明けましておめでとうございます!
始まりました2018年!昨年は、最悪の年でしたが、年末年始にしっかり厄払いしてきたので、気持ち新たにスタート切りたいと思います!
今日は『我の強さ』と言うことで書きたいと思います。
私は半端ない我が強く、こだわりも強い男です。それは生まれつきのもんで、先祖代々からの血筋もありますが、自閉スペクトラム症という発達障害のため、物事に対するこだわりが異常に強いです。
我の強さは、これだと思ったらこれ!融通がきかない。臨機応変が苦手。他の意見を素直に受け入れない。自分で納得いくまで痛い目にあってあってあい続けて、やっと意思にたどり着くまで体験して、法則や理屈はあとからついてくる。
自分が中心で世界は動いている。
自他共に認める、たちの悪い頑固者です。だから人間関係は大の苦手です。
友達も、腐れ縁の悪友が一人いるんですが、彼が唯一の友達です。
彼も我が強いですが、天才的な感性を持っていて、価値観が同じなのと、お互いタフなので付き合えてると言えます。
私は、傍目は真面目で優しい穏やかな風貌で社交的のように見えますが、中身はコリッコリの一匹狼です。
今まで11回、仕事変わってるんですが、必ず人間関係で不調和になり、自分が中心で正しいと思ってるので、馴れ合いの上っ面だけ仲良くして、陰で悪口言ってるような輩はムシズが走ります。
それが上司だろうと先輩だろうと年上だろうと関係ありません。一度嫌いになったら、もう受け付けません。敵が味方かしかありません。
それで色々、損をしてるのは承知しています。
たくさんのものを失ってきました。
他を素直に受け付けないから、たとえいい人や物でも、見過ごしています。
学習能力低いから反省もできません。
でも今更、この性分を変えるつもりも全くありません。
だから例えば、今、薬物依存症になって、回復のためには、NA(ナルコティクス・アノニマス)のステップ12のプログラムの実践と、自助グループへの参加をし、ミーティングに出席するというのが良いと言われても、2~3回ミーティングには出ましたし、ステップ12も試してみたのですが、《自分なりに理解した神へ委ねる決心をした》ということが理解できないのと、同じ依存症者のスポンサーの人とトラブルになり、信頼関係が築けなかったので、自分には合わないと思い、やめてしまいました。
薬物依存症になるまでには、この社会の中で、こんな社会不適合者みたいな性格のために、色々なストレスの壁にぶち当たり、それを上手く立ち回れず抱え込んでしまい、うつ病から始まり、適応障害、双極性障害、不安障害に陥り、精神安定剤にその苦痛を誤魔化すだけのために服用し続け、薬が薬物耐性のために効かなくなり、より質の高い多量の薬を飲むようになり、脳は完全に萎縮し、薬物性肝炎になり、離脱症状が怖くてずっと四六時中、血液に薬物が回っていて、半減期を迎える前に次の薬を多量に服用するので薬漬けになり、完全な薬物中毒患者に成り下がっていました。
それにこの我の強さが災いして、服用コントロールができず回復の道を妨げました。
自分が、とことん堕ちるとこまで堕ちて、どん底に到着して、底尽き体験をして、薬じゃどうにもならなくなったとき、もう依存に対して自分は無力であるということを認めざるを得なくなり、ならばどうやって、この依存症から回復するかを考え始めるようになりました。
しかし、長年薬漬けになった体は、そう簡単には元には戻りません。
脳に薬物による解放感や、恍惚感、高揚感などをインプットされてますから、器質的にも機能的にも、正常ではない、壊れた状態になっています。
脳から薬物の記憶を消すことは不可能です。
回復のためには、一生涯、薬物への依存との戦いです。一日一回だけしか飲まない。5分だけでも薬のことを思い浮かべない。そうやって、減薬から断薬に徐々に徐々に、スリップ、失敗を繰り返しながら、少しずつ薬物を体から減らしていき、半減期過ぎても離脱症状が出ないようにしていくしかありません。
それは、意志の強さとか我慢力だけじゃ絶対不可能です。頑張るのは無理。頑張ると言う言葉は『ガンバル』これは『我を張る』という言葉にも理解できると思いませんか?
我を張るのは私の得意分野ですが、さすがの私でも依存の魔力には勝てませんでした。
脳がやられちゃってますから。
それと、独りで回復させるのも無理です。必ず、回復のためには、モチベーションになる何かが必要です。
モチベーションは、自分以外の誰か。あるいは何かに求めるしかありません。
『孤軍奮闘』と言う言葉がありますが、これも孤高に闘うことと私は理解していますが、孤高に闘うにしても、回復と言う目標に向かって依存に打ち勝つためには、志気となり得る存在が欠かせません。
敢えて頑張るという言葉を使いますが、頑張って闘うには、自分の中の絶対的に揺るぎない〖土台〗がしっかりしてないといけません。
これは、意志の強さとかそういう意味じゃなく、『魂の強さ』とでも言うのでしょうか。
生きていくために必要な本能を司る、『潜在意識』に秘められている力の源とでも言うべき原理です。
これは、森羅万象の中で生きとし生けるもの全てに存在します。
そこに誰しも、絶対的に揺るぎない土台があります。そこに気づくことから自分の存在と言うものを客観的に視ることが要となってきます。
そしたら、独りではモチベーションを高めることはできないことを覚ります。
潜在意識の中では、生きとし生けるもの、皆、『アカシックレコード』と言われる時間も空間もない世界で、ひとつにつながっているという概念があります。
そこを顕在意識で自覚できるようになれれば、おのずとモチベーションの対象となる土台が見つけ出せるでしょう。
そこを原点にして、自分なりの回復プログラムを構築していければ、あとは実践あるのみです。
あなたが自ら立てた回復プログラムです。何も疑うこともありません。
話は我の強さから、えらいところまで展開しましたが、言わば、我の強さは生きる本能が強いことの証拠です。
我の強さは、両刃の剣です。ある時には自分を傷つけるし、ある時には敵をやっつける。堅陣な我の強さを、更に高みを目指して、両刃の剣を鍛え磨き続けていきたいものです。
馬鹿とハサミは使いよう。
自分の我の強さと上手く付き合って、できたらもっと上手に使いこなせていきたいと思います。
コメント、メッセージお待ちしています(ゝω・)
始まりました2018年!昨年は、最悪の年でしたが、年末年始にしっかり厄払いしてきたので、気持ち新たにスタート切りたいと思います!
今日は『我の強さ』と言うことで書きたいと思います。
私は半端ない我が強く、こだわりも強い男です。それは生まれつきのもんで、先祖代々からの血筋もありますが、自閉スペクトラム症という発達障害のため、物事に対するこだわりが異常に強いです。
我の強さは、これだと思ったらこれ!融通がきかない。臨機応変が苦手。他の意見を素直に受け入れない。自分で納得いくまで痛い目にあってあってあい続けて、やっと意思にたどり着くまで体験して、法則や理屈はあとからついてくる。
自分が中心で世界は動いている。
自他共に認める、たちの悪い頑固者です。だから人間関係は大の苦手です。
友達も、腐れ縁の悪友が一人いるんですが、彼が唯一の友達です。
彼も我が強いですが、天才的な感性を持っていて、価値観が同じなのと、お互いタフなので付き合えてると言えます。
私は、傍目は真面目で優しい穏やかな風貌で社交的のように見えますが、中身はコリッコリの一匹狼です。
今まで11回、仕事変わってるんですが、必ず人間関係で不調和になり、自分が中心で正しいと思ってるので、馴れ合いの上っ面だけ仲良くして、陰で悪口言ってるような輩はムシズが走ります。
それが上司だろうと先輩だろうと年上だろうと関係ありません。一度嫌いになったら、もう受け付けません。敵が味方かしかありません。
それで色々、損をしてるのは承知しています。
たくさんのものを失ってきました。
他を素直に受け付けないから、たとえいい人や物でも、見過ごしています。
学習能力低いから反省もできません。
でも今更、この性分を変えるつもりも全くありません。
だから例えば、今、薬物依存症になって、回復のためには、NA(ナルコティクス・アノニマス)のステップ12のプログラムの実践と、自助グループへの参加をし、ミーティングに出席するというのが良いと言われても、2~3回ミーティングには出ましたし、ステップ12も試してみたのですが、《自分なりに理解した神へ委ねる決心をした》ということが理解できないのと、同じ依存症者のスポンサーの人とトラブルになり、信頼関係が築けなかったので、自分には合わないと思い、やめてしまいました。
薬物依存症になるまでには、この社会の中で、こんな社会不適合者みたいな性格のために、色々なストレスの壁にぶち当たり、それを上手く立ち回れず抱え込んでしまい、うつ病から始まり、適応障害、双極性障害、不安障害に陥り、精神安定剤にその苦痛を誤魔化すだけのために服用し続け、薬が薬物耐性のために効かなくなり、より質の高い多量の薬を飲むようになり、脳は完全に萎縮し、薬物性肝炎になり、離脱症状が怖くてずっと四六時中、血液に薬物が回っていて、半減期を迎える前に次の薬を多量に服用するので薬漬けになり、完全な薬物中毒患者に成り下がっていました。
それにこの我の強さが災いして、服用コントロールができず回復の道を妨げました。
自分が、とことん堕ちるとこまで堕ちて、どん底に到着して、底尽き体験をして、薬じゃどうにもならなくなったとき、もう依存に対して自分は無力であるということを認めざるを得なくなり、ならばどうやって、この依存症から回復するかを考え始めるようになりました。
しかし、長年薬漬けになった体は、そう簡単には元には戻りません。
脳に薬物による解放感や、恍惚感、高揚感などをインプットされてますから、器質的にも機能的にも、正常ではない、壊れた状態になっています。
脳から薬物の記憶を消すことは不可能です。
回復のためには、一生涯、薬物への依存との戦いです。一日一回だけしか飲まない。5分だけでも薬のことを思い浮かべない。そうやって、減薬から断薬に徐々に徐々に、スリップ、失敗を繰り返しながら、少しずつ薬物を体から減らしていき、半減期過ぎても離脱症状が出ないようにしていくしかありません。
それは、意志の強さとか我慢力だけじゃ絶対不可能です。頑張るのは無理。頑張ると言う言葉は『ガンバル』これは『我を張る』という言葉にも理解できると思いませんか?
我を張るのは私の得意分野ですが、さすがの私でも依存の魔力には勝てませんでした。
脳がやられちゃってますから。
それと、独りで回復させるのも無理です。必ず、回復のためには、モチベーションになる何かが必要です。
モチベーションは、自分以外の誰か。あるいは何かに求めるしかありません。
『孤軍奮闘』と言う言葉がありますが、これも孤高に闘うことと私は理解していますが、孤高に闘うにしても、回復と言う目標に向かって依存に打ち勝つためには、志気となり得る存在が欠かせません。
敢えて頑張るという言葉を使いますが、頑張って闘うには、自分の中の絶対的に揺るぎない〖土台〗がしっかりしてないといけません。
これは、意志の強さとかそういう意味じゃなく、『魂の強さ』とでも言うのでしょうか。
生きていくために必要な本能を司る、『潜在意識』に秘められている力の源とでも言うべき原理です。
これは、森羅万象の中で生きとし生けるもの全てに存在します。
そこに誰しも、絶対的に揺るぎない土台があります。そこに気づくことから自分の存在と言うものを客観的に視ることが要となってきます。
そしたら、独りではモチベーションを高めることはできないことを覚ります。
潜在意識の中では、生きとし生けるもの、皆、『アカシックレコード』と言われる時間も空間もない世界で、ひとつにつながっているという概念があります。
そこを顕在意識で自覚できるようになれれば、おのずとモチベーションの対象となる土台が見つけ出せるでしょう。
そこを原点にして、自分なりの回復プログラムを構築していければ、あとは実践あるのみです。
あなたが自ら立てた回復プログラムです。何も疑うこともありません。
話は我の強さから、えらいところまで展開しましたが、言わば、我の強さは生きる本能が強いことの証拠です。
我の強さは、両刃の剣です。ある時には自分を傷つけるし、ある時には敵をやっつける。堅陣な我の強さを、更に高みを目指して、両刃の剣を鍛え磨き続けていきたいものです。
馬鹿とハサミは使いよう。
自分の我の強さと上手く付き合って、できたらもっと上手に使いこなせていきたいと思います。
コメント、メッセージお待ちしています(ゝω・)