ちょうせんデジカメ

PENTAXで撮った写真を載せた写真ブログです。毎日更新が目標ですが・・・・?

金輪島辺り

2009-08-12 | Tamron18-250mmF3.5-6.3
広島湾に多くある島の一つ金輪島、本土から最も近く、最も島外者の来島が少ない島、それが金輪島です。
島の施設の大半が西武造船を主とする造船関連ですから、観光客が訪れることは滅多にありません。この島
にも防空壕跡や慰霊碑が存在します。金輪島は原爆の惨禍こそ受けていませんが、かっての太平洋戦争をく
ぐり抜けてきた歴史を持っているのです。

19:07分。金輪島の向こうには安芸の小富士”似島”、左に江田島


19:26分。金輪島西武造船


PENTAX K-7、”雅”WB CTEで撮影しております。
レンズは、Tamron AF 18-250mm F3.5-6.3 Di Ⅱ Aspherical [IF] macro A18を使用

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7 コメント

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Unknown (だいせんのゆめ)
2009-08-12 05:22:00
金輪島、悲惨な歴史が残っているのですね。しかし、夜景はきれいで、そのようなことは語ってくれませんね。
美しい夜景です (ariawase)
2009-08-12 06:29:34
美しい夜景です。金輪島の小さな灯りかとも思いましたが、造船所の照明でしたか。夜景にはその美しさが、映えていますね。
兵学校の前途ある若者たちが、次々と先立って行く光景が目に浮かぶようで (hirosaki-a)
2009-08-12 08:10:15
江田島といえば、海軍兵学校のあった島ですね。兵学校の前途ある若者たちが、次々と先立って行く光景が目に浮かぶようで、物悲しくもこの夜景を見ていました。美しくも、むかしのことどもを、思い起こさせる美しい夜景です。
Unknown (kotarou-titi)
2009-08-12 08:28:28
だいせんのゆめさん、おはようございます。
六十数年前に、どのようなことがあったのか、知る由もありませんが、このあたりにも、戦争の悲惨さをとどめる遺跡が残っていることは、確かです。愚かな一部の先人たちが突き進んだことを忘れてはならないのでしょうね。



ariawaseさん、お早うございます。
かっては、戦いの構築物が所狭しと築かれた島ですが、なごりの金輪ドックの名残の西武造船が、いまも続いています。夜景の照明に輝くと昼間とは違って、またかわった光景がきれいですね。



hirosaki-aさん、お早うございます。
海軍兵学校といえば、当時の若者たちにしてみれば、あこがれであり、エリートたちが多く集まった地ですね。国を挙げての軍国日本の思想が、年少の子どもたちに、ゆがみを持たせた考えにさせたのも事実でしょう。純真な若者の命が、ちりあくたのような扱いへとさせた終末戦争への悲劇を忘れることはできません。
それにしてもきれいに写していますね (こんどる)
2009-08-12 09:35:55
宇品の金輪島、金輪ドックというのがあったような気がします。それが西部造船になったのでしょうか。それにしてもきれいに写していますね。
Unknown (kazuyoo60)
2009-08-12 14:37:17
戦争関連で江田島は聞きます。ここの場所なのですね。
いつまでも平和のための造船所でありますように。
Unknown (kotarou-titi)
2009-08-12 18:49:38
こんどるさん、今晩は。
よくご存じですね。当時の金輪ドックから西武造船へ、そして、西武造船の全株式を新来島どっくへ譲渡され、いまは「新来島宇品どっく」になっています。
もともと金輪島にあった旧陸軍野戦船舶本廠の造船施設を引き継ぎ、1951年9月に設立された金輪船渠株式会社だったのです。



kazuyoo60さん、今晩は。
これからは、新しい時代へと移行していかざるを得ないのでしょう。金輪島も旧陸軍野戦船舶本廠の造船施設を引き継ぎ造船所ができたという経緯はありますが、平和産業として地域に貢献してくれています。

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