メンタルケア ~希望へ向かって!~

現在、様々な依存症を含む精神疾患や、なかなか回復しない方々へ本当の貴方らしさを取り戻して戴きたい願いを込めて書いてます。

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共依存と依存

2018年01月12日 17時16分22秒 | 日記
今日は、共依存と依存について哲学的に考察してみたいと思います。

依存というものは人間誰にでも本能的に備わっています。
共依存というのは、人間がこの世に生を受けて生きていく上で、なくてはならない根本的な欲求であると思います。
産まれたばかりの赤ちゃんは、本能的に母親から栄養を授かります。
母親は母性により、本能的に我が子に自分の栄養を与えます。
これは共依存であり、そこには〖善〗のみ存在します。
野生の動物たちも同じく、母親は子供に生きてもらうために自分の栄養を与え、成長するに従って乳離れしたら、例えば、肉食獣であれば、他の動物を狩り、その肉を子供に与えます。
他の動物を殺すのは一見〖悪〗に思えますが、弱肉強食の自然の摂理に従って、生きるための術として百獣に与えられた本能です。
一殺多生。
そこには罪というものは存在しません。
自然の掟であり、生きていく上でなくてはならない共依存の原理であると言えます。
なので、この共依存というものは、誰にでも普く備わっています。

生きていくために必要不可欠な、許された欲求です。

人間には、この共依存の原理だけでなく、快楽・生きるため以外に自らの承認や自己実現を満足させるための欲望・愛憎の欲望という本能が備わっており、それを満たすための心理に働く依存というものが存在します。
それは、無為に自他を傷つける〖悪〗というものが存在します。

人間にだけ、依存には〖善〗と〖悪〗が備わっています。

それを司るのは理性と本能です。
理性は顕在的で本能は潜在的に、ひとつの人格として存在します。

その比重は、個々人によって当然異なり、そこに知性や価値観や畏怖の念などといった高度な思考が働き、アイデンティティやイデオロギーといったものが複雑に加わり、千差万別の人格を形成します。
そのような複雑極まりない人格の交錯によって、社会は構成されているので、当然、諍いが起こったり、差別や偏見などといった盲目の自己防衛や、すれ違いが生じます。

性善説という概念を基準にしてみれば、それらによって、人間の高度な精神は、否が応でも負荷がかかり、欲求が満たされず、ストレスという精神の汚物が蓄積されていきます。

それが、その個々人の人格によって適応出来なくなったとき、精神のバランスが崩れ、心の病を惹起します。
心が病めば、知性や価値観や畏怖の念らは、理性では保てなくなり、精神活動に様々な異常をきたします。
この苦痛に耐えられなくなったとき、自己防衛本能によって、精神活動はその働きを弱め、心の病と言う名の休眠状態になります。
これが、いわゆる〖うつ状態〗というものになります。
うつ状態は正常な精神活動の休眠状態です。
これを医学では病として捉えてしまい、休眠状態に入った精神は、ストレスに対応出来なくなり、不安感や抑鬱、不眠や焦燥感、イライラや倦怠感という症状が現れ、精神の汚物を吐き出そうとします。

しかし、理性によってそれは阻止され、休眠状態に入った精神は、雁字搦めの状態に陥ります。
その苦痛を抑えるために、依存の本能が剥き出しになり、アルコールや薬物、ギャンブルや性依存といった、毒をもって毒を制する自己防衛本能に火がつきます。

これがエスカレートしていくと〖依存症〗という病気の名がついてしまいます。
理想的には、精神活動が休眠状態に入ったときには、その状態を認識し、精神の汚物を吐き出してしまうか、じっと息を潜めて石のように動かないことが最善の回復手段です。

野生の動物は、身体に外傷を負ったとき、息を潜めて石のようになって回復するのを、ただひたすら待ちます。
これは人間も含めた全ての動物に備わっている自己防衛本能であると言えます。

医療が発展していない古代では、人は、自然の大いなる存在に祈り、心身の外傷が癒えるまで、ひたすらじっと回復するのを待ちました。
祈りによって、潜在意識とつながった自然の秘められたら力を享受し、奇跡と呼ばれる回復を図ったのです。

これは善からくる共依存の本能です。

奇跡とは、潜在能力を開化させたときに起きる現象のひとつです。

古代の人たちは、自然の大いなる存在に祈りを捧げることによって、潜在能力を開化させ回復する術を本能的に覚っていたといえるでしょう。
しかし、皮肉にも現代医学の発展によって、この潜在能力を開化する術は退化してしまったようです。

薬物の開発により、体の傷を治療するだけでなく、心の傷の痛みを麻痺させる薬が生み出されました。

アルコールやギャンブルによって、精神の汚物をますます腐敗させてしまう術が生み出されました。

本来の性善説によって保たれてきた共依存の本能は、瞬く間に衰退していってしまいました。
共依存は本来の在り方からかけ離れ、依存はまるで地獄の餓鬼のように、底無しの欲望に蠢いて、精神の休眠状態から死へと向かわせるようになってしまいました。

実に悲しむべきことです。

依存症は地獄へと向かう底無し沼です。
欲望にきりはありません。
向かうのは死しかありません。

本来、人間が持っているのは、善からくる共依存です。 
その本能を再び蘇らせるよう、深く瞑想し、自然の大いなる存在に祈りを馳せたいものです
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