴りまくり、妹弟も床に叩きつけられたりしていました。

家の窓ガラスに椅子を投げつけ割ったり、襖や障子を破りまくり、完全に気が狂っていました。
でもいつも、酔いが冷めると、その日のことは全く記憶になく、知らん、覚えてないと言って反省の素振りもありませんでした。二日酔いで、ゲロ吐きまくり台所はゲロまみれになっていました。
そんなのが、私が生まれてから中学校卒業するまで続いていました。

前の日記にも書きましたが、ある日、私が中間テストの勉強をしていた中学生3年頃、棟上げで酔い乱れた親父は、私のそばにきて、机の上にあった貯金箱を叩き割り、お札を床に投げつけて、酒買ってこい!と言いました。

私の怒りは頂点に達し、殺してやると思い、台所から包丁を取り出し、親父を刺しに向かいました。でも親父の力に適わず包丁を奪われ、私めがけて切りつけてきました。
私は玄関からバットを取り出し抵抗し、揉み合いになり、親父の頭をバットで叩きつけ、ひるんで包丁を落とした隙に外に逃げ出しました。

そのようなこともあり、母親はノイローゼになり、このままじゃ子供にとって良くないと、離婚しました。

学力の低かった私は、滑り止めで受けてた偏差値最低の高校に何とか入学でき、高校三年間は母子家庭として、母親の実家の近くに借家住まいし、妹弟と四人で、ひそかに暮らしていました。

ところがある日、親父がうちの家を突き止め、今で言うストーカーをし始めました。
何度追い返しても繰り返しやってきて、そのうち、家に上がり込み居座るようになり、寄りを戻せ。戻さないとお前ら殺して、ワシも死ぬと、復縁を迫ってきました。

私は、親父がわりに母親と妹弟を守るために必死になって公務員模擬試験を受け続け、奇跡的に、刑務所の看守として就職することができ、母親に毎月仕送りをしていましたが、私が法務省の寮生活をしていたときに、母親はあまりの親父のしつこさと、復縁を迫ってきたことに屈して、仕方なく復縁しました。

私は大反対でしたが、止める術もなく、またあの親父と一緒になるのかと、母親に対して裏切られた気持ちになり、守らねばと思って就いた仕事に対して目標を失ったショックで、うつ病になり、心浮いた状況の時に新興宗教にはまってしまい、仕事の責務と宗教の教義のギャップに悩まされ、精神科に行くようになり、精神安定剤を服用し始め、それでも不安、抑鬱、不眠は治まらず、酒と薬を一緒に飲むようになり、ラリってしまい、症状は更に悪化し、せっかく頑張って就いた仕事を依願退職しました。

その後、目標を失った私は職を転々とし、11回も仕事を変わり、適応障害と双極性障害、不安障害になり、一度は結婚したものの、個人事業をしていた私は、フランチャイズ詐欺に遭い、事業をたたみ、抱えた負債は損害賠償のお金だけでは返済しきれず、自己破産しました。

妻には離婚され、男の子の子供がひとりいますが、引き取られ、私は更に自己憐憫に陥り、精神安定剤を多剤服用するようになりました。

いくら薬を飲んでも、薬物耐性ができてしまってたので全く効かず、多剤服用は更にエスカレートし、重複受診を繰り返し、交通事故をお越し、今の仕事をやすむようになり、多剤服用が精神科医にバレて、とうとう精神病院に入院するはめになり、薬物依存症と診断されました。

離脱症状を乗り越え、5カ月の入院生活を終えて退院し、入院前は30種類乱用していた薬も、退院時には6種類まで減薬でき、しばらく回復のために自宅療養していました。

しかし、私の精神疾患に対して全く理解していない両親は、根本は自分らへの憎しみがあることすら分からず、退院してからは、とにかく早く仕事に出ろ。あんたは病気のフリをしとるだけじゃとか、自分で病気を作ってるとか、自分に甘えとるとかしか言わず、私にプレッシャーをかけ続けて精神的に追い込まれていきました。

親父は、相変わらず酒飲んでは、今でこそ高齢のために昔みたいに大暴れはしなくなったものの、アルコール依存症で酒飲んでは大声で喚き散らし、近所迷惑も考えずテレビを大音量でつけ、一緒に暮らしている祖母に八つ当たりばかりして、母親はそんな親父に愛想尽かして、いつも愚痴ばかり言って、家の中は完全に冷め切っていました。そんな暮らしの環境下で、精神的にプレッシャーをかけられ、全く私の心の傷すら理解できない両親に対して、私はこのまま家にいても、回復を妨げるだけだ。早く家から出たいといつも悶々としていました。

先月12月20日に、私はNA〖ナルコティクス・アノニマス〗の、〖今日だけ〗という書籍を個人購入して、届くのをまっていたのですが、いつまでたっても届かず、変だなと思い、会話はしたくなかったけど、母親に、私宛てにレターパック届いてないか尋ねたら、なんか届いてるけど、怪しい物が入ってると思い渡さなかったといったのです。

私は頭にきて、じゃあ袋開けて中身見てみろといい、開けさせてみせると、注文していた書籍がはいってました。
私は母親に、なんで隠したのか。これのどこが怪しい物か。説明してみろと言ったら、あんたのことじゃ!また何か変な物に手を出しちゃおらんろうね!?あんたのどこが病気か!いつも家でゴロゴロしてから!病気のフリしとるだけじゃ!はよ、仕事行け!と、逆ギレされました。

私は頭にきて、もうダメだ。この親には私の気持ちなど理解できない。 
私は懸命に一日も早く回復したいがために、毎日筋トレやウォーキングしたり、犬の散歩にいったり、減薬も続いていましたが、スリップしてしまい、再び重複受診をし、多剤服用が始まりました。

また同じ過ちを繰り返した自分自身への自己憐憫と、両親に対する失望感。回復へのモチベーションは失われ、食事も一切受け付けず、両親と顔をあわすのも嫌になり、幻聴と妄想で眠れず、部屋に引きこもり、薬をかじって飲みまくりました。

ブログをかきながら、自分自身を客観的に見ていながらも、思考はどんどん鈍っていき、部屋から一歩も出れなくなって、小便も二階のベランダから垂れ流し、そのうち水すら飲めなくなり、多量の薬をかみながら、布団にうずくまっていました。

一週間がたった12月31日の早朝に、もう絶望感で死にたいと本気で思い、遺書をしたため茶の間のテーブルの上に置き、多量の薬を持ち出し、着の身着のまま車を走らせ死に場所を探しに、何かに誘われるように家をあとにしました。

死ぬ前に、最後に唯一の友達に会っておこうと思い、コンビニATMから全貯金を引き出し、急遽、飛行機に乗って、東京にいる友達に会いに行きました。

友達は私の気持ちを覚り、せっかくの正月休みを全部私のために費やしてくれて、たくさんの自分の服とか着る物をくれたり、大晦日の夜、お寺に除夜のかねをつきにつれていってくれたり、元旦には、近くの小高い丘の上に連れて行ってくれ、一緒に登った富士山を見せてくれたり、夜は焚き火しながら冬空の下、一晩中酒に付き合って話をしてくれたり、横浜の従姉妹のやってるスナックに連れて行ってくれたり、亡くなった彼の大好きだった叔母が住んでた空き家で朝まで説教してくれたり、その散らかったままの
家の掃除をさせて、心洗わせてくれたり、美味しい中華料理屋に連れて行ってくれたり、もう彼の仕事の前日1月4日まで、最後の最後まで、ほとんど寝ずに付き合ってくれました。
全身全霊で、私を諭してくれました。

私は、彼の本当の優しさに触れ、もう一度生きてみようと思い直しました。

彼が、帰って親父さんに頭下げてこい。そしたら、必ず何かが変わると言ってくれ、私は、飛行機に乗って家に帰りました。

家に帰ったら、まず母親が迎え入れてくれて、号泣しながら、生きとって良かった。これほど心配したことはない。と言ってくれ、私の反省と決意を聴いてくれました。

そして、お父さんがあんたに手紙を書いてるといって、生まれて初めて親父からの手紙を読みました。
それには、筆不精な親父の震えた字で

『心理的な面が良くなっていることは、やはり、努力をしていることはよく分かる わしも、空威張りするところがある 今の気持ちでみんなと打ち解けていく気持ちをもってくれ それも効果があると思う ワシも大きな声は出さないことを誓う 言葉で言わないとわからない 何も言わないから 自分で計画を立てて、思うようにやってくれ 時がたって よくやったなと さすが平常に成ってくれたと お母さんを安心させてくれ 今の自分を変えるのは 自分しかない 見守っている』 
と、書かれてありました。

そして、親子三人で茶の間で顔を合わせ、私は、親父に心配かけてすまんかった。と詫びました。

そしたら、親父は号泣しながら、ワシが悪かった。生きておいてくれて良かった。もう、何も言わんから。
と言ってくれました。

私は、胸の内を初めて両親に話しました。そして、必ず回復することを誓い、親子三人でガッチリ握手して、生まれて初めて、本当の親の愛情に触れました。

これまで44年間、生まれてからずっと心の奥底にあった両親への憎しみが、初めて、許すことが出来ました。

これまでの、わだかまりは無くなり、我が家に光が差し込んできました。

心から、心から友達に感謝しています。

そして、両親に初めて心から感謝しました。

本当に、本当に感謝します。
ありがとうございました。


我の強さ

2018年01月06日 04時20分56秒 | 日記
明けましておめでとうございます!
始まりました2018年!昨年は、最悪の年でしたが、年末年始にしっかり厄払いしてきたので、気持ち新たにスタート切りたいと思います!

今日は『我の強さ』と言うことで書きたいと思います。 

私は半端ない我が強く、こだわりも強い男です。それは生まれつきのもんで、先祖代々からの血筋もありますが、自閉スペクトラム症という発達障害のため、物事に対するこだわりが異常に強いです。

我の強さは、これだと思ったらこれ!融通がきかない。臨機応変が苦手。他の意見を素直に受け入れない。自分で納得いくまで痛い目にあってあってあい続けて、やっと意思にたどり着くまで体験して、法則や理屈はあとからついてくる。
自分が中心で世界は動いている。

自他共に認める、たちの悪い頑固者です。だから人間関係は大の苦手です。

友達も、腐れ縁の悪友が一人いるんですが、彼が唯一の友達です。
彼も我が強いですが、天才的な感性を持っていて、価値観が同じなのと、お互いタフなので付き合えてると言えます。

私は、傍目は真面目で優しい穏やかな風貌で社交的のように見えますが、中身はコリッコリの一匹狼です。 

今まで11回、仕事変わってるんですが、必ず人間関係で不調和になり、自分が中心で正しいと思ってるので、馴れ合いの上っ面だけ仲良くして、陰で悪口言ってるような輩はムシズが走ります。

それが上司だろうと先輩だろうと年上だろうと関係ありません。一度嫌いになったら、もう受け付けません。敵が味方かしかありません。
それで色々、損をしてるのは承知しています。

たくさんのものを失ってきました。
他を素直に受け付けないから、たとえいい人や物でも、見過ごしています。
学習能力低いから反省もできません。
でも今更、この性分を変えるつもりも全くありません。

だから例えば、今、薬物依存症になって、回復のためには、NA(ナルコティクス・アノニマス)のステップ12のプログラムの実践と、自助グループへの参加をし、ミーティングに出席するというのが良いと言われても、2~3回ミーティングには出ましたし、ステップ12も試してみたのですが、《自分なりに理解した神へ委ねる決心をした》ということが理解できないのと、同じ依存症者のスポンサーの人とトラブルになり、信頼関係が築けなかったので、自分には合わないと思い、やめてしまいました。

薬物依存症になるまでには、この社会の中で、こんな社会不適合者みたいな性格のために、色々なストレスの壁にぶち当たり、それを上手く立ち回れず抱え込んでしまい、うつ病から始まり、適応障害、双極性障害、不安障害に陥り、精神安定剤にその苦痛を誤魔化すだけのために服用し続け、薬が薬物耐性のために効かなくなり、より質の高い多量の薬を飲むようになり、脳は完全に萎縮し、薬物性肝炎になり、離脱症状が怖くてずっと四六時中、血液に薬物が回っていて、半減期を迎える前に次の薬を多量に服用するので薬漬けになり、完全な薬物中毒患者に成り下がっていました。

それにこの我の強さが災いして、服用コントロールができず回復の道を妨げました。
自分が、とことん堕ちるとこまで堕ちて、どん底に到着して、底尽き体験をして、薬じゃどうにもならなくなったとき、もう依存に対して自分は無力であるということを認めざるを得なくなり、ならばどうやって、この依存症から回復するかを考え始めるようになりました。

しかし、長年薬漬けになった体は、そう簡単には元には戻りません。
脳に薬物による解放感や、恍惚感、高揚感などをインプットされてますから、器質的にも機能的にも、正常ではない、壊れた状態になっています。
脳から薬物の記憶を消すことは不可能です。

回復のためには、一生涯、薬物への依存との戦いです。一日一回だけしか飲まない。5分だけでも薬のことを思い浮かべない。そうやって、減薬から断薬に徐々に徐々に、スリップ、失敗を繰り返しながら、少しずつ薬物を体から減らしていき、半減期過ぎても離脱症状が出ないようにしていくしかありません。

それは、意志の強さとか我慢力だけじゃ絶対不可能です。頑張るのは無理。頑張ると言う言葉は『ガンバル』これは『我を張る』という言葉にも理解できると思いませんか?

我を張るのは私の得意分野ですが、さすがの私でも依存の魔力には勝てませんでした。
脳がやられちゃってますから。

それと、独りで回復させるのも無理です。必ず、回復のためには、モチベーションになる何かが必要です。
モチベーションは、自分以外の誰か。あるいは何かに求めるしかありません。

『孤軍奮闘』と言う言葉がありますが、これも孤高に闘うことと私は理解していますが、孤高に闘うにしても、回復と言う目標に向かって依存に打ち勝つためには、志気となり得る存在が欠かせません。

敢えて頑張るという言葉を使いますが、頑張って闘うには、自分の中の絶対的に揺るぎない〖土台〗がしっかりしてないといけません。

これは、意志の強さとかそういう意味じゃなく、『魂の強さ』とでも言うのでしょうか。

生きていくために必要な本能を司る、『潜在意識』に秘められている力の源とでも言うべき原理です。
これは、森羅万象の中で生きとし生けるもの全てに存在します。

そこに誰しも、絶対的に揺るぎない土台があります。そこに気づくことから自分の存在と言うものを客観的に視ることが要となってきます。
そしたら、独りではモチベーションを高めることはできないことを覚ります。

潜在意識の中では、生きとし生けるもの、皆、『アカシックレコード』と言われる時間も空間もない世界で、ひとつにつながっているという概念があります。
そこを顕在意識で自覚できるようになれれば、おのずとモチベーションの対象となる土台が見つけ出せるでしょう。
そこを原点にして、自分なりの回復プログラムを構築していければ、あとは実践あるのみです。
あなたが自ら立てた回復プログラムです。何も疑うこともありません。

話は我の強さから、えらいところまで展開しましたが、言わば、我の強さは生きる本能が強いことの証拠です。

我の強さは、両刃の剣です。ある時には自分を傷つけるし、ある時には敵をやっつける。堅陣な我の強さを、更に高みを目指して、両刃の剣を鍛え磨き続けていきたいものです。

馬鹿とハサミは使いよう。
自分の我の強さと上手く付き合って、できたらもっと上手に使いこなせていきたいと思います。

コメント、メッセージお待ちしています(ゝω・)