自己紹介も兼ねて、私のこれまでの経緯を、したためようと思います。
私は、現在44歳、バツイチ独身で、山口県内で会社員をしています。趣味はアウトドア。キャンプが好きで、焚き火しながら酒を飲むのが楽しみです。年に数回、友人と一緒にキャンプに出かけ、一晩中語り合うのが至高のひとときです。
では、私の生い立ちから書かせていただきます。とてもネガティブな内容になりますが、ご容赦下さい。
私は、生まれながらにして遺伝的な発達障害があり、聴覚過敏や知能の遅れ、チック症などがあり、保育園の時からあまり他の園児とも遊ばない子供でした。
私の家庭環境は貧しく、父親は酒乱でいつも酒飲んで帰っては、家の中で大暴れして、母親に暴力奮ったり、私には妹弟がいるのですが、私ら子供にも暴力を振るったりしていました。
近所に飲酒運転で隣家に突っ込んだり、喧嘩したりして、警察に捕まったことも一度や二度じゃありませんでした。
私は、そんな父親の酒乱に怯え、臆病な性格になり、学力も低かったのもあって、暗く社交的じゃない子供で、小学生、中学生のころは学校で、イジメにあっていました。そのうち登校拒否になり、学力もますます悪くなり、中学三年生のころは、高校に進学できるかどうかも危ぶまれていました。
ある日、父親が酔っ払って帰ってきたとき、母親に大声で怒鳴り散らしてたあと、私が中間テストの試験勉強をしていたときに、父親が私のそばに来て、机の上にあった貯金箱を叩き割り、酒買ってこい!って、紙幣を投げつけてきました。
私は、怒りを抑えることができず、台所にあった包丁を取り出し、父親を刺しに向かいました。
私は、剣道をしてましたから、腕力には自信があったのですが、父親の力には適わず、包丁を取り返され、私目掛けて斬りつけてきました。
私は、玄関にあったバットを持って抵抗し、揉み合いになり、父親がひるんだ隙にバットで父親の頭を殴りつけ、包丁を落とした隙に外に逃げ出しました。
一晩中、外で過ごし、明くる朝、父親が酔いが冷めるのを見計らって家に帰り、二日酔いで寝込んでる父親に、昨夜のことを謝れと言ったら、全然覚えてないというのです。
母親も、このことがきっかけでノイローゼになり、その頃の父親は、暴力団関係の会社から借金をしていて、返済ができず、いつもヤクザが家に取り立てにきていました。
母親も、こんな環境じゃ子供らにとってもよくない。私の高校進学も出来ないと思い、父親と離婚しました。
そして、しばらく母親の実家で過ごし、そこで勉強して、何とか一番偏差値の低い高校に進学する事が出来ました。
母親の実家の近くに借家住まいし、母親と妹弟で母子家庭として高校三年間過ごしました。
私が、父親代わりになって将来、母親を安心させてあげたいと決意し、高校になってからは公務員模擬試験を受け続け、刑務所の看守として就職することができました。
もう、がむしゃらに勉強に打ち込み、小学生、中学生のころは通信簿で、いつも最低評価だったのが、公務員になれたことは奇跡でした。
それも、母親と妹弟を守らないとの思い一心で努力した結果でした。
私が、刑務所の看守として拝命し、母親に毎月仕送りしてました。ところが、別れた父親が、母親のいる借家の場所を突き止め、今でいうストーカーをするようになり、そのうち会わせろと言ってきて、借家に毎日居座るようになりました。
母親も、あまりに別れた父親がしつこく復縁を迫ってきて、復縁しないとお前ら殺して、ワシも死ぬと言いだし、怖くなって仕方なく復縁をしました。
私は、大反対でしたが、父親のしつこさに屈した母親は自立することができず、また父親と復縁し、妹弟とともに暮らすようになりました。
私は、守るべきものを見失い、両親に失望して、仕事に対する意欲を失いました。
そんな心荒んだ時期に、新興宗教にはまってしまい、職場の刑務官としての実務と、新興宗教の教義のギャップに苛まれ、ノイローゼになり、眠れなくなったり、抑鬱状態に陥り、仕事を休むようになりました。
そして、仕事を休んでも気持ちは晴れず、ますます寮に引きこもるようになり、新興宗教にも足が遠退いて、毎日酒をあおるようになりました。
それでも、抑鬱状態からは良くならず、不安感や焦燥感、イライラした気分が続き、体重も激減し、とうとう精神科へ受診に行きました。
精神科医からは、うつ病と適応障害と診断され、その日に生まれて初めて、精神安定剤を服用するようになりました。1ヶ月の休養加療の診断書を書かれ、病休で休むことになりました。1ヶ月の休養期間、週に一度、診察に行き、カウンセリングを受けたりしました。
しかし、毎日薬飲みながら、週一回カウンセリング受けに行っても、心荒んだ状態は改善しません。
仕事と宗教のギャップによるストレスもあったのですが、元の原因は、守るべきものを見失い、生きる意欲を削ぎ取られたことでした。糸の切れた凧のように、一度飛んでしまったら、どこに行くか分かりません。
幼少期からの発達障害と、父親から受けたトラウマ、両親への失望と、仕事と宗教のギャップによるストレス、発達障害の人は適応障害も併発していることが多く、不器用で、社会性や人間関係のコミュニケーション能力に欠陥があり、物事に強くこだわる特性があります。臨機応変が利きにくく、割り切って立ち振る舞えない。
そういう、元々の特質もあって、度重なるストレスに対処できず、根が深い心の傷を負ってしまったんだと思います。
結局、精神状態は緩和せず、カウンセリングも途中から行かなくなり、薬だけで誤魔化す日々が続き、薬も一時的で治す効果はなく、そのうち、酒と薬を同時に飲むようになり、作用が強まりラリってしまい、その恍惚感に溺れ始め、だんだん、まともな考えや感情が鈍くなっていき、薬の多剤服用が始まりました。
とても、復職できる状態ではなくなり、ラリって幻覚が見えたり、誰かに追い回されてるような被害妄想になり、復職を諦めて、依願退職しました。
次の仕事を見つけ、就いたのはいいんだけど、薬は手放せない状態で、人間関係に苦しんだり、仕事でミスを繰り返したりして、その仕事も辞めました。
それから、今日にいたるまで職を11回変わっており、途中で、一度彼女ができて恋愛結婚し、整体師の個人事業もしましたが、フランチャイズ詐欺に遭って、莫大な借金ができ、損害賠償だけじゃ返済しきれなくなり、自己破産しました。
妻にも離婚され、子供が男の子ひとりいますが、向こうに引き取られ、毎月、養育費を払いながら子供と面会交流し、今の仕事に就いて二年が経ちました。
今の仕事は、割と続いてた方ですが、薬の影響で通勤時に追突事故を起こし、車に乗るのが怖くなって、仕事を休むようになりました。
その頃は、既に、双極性障害、適応障害、発達障害、不安障害で、自立支援受給者証で精神通院をしておりました。
かかりつけのクリニックの薬だけじゃ足りず、精神科ハシゴ、いわゆる重複受診を繰り返し、多剤服用(OD)するようになり、前のブログでもかきましたが、多剤服用がバレて、精神病院に入院するハメになり、薬物依存症と診断され、入院中、激しい離脱症状にのたうち回り、5カ月の入院期間を終えて、それまで30種類以上服用していた薬も今は6種類に減薬され、何度かスリップもしましたが、現在は、回復に向けて、筋トレ100回毎日欠かさずやる肉体改造や、ウォーキング。いろいろな回復プログラムに参加してきて、毎日、アディクトの病魔と格闘しながら、スリップは今のところなく、暮らすようになりました。
精神疾患の根本治癒は薬じゃ出来ないと、身を持って底尽き体験をして、分かりました。
薬物依存症も、自分ひとりの意志の強さや努力だけでは。決して出来ないとも知りました。
まだまだ、回復者とは言えませんが、薬物依存真っ只中にいる人、回復者のスリップしない日々の努力の仕方。薬物依存と言うことすら、まだ自覚出来ない人の気持ちも分かります。
だから、思い切って、サークルを立ち上げました。
型にはまらない。まずは、現在のありのままの心の状態を、精神の汚物を、このサークルで吐き出していただければと思ってます。
みなさまの、フォロー、コメント、メッセージ、トピック立ち上げ、お待ちしています。
あなたは、ひとりじゃない。
あなたは、決して何も悪くない。
生きとし生けるもの、潜在意識と呼ばれる時間も空間も超えた領域の概念では、誰も皆、ひとつにつながっているといえます。
あなたが、己を真から自覚し、孤独じゃないことを覚ったとき、必ず、本当の安心と幸福を感じることが出来るでしょう。
私は、現在44歳、バツイチ独身で、山口県内で会社員をしています。趣味はアウトドア。キャンプが好きで、焚き火しながら酒を飲むのが楽しみです。年に数回、友人と一緒にキャンプに出かけ、一晩中語り合うのが至高のひとときです。
では、私の生い立ちから書かせていただきます。とてもネガティブな内容になりますが、ご容赦下さい。
私は、生まれながらにして遺伝的な発達障害があり、聴覚過敏や知能の遅れ、チック症などがあり、保育園の時からあまり他の園児とも遊ばない子供でした。
私の家庭環境は貧しく、父親は酒乱でいつも酒飲んで帰っては、家の中で大暴れして、母親に暴力奮ったり、私には妹弟がいるのですが、私ら子供にも暴力を振るったりしていました。
近所に飲酒運転で隣家に突っ込んだり、喧嘩したりして、警察に捕まったことも一度や二度じゃありませんでした。
私は、そんな父親の酒乱に怯え、臆病な性格になり、学力も低かったのもあって、暗く社交的じゃない子供で、小学生、中学生のころは学校で、イジメにあっていました。そのうち登校拒否になり、学力もますます悪くなり、中学三年生のころは、高校に進学できるかどうかも危ぶまれていました。
ある日、父親が酔っ払って帰ってきたとき、母親に大声で怒鳴り散らしてたあと、私が中間テストの試験勉強をしていたときに、父親が私のそばに来て、机の上にあった貯金箱を叩き割り、酒買ってこい!って、紙幣を投げつけてきました。
私は、怒りを抑えることができず、台所にあった包丁を取り出し、父親を刺しに向かいました。
私は、剣道をしてましたから、腕力には自信があったのですが、父親の力には適わず、包丁を取り返され、私目掛けて斬りつけてきました。
私は、玄関にあったバットを持って抵抗し、揉み合いになり、父親がひるんだ隙にバットで父親の頭を殴りつけ、包丁を落とした隙に外に逃げ出しました。
一晩中、外で過ごし、明くる朝、父親が酔いが冷めるのを見計らって家に帰り、二日酔いで寝込んでる父親に、昨夜のことを謝れと言ったら、全然覚えてないというのです。
母親も、このことがきっかけでノイローゼになり、その頃の父親は、暴力団関係の会社から借金をしていて、返済ができず、いつもヤクザが家に取り立てにきていました。
母親も、こんな環境じゃ子供らにとってもよくない。私の高校進学も出来ないと思い、父親と離婚しました。
そして、しばらく母親の実家で過ごし、そこで勉強して、何とか一番偏差値の低い高校に進学する事が出来ました。
母親の実家の近くに借家住まいし、母親と妹弟で母子家庭として高校三年間過ごしました。
私が、父親代わりになって将来、母親を安心させてあげたいと決意し、高校になってからは公務員模擬試験を受け続け、刑務所の看守として就職することができました。
もう、がむしゃらに勉強に打ち込み、小学生、中学生のころは通信簿で、いつも最低評価だったのが、公務員になれたことは奇跡でした。
それも、母親と妹弟を守らないとの思い一心で努力した結果でした。
私が、刑務所の看守として拝命し、母親に毎月仕送りしてました。ところが、別れた父親が、母親のいる借家の場所を突き止め、今でいうストーカーをするようになり、そのうち会わせろと言ってきて、借家に毎日居座るようになりました。
母親も、あまりに別れた父親がしつこく復縁を迫ってきて、復縁しないとお前ら殺して、ワシも死ぬと言いだし、怖くなって仕方なく復縁をしました。
私は、大反対でしたが、父親のしつこさに屈した母親は自立することができず、また父親と復縁し、妹弟とともに暮らすようになりました。
私は、守るべきものを見失い、両親に失望して、仕事に対する意欲を失いました。
そんな心荒んだ時期に、新興宗教にはまってしまい、職場の刑務官としての実務と、新興宗教の教義のギャップに苛まれ、ノイローゼになり、眠れなくなったり、抑鬱状態に陥り、仕事を休むようになりました。
そして、仕事を休んでも気持ちは晴れず、ますます寮に引きこもるようになり、新興宗教にも足が遠退いて、毎日酒をあおるようになりました。
それでも、抑鬱状態からは良くならず、不安感や焦燥感、イライラした気分が続き、体重も激減し、とうとう精神科へ受診に行きました。
精神科医からは、うつ病と適応障害と診断され、その日に生まれて初めて、精神安定剤を服用するようになりました。1ヶ月の休養加療の診断書を書かれ、病休で休むことになりました。1ヶ月の休養期間、週に一度、診察に行き、カウンセリングを受けたりしました。
しかし、毎日薬飲みながら、週一回カウンセリング受けに行っても、心荒んだ状態は改善しません。
仕事と宗教のギャップによるストレスもあったのですが、元の原因は、守るべきものを見失い、生きる意欲を削ぎ取られたことでした。糸の切れた凧のように、一度飛んでしまったら、どこに行くか分かりません。
幼少期からの発達障害と、父親から受けたトラウマ、両親への失望と、仕事と宗教のギャップによるストレス、発達障害の人は適応障害も併発していることが多く、不器用で、社会性や人間関係のコミュニケーション能力に欠陥があり、物事に強くこだわる特性があります。臨機応変が利きにくく、割り切って立ち振る舞えない。
そういう、元々の特質もあって、度重なるストレスに対処できず、根が深い心の傷を負ってしまったんだと思います。
結局、精神状態は緩和せず、カウンセリングも途中から行かなくなり、薬だけで誤魔化す日々が続き、薬も一時的で治す効果はなく、そのうち、酒と薬を同時に飲むようになり、作用が強まりラリってしまい、その恍惚感に溺れ始め、だんだん、まともな考えや感情が鈍くなっていき、薬の多剤服用が始まりました。
とても、復職できる状態ではなくなり、ラリって幻覚が見えたり、誰かに追い回されてるような被害妄想になり、復職を諦めて、依願退職しました。
次の仕事を見つけ、就いたのはいいんだけど、薬は手放せない状態で、人間関係に苦しんだり、仕事でミスを繰り返したりして、その仕事も辞めました。
それから、今日にいたるまで職を11回変わっており、途中で、一度彼女ができて恋愛結婚し、整体師の個人事業もしましたが、フランチャイズ詐欺に遭って、莫大な借金ができ、損害賠償だけじゃ返済しきれなくなり、自己破産しました。
妻にも離婚され、子供が男の子ひとりいますが、向こうに引き取られ、毎月、養育費を払いながら子供と面会交流し、今の仕事に就いて二年が経ちました。
今の仕事は、割と続いてた方ですが、薬の影響で通勤時に追突事故を起こし、車に乗るのが怖くなって、仕事を休むようになりました。
その頃は、既に、双極性障害、適応障害、発達障害、不安障害で、自立支援受給者証で精神通院をしておりました。
かかりつけのクリニックの薬だけじゃ足りず、精神科ハシゴ、いわゆる重複受診を繰り返し、多剤服用(OD)するようになり、前のブログでもかきましたが、多剤服用がバレて、精神病院に入院するハメになり、薬物依存症と診断され、入院中、激しい離脱症状にのたうち回り、5カ月の入院期間を終えて、それまで30種類以上服用していた薬も今は6種類に減薬され、何度かスリップもしましたが、現在は、回復に向けて、筋トレ100回毎日欠かさずやる肉体改造や、ウォーキング。いろいろな回復プログラムに参加してきて、毎日、アディクトの病魔と格闘しながら、スリップは今のところなく、暮らすようになりました。
精神疾患の根本治癒は薬じゃ出来ないと、身を持って底尽き体験をして、分かりました。
薬物依存症も、自分ひとりの意志の強さや努力だけでは。決して出来ないとも知りました。
まだまだ、回復者とは言えませんが、薬物依存真っ只中にいる人、回復者のスリップしない日々の努力の仕方。薬物依存と言うことすら、まだ自覚出来ない人の気持ちも分かります。
だから、思い切って、サークルを立ち上げました。
型にはまらない。まずは、現在のありのままの心の状態を、精神の汚物を、このサークルで吐き出していただければと思ってます。
みなさまの、フォロー、コメント、メッセージ、トピック立ち上げ、お待ちしています。
あなたは、ひとりじゃない。
あなたは、決して何も悪くない。
生きとし生けるもの、潜在意識と呼ばれる時間も空間も超えた領域の概念では、誰も皆、ひとつにつながっているといえます。
あなたが、己を真から自覚し、孤独じゃないことを覚ったとき、必ず、本当の安心と幸福を感じることが出来るでしょう。