メンタルケア ~希望へ向かって!~

現在、様々な依存症を含む精神疾患や、なかなか回復しない方々へ本当の貴方らしさを取り戻して戴きたい願いを込めて書いてます。

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和解

2018年01月07日 01時32分54秒 | 日記
今日、我が家に奇跡が起きたので書かせていただきます。

先日の『私の経緯』にもしたためた通り、私の家庭環境は親父の酒乱で劣悪なものでした。大工をしていた親父は、毎晩のように酒を飲んで飲酒運転して帰ってきてました。

特に棟上げのときには、施主から酒を振る舞われるので、理性をなくすまで飲みまくり、真夜中に家に帰ってきて、母親と私と妹弟に大声で怒鳴り散らし、家の中で母親と私ら子供に殴る蹴るの大暴れをしていました。

母親は出血するまで顔を殴り散らされ、私ら子供を奇声を上げて追いかけ回し、髪の毛を引っ張ったり、長男の私を蹴りまくり、妹弟も床に叩きつけられたりしていました。

家の窓ガラスに椅子を投げつけ割ったり、襖や障子を破りまくり、完全に気が狂っていました。
でもいつも、酔いが冷めると、その日のことは全く記憶になく、知らん、覚えてないと言って反省の素振りもありませんでした。二日酔いで、ゲロ吐きまくり台所はゲロまみれになっていました。
そんなのが、私が生まれてから中学校卒業するまで続いていました。

前の日記にも書きましたが、ある日、私が中間テストの勉強をしていた中学生3年頃、棟上げで酔い乱れた親父は、私のそばにきて、机の上にあった貯金箱を叩き割り、お札を床に投げつけて、酒買ってこい!と言いました。

私の怒りは頂点に達し、殺してやると思い、台所から包丁を取り出し、親父を刺しに向かいました。でも親父の力に適わず包丁を奪われ、私めがけて切りつけてきました。
私は玄関からバットを取り出し抵抗し、揉み合いになり、親父の頭をバットで叩きつけ、ひるんで包丁を落とした隙に外に逃げ出しました。

そのようなこともあり、母親はノイローゼになり、このままじゃ子供にとって良くないと、離婚しました。

学力の低かった私は、滑り止めで受けてた偏差値最低の高校に何とか入学でき、高校三年間は母子家庭として、母親の実家の近くに借家住まいし、妹弟と四人で、ひそかに暮らしていました。

ところがある日、親父がうちの家を突き止め、今で言うストーカーをし始めました。
何度追い返しても繰り返しやってきて、そのうち、家に上がり込み居座るようになり、寄りを戻せ。戻さないとお前ら殺して、ワシも死ぬと、復縁を迫ってきました。

私は、親父がわりに母親と妹弟を守るために必死になって公務員模擬試験を受け続け、奇跡的に、刑務所の看守として就職することができ、母親に毎月仕送りをしていましたが、私が法務省の寮生活をしていたときに、母親はあまりの親父のしつこさと、復縁を迫ってきたことに屈して、仕方なく復縁しました。

私は大反対でしたが、止める術もなく、またあの親父と一緒になるのかと、母親に対して裏切られた気持ちになり、守らねばと思って就いた仕事に対して目標を失ったショックで、うつ病になり、心浮いた状況の時に新興宗教にはまってしまい、仕事の責務と宗教の教義のギャップに悩まされ、精神科に行くようになり、精神安定剤を服用し始め、それでも不安、抑鬱、不眠は治まらず、酒と薬を一緒に飲むようになり、ラリってしまい、症状は更に悪化し、せっかく頑張って就いた仕事を依願退職しました。

その後、目標を失った私は職を転々とし、11回も仕事を変わり、適応障害と双極性障害、不安障害になり、一度は結婚したものの、個人事業をしていた私は、フランチャイズ詐欺に遭い、事業をたたみ、抱えた負債は損害賠償のお金だけでは返済しきれず、自己破産しました。

妻には離婚され、男の子の子供がひとりいますが、引き取られ、私は更に自己憐憫に陥り、精神安定剤を多剤服用するようになりました。

いくら薬を飲んでも、薬物耐性ができてしまってたので全く効かず、多剤服用は更にエスカレートし、重複受診を繰り返し、交通事故をお越し、今の仕事をやすむようになり、多剤服用が精神科医にバレて、とうとう精神病院に入院するはめになり、薬物依存症と診断されました。

離脱症状を乗り越え、5カ月の入院生活を終えて退院し、入院前は30種類乱用していた薬も、退院時には6種類まで減薬でき、しばらく回復のために自宅療養していました。

しかし、私の精神疾患に対して全く理解していない両親は、根本は自分らへの憎しみがあることすら分からず、退院してからは、とにかく早く仕事に出ろ。あんたは病気のフリをしとるだけじゃとか、自分で病気を作ってるとか、自分に甘えとるとかしか言わず、私にプレッシャーをかけ続けて精神的に追い込まれていきました。

親父は、相変わらず酒飲んでは、今でこそ高齢のために昔みたいに大暴れはしなくなったものの、アルコール依存症で酒飲んでは大声で喚き散らし、近所迷惑も考えずテレビを大音量でつけ、一緒に暮らしている祖母に八つ当たりばかりして、母親はそんな親父に愛想尽かして、いつも愚痴ばかり言って、家の中は完全に冷め切っていました。そんな暮らしの環境下で、精神的にプレッシャーをかけられ、全く私の心の傷すら理解できない両親に対して、私はこのまま家にいても、回復を妨げるだけだ。早く家から出たいといつも悶々としていました。

先月12月20日に、私はNA〖ナルコティクス・アノニマス〗の、〖今日だけ〗という書籍を個人購入して、届くのをまっていたのですが、いつまでたっても届かず、変だなと思い、会話はしたくなかったけど、母親に、私宛てにレターパック届いてないか尋ねたら、なんか届いてるけど、怪しい物が入ってると思い渡さなかったといったのです。

私は頭にきて、じゃあ袋開けて中身見てみろといい、開けさせてみせると、注文していた書籍がはいってました。
私は母親に、なんで隠したのか。これのどこが怪しい物か。説明してみろと言ったら、あんたのことじゃ!また何か変な物に手を出しちゃおらんろうね!?あんたのどこが病気か!いつも家でゴロゴロしてから!病気のフリしとるだけじゃ!はよ、仕事行け!と、逆ギレされました。

私は頭にきて、もうダメだ。この親には私の気持ちなど理解できない。 
私は懸命に一日も早く回復したいがために、毎日筋トレやウォーキングしたり、犬の散歩にいったり、減薬も続いていましたが、スリップしてしまい、再び重複受診をし、多剤服用が始まりました。

また同じ過ちを繰り返した自分自身への自己憐憫と、両親に対する失望感。回復へのモチベーションは失われ、食事も一切受け付けず、両親と顔をあわすのも嫌になり、幻聴と妄想で眠れず、部屋に引きこもり、薬をかじって飲みまくりました。

ブログをかきながら、自分自身を客観的に見ていながらも、思考はどんどん鈍っていき、部屋から一歩も出れなくなって、小便も二階のベランダから垂れ流し、そのうち水すら飲めなくなり、多量の薬をかみながら、布団にうずくまっていました。

一週間がたった12月31日の早朝に、もう絶望感で死にたいと本気で思い、遺書をしたため茶の間のテーブルの上に置き、多量の薬を持ち出し、着の身着のまま車を走らせ死に場所を探しに、何かに誘われるように家をあとにしました。

死ぬ前に、最後に唯一の友達に会っておこうと思い、コンビニATMから全貯金を引き出し、急遽、飛行機に乗って、東京にいる友達に会いに行きました。

友達は私の気持ちを覚り、せっかくの正月休みを全部私のために費やしてくれて、たくさんの自分の服とか着る物をくれたり、大晦日の夜、お寺に除夜のかねをつきにつれていってくれたり、元旦には、近くの小高い丘の上に連れて行ってくれ、一緒に登った富士山を見せてくれたり、夜は焚き火しながら冬空の下、一晩中酒に付き合って話をしてくれたり、横浜の従姉妹のやってるスナックに連れて行ってくれたり、亡くなった彼の大好きだった叔母が住んでた空き家で朝まで説教してくれたり、その散らかったままの
家の掃除をさせて、心洗わせてくれたり、美味しい中華料理屋に連れて行ってくれたり、もう彼の仕事の前日1月4日まで、最後の最後まで、ほとんど寝ずに付き合ってくれました。
全身全霊で、私を諭してくれました。

私は、彼の本当の優しさに触れ、もう一度生きてみようと思い直しました。

彼が、帰って親父さんに頭下げてこい。そしたら、必ず何かが変わると言ってくれ、私は、飛行機に乗って家に帰りました。

家に帰ったら、まず母親が迎え入れてくれて、号泣しながら、生きとって良かった。これほど心配したことはない。と言ってくれ、私の反省と決意を聴いてくれました。

そして、お父さんがあんたに手紙を書いてるといって、生まれて初めて親父からの手紙を読みました。
それには、筆不精な親父の震えた字で

『心理的な面が良くなっていることは、やはり、努力をしていることはよく分かる わしも、空威張りするところがある 今の気持ちでみんなと打ち解けていく気持ちをもってくれ それも効果があると思う ワシも大きな声は出さないことを誓う 言葉で言わないとわからない 何も言わないから 自分で計画を立てて、思うようにやってくれ 時がたって よくやったなと さすが平常に成ってくれたと お母さんを安心させてくれ 今の自分を変えるのは 自分しかない 見守っている』 
と、書かれてありました。

そして、親子三人で茶の間で顔を合わせ、私は、親父に心配かけてすまんかった。と詫びました。

そしたら、親父は号泣しながら、ワシが悪かった。生きておいてくれて良かった。もう、何も言わんから。
と言ってくれました。

私は、胸の内を初めて両親に話しました。そして、必ず回復することを誓い、親子三人でガッチリ握手して、生まれて初めて、本当の親の愛情に触れました。

これまで44年間、生まれてからずっと心の奥底にあった両親への憎しみが、初めて、許すことが出来ました。

これまでの、わだかまりは無くなり、我が家に光が差し込んできました。

心から、心から友達に感謝しています。

そして、両親に初めて心から感謝しました。

本当に、本当に感謝します。
ありがとうございました。

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3 コメント

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清春 (佐藤)
2018-01-07 18:51:49
おめでとさん。稽古を開始セヨ。👾
Unknown (細道)
2018-01-11 22:46:12
生きていてくれて何よりです!
やっぱり友達は人生の財産ですね。
Re:Unknown様 (kouexit)
2018-01-11 23:02:16
本当に死のうと思ってました
友達の命がけの諭しに、心打たれました
44年間の、わだかまりが溶けて
我が家に奇跡が起きました
本当に感謝しています
コメントありがとうございます
私も読ませていただきますね

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