広島湾に多くある島の一つ金輪島、本土から最も近く、最も島外者の来島が少ない島、それが金輪島です。
島の施設の大半が西武造船を主とする造船関連ですから、観光客が訪れることは滅多にありません。この島
にも防空壕跡や慰霊碑が存在します。金輪島は原爆の惨禍こそ受けていませんが、かっての太平洋戦争をく
ぐり抜けてきた歴史を持っているのです。
19:07分。金輪島の向こうには安芸の小富士”似島”、左に江田島
19:26分。金輪島西武造船
PENTAX K-7、”雅”WB CTEで撮影しております。
レンズは、Tamron AF 18-250mm F3.5-6.3 Di Ⅱ Aspherical [IF] macro A18を使用
島の施設の大半が西武造船を主とする造船関連ですから、観光客が訪れることは滅多にありません。この島
にも防空壕跡や慰霊碑が存在します。金輪島は原爆の惨禍こそ受けていませんが、かっての太平洋戦争をく
ぐり抜けてきた歴史を持っているのです。
19:07分。金輪島の向こうには安芸の小富士”似島”、左に江田島
19:26分。金輪島西武造船
PENTAX K-7、”雅”WB CTEで撮影しております。
レンズは、Tamron AF 18-250mm F3.5-6.3 Di Ⅱ Aspherical [IF] macro A18を使用
六十数年前に、どのようなことがあったのか、知る由もありませんが、このあたりにも、戦争の悲惨さをとどめる遺跡が残っていることは、確かです。愚かな一部の先人たちが突き進んだことを忘れてはならないのでしょうね。
ariawaseさん、お早うございます。
かっては、戦いの構築物が所狭しと築かれた島ですが、なごりの金輪ドックの名残の西武造船が、いまも続いています。夜景の照明に輝くと昼間とは違って、またかわった光景がきれいですね。
hirosaki-aさん、お早うございます。
海軍兵学校といえば、当時の若者たちにしてみれば、あこがれであり、エリートたちが多く集まった地ですね。国を挙げての軍国日本の思想が、年少の子どもたちに、ゆがみを持たせた考えにさせたのも事実でしょう。純真な若者の命が、ちりあくたのような扱いへとさせた終末戦争への悲劇を忘れることはできません。
いつまでも平和のための造船所でありますように。
よくご存じですね。当時の金輪ドックから西武造船へ、そして、西武造船の全株式を新来島どっくへ譲渡され、いまは「新来島宇品どっく」になっています。
もともと金輪島にあった旧陸軍野戦船舶本廠の造船施設を引き継ぎ、1951年9月に設立された金輪船渠株式会社だったのです。
kazuyoo60さん、今晩は。
これからは、新しい時代へと移行していかざるを得ないのでしょう。金輪島も旧陸軍野戦船舶本廠の造船施設を引き継ぎ造船所ができたという経緯はありますが、平和産業として地域に貢献してくれています。