おはようございます
皆さん、いかがお過ごしですか?もうあと日で、1月も終わりです。つい、こないだお正月を迎えたと思ったら、もう2月ですよ。1月は行く、2月は逃げる、3月は去るっていいますから、あっという間に時を過ごしますよね。
日々是好日。一日一日を、大切に過ごしたいものです。
昨日は、ハローワークに行ってきました。今の会社、復職できそうもないんで、次探そうと思って・・・。
かかりつけ医に書いてもらった、意見書をもって、職業相談に行きました。
適応障害で、今まで、散々仕事変わってきましたから、年齢的にもそろそろ転職は慎重にしないといけないと思って。
今までは、つい簡単に求人票を見て、自分でいいのがあったら、簡単に応募して面接受けてきましたけど、精神疾患のことは黙って受けてたもんですから、人間関係や仕事のきつさで休職し、依願退職繰り返してきましたから、またかって感じであまり危機感持ってなかったんですが、さすがに今回は最後の仕事にしようと思い、年齢的なことを考えると慎重にならなきゃなってっ危機感に迫られて、これまでのように自分で簡単に決めるのではなく、医師の所見をもって、ハローワークの方に自分に向いてそうな仕事をセレクトしてもいらい、それに従って仕事を選ぶことにしました。
私が適応障害だと知ったのは去年の8月で、当時の主治医から半端じゃない職歴の多さにビックリさせて、あなたは発達障害からくる適応障害だねって診断されてしまい、「あぁ、俺、病気だったんだ」って知ったんですよ。それまでは、意気地がないとか、すぐ飽きるとか、仕事に対する真剣さがないとか、親に責められてましたし、自分って何でこんなにも仕事続かないのかなって自己嫌悪に陥ってました。
履歴書の職歴書くところに書ききれない程、仕事変わってましたから、終いの頃には、何個か職歴嘘ついて省いて書いたりしてました。
全部書ききれない仕事は、全て自己都合で「一身上の都合により・・・」辞めてきてますから、そりゃどこの企業もこんな履歴書見せたら、絶対、不採用になると思って「公文書偽装」なのは分かっていながら、都合よく書いて、第一印象は良い方らしいんで、それで採用され、自己都合で辞めてきてました。
これまで11回、仕事変わってます。さすがにヤバイでしょ?
適応障害もあるんだろうけど、途中から薬物依存症になって、鬱状態が続くと薬を多剤服用し、自分で自分の首を絞めることを繰り返してきて、自己嫌悪に陥ってたんで、しょうもないですよね。
そんな自分に限界を感じてはいました。重複受診がバレて去年の8月に精神病院に入院し、本来なら6か月のところを、無理やり3か月で出てきて、昨年の11月16日に退院してから今日まで、5~6万くらいしかない傷病手当だけでやり過ごしてました。親には随分迷惑かけてます。2月から仕事に復帰したい意欲もありましたが、社会はそんなに甘くなく、勤務先からはまだ復職は認められない宣告を受け、あなたに対する会社としての信用は0だと人事の方から言われ、本来なら懲戒解雇に値すると総務課長に言われ、ここでの復職は無理だと判断し、退職する決心をしました。
年末年始の事件前から、ずっと潜在能力を引き出す訓練を継続し、我が家に奇蹟が起きました。「※(和解)をご参照ください」
それからというもの、親父は一切、酒飲んでも大声で喚き散らすこもなく、母親にも笑顔が戻りました。
私が44年間、願い続けてきた家庭円満が実現したのです。
今は、「本当に自分に合った仕事が見つかる」と潜在意識に言い聞かせてます。本気で「自分に合った」を強調してます。
それが実現するための準備として、退職を決めたと言い聞かせてます。潜在意識に働きかけるには、こつがあります。
まあ、ここではこつは敢えて触れないでおきましょう。とにかく、物事が自分の思うようになっていくんです。それも、導かれるように。
そして、最善の方法でその目標に向かって順序良く物事が進んでいくんです。自我がはいったら、それはやめときなさいって警鐘のメッセージが事象として起こり、インスピレーションが働きます。自力を必要としないんです。気づきとか覚りといったものが、実に洗練された事象として理解できるようになります。いわゆる、第6感といわれる感覚です。ピンとくるのです。そして正しい方向へと軌道修正されます。
経験された方は、この感覚を理解し共有できると思います。本当に不思議なことが目に見えて起こります。何かに守られている感がします。
以前、このブログでも書きましたが、私は「我の強い」人間です。生半可じゃない我の強さを備えています。物事にこだわりが強い。こうと思ったらこう。臨機応変が効かない。人の話に耳を傾けない。変な部分で頑固者です。その我の強さのために、多くのものを失ってきました。それでも、それを修正しようとしない特長があります。だから、適応障害とつけられたんでしょう。
そんな私が、潜在意識に動かされるという事象を受けいれたのは、それが一過性のものじゃなく、再現性を有してるというということでした。
ある心の法則に従えば、奇蹟といわれる事象が奇蹟じゃなくなると、身をもって体験してきたからです。
もともと依存性の強い私の心の脆さは、私を複数の宗教にはまらせました。でも私には信仰心というものがなく、探求心のみがその宗教にはまらされた理由でした。偶像的な神といわれる存在を否定していました。
だから、宗教もいくつも渡り歩いてきました。新興宗教なんてものは、結局、人・物・金の世界です。とある新興宗教の専従者までやってきた私が言うんですから。絶対帰依を求められ、全てをその神に委ね、団体の発展のために全信徒が献金を求められ、それが功徳だと教育される。
宗教のために、善の名のもとに、戦争やいさかいごとが後を絶たない。そんものには世界平和なんて望めもしない。純真な信徒の人たちは、あらゆるその神のために、救われたと勘違いして委ね続ける。自分の人生を棒に振ってまで。信仰が悪だとはいわない。でも、それを稼働させてる人たちが、洗脳されて、神格化された宗教団体の幹部どもが野心に狂い、神のまにまにと着いていく。
ひとつだけの本当の神は、自身の己の心にあることに気づいていない。システム化された現代では、それは更に見えなくなっていく。
憂いの気持ちで胸が痛みます。
天に向かって唾を吐くという言葉がありますが、これは善を前提(性善説)とした戒めの言葉で、道理にかなわないことをしたら、その行為の罪の意識が自分に振り戻ってくるということを表しているのだと思います。これは脅かしでもなんでもなく、自然の摂理だと思います。単に権力者にはむかうとわが身に返ってくるということではないと思います。
よく、悪いことをしたらバチがあたるという言葉がありますが、これも同義語だろうと思います。性善説を前提とした戒めの言葉だと解釈できると思います。神の目は誤魔化せないとか、これも同義語でしょう。脅かしでもなんでもない、自然の摂理です。
これを悪用してるのが、新興宗教です。人の弱みに付け込んで、そこから人・物・金を巻き上げる。教団はどんどん大きくなっていく。
本当の神はそんなものとはちがう。
本当の神とは、この森羅万象における、自然の法則・原理・条理といったそのものです。神に実体など存在しません。偶像崇拝は全て、絶対的な崇拝対象をシンボルにして掲げ、そこにとりあえずトップを置いて、一元化させようとする。信徒に良きことがあれば、それは○○さまのお蔭だと、恩着せがましくすり替えられ、上手うかなかったら、あなたの信仰がなってないと、これまた勘違いさせる。教義は正当なものかもしれないが、実際はそうではなかったと、後悔させられるのもしばしば聴く。いれいろイベント開いては、信徒から金を巻き上げる。教団を維持させるには、人・金・物が動かないと維持できない。世の中、知らなくていいこともある。信徒がそれでいいというんだから別にいいのではないかと思います。あとは自己責任です。ただの交流の場としている方は、それはそれでいいでしょう。
話が飛びましたね。(笑)
潜在意識についは、J・マーフィー博士をはじめ、様々な学者がそれを説いているが、その内容は実に深く、未知なるものの関心へのも高まり、完結はしてないので、あとは推察でしか表現できない。宇宙論にまで話が行くので、確かなものだと認証できない面もある。
私は事実として、精神疾患から寛解でき、薬物依存症からの回復もできたので、その事実だけ信頼できます。その切り札が、潜在能力の開化でした。事実は事実で、受け入れなければならない。23年間、もっと言えば生まれた時から、発達障害のため、昔からいじめにあったり、友人が少なかったり、登校拒否になったり、不適応な子供でした。いつも何もかもに違和感を感じて、生きづらさを感じてました。自分は他の人と何か違う。そんな疎外感にも似た感じを覚えてました。一般的な神様への畏怖の念もなく、シュールに神といわれる存在をとらえておました。
そんな私ですから、事実しか信用しない。真実は事実の両面のみにしか存在しない。だから私は初詣や厄払いはしません。でも、弔いの心はあります。感謝の念はあります。だからお墓まいりはいきます。それと神への信仰心とは別物です。崇拝はしません。あくまでも、先祖代々への弔いで拝んでいます。これはご供養のためです。先祖代々の冥福への祈りです。神様とやらに拝んでる拝んでるわけじゃありません。
潜在意識とつながれば、自分が霊的な何かに守られている感じはします。目には見えないので、誰だかわかりません。私は偶像的な神の存在は認めていませんから、一般的に神様と呼ばれる存在は認めていません。先ほど申し上げように、神とは森羅万象における、自然の法則・原理・条理といったものです。実体など存在しないと解釈していますから。古典的な無信論者です。
しかし、瀬在意識とつながると、妄想なんかではなく、自分が確かに何かに守られている。それは事実として体感しています。一過性の偶然ではなく、再現性のあるものなので、誰にでも自信をもって伝えれます。
今までこれだけ人生最低の生き方をしてきた私ですから、それを克服できたのは、まさにある原理の則って意識改革を自分の意志で行ったからでしょう。そしたら、人生観が変わりました。敵意とかわだかまりとか、一切なくなりました。偏った思考から解き放たれたのです。
客観的に自分を見えるようになりました。いままで頑なに自分以外の何かに否定し、主観的にしか物事を捉えられませんでしたが、心にゆとりが生まれたのです。私は「委ねる」ことができない人間です。自分らしさを尊厳をもって良し悪しを決めていました。
だから、いつも孤独を感じていたし、そのストレスが私を精神的な病にさせました。心開けぬ人間でしたから。
そんな私を変えたのは、今使ってる、潜在意識改革に使用している「ジェームス・スキナーの【成功の9ステップ】」というアイテムです。
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薬物じゃ、精神疾患の克服は不可能です。
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