田舎くらし

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四国100名城の旅(4)

2022年08月20日 | お城巡り

2日目
お宿から宇和島城へ行く


駐車場から歩いて、すぐに待ち構えるのは急な階段


右へ左へと振り回されて登る


歴史的には、天正3年(1575)西園寺宣久が板島丸串城の城主となる
慶長元年(1596)藤堂高虎が板島城の築城を始める
当時の地名が板島と呼ばれていたから 1601完成
しかし高虎は今治城に移り ここは城代の任せる その後1608年
富田信高が宇和10万石として1608年任されるが
1613年改易され 高虎預かりになる
1614年 東北伊達家から伊達秀宗(秀の字は2代将軍秀忠から一字もらう)
板島から宇和島に変更される




井戸丸門跡 深さ11m さらに進む


さらに急な階段を上り




藤兵衛丸 高虎時代の石垣が残るところ
二の丸跡を通過し本丸跡地に出る








小ぶりの天守が見える


現存12天守の1つ 1615年伊達政宗の長男秀宗が入城 
西国伊達家9代の城 重要文化財に指定されている
2代藩主宗利が1666年建築したもの高虎の城を撤去し
新しく自分の城を築城 千鳥破風 唐破風 武者走り
武者窓など備える 海水をお堀に入れている
本丸までは一の門 二の門 三の門を通らなければここまでたどり着けない


入城 当時の材木 古い時代をぃ感じながら
400年の歴史たまらんばい












最上階からお決まりの 東西南北の景色


高虎時代の石垣が残る野面積み


長門丸と呼ばれ 家臣の名が付いている 算木積み

宇和島城を後にして次に向かうは大洲城


高台にある 街からよく見える




駐車場から街並み 公園見ながらあるく


民家のすぐ後ろに石垣が残る 残し方があるだろう


昔の石垣が残るが残す方法あるだろう



この残し方


復元天守




中は木造で国産木材を使用


2004年に復元








大洲城は1888年天守が取り壊されてしまう
台所櫓と高欄櫓は残り現在は重要文化財に指定されている






大洲は1585年羽柴秀吉の四国平定後
道後湯築城を本拠地とする小早川隆景の枝城となる
戸田勝隆に代わり 次に高虎に移り 脇坂安治が洲本より入り
1617年に 加藤貞泰が米子より入城 4郡6万石所領
以後加藤家のお城として築かれていく

昼食後 湯築城に行く