今日は79回目の広島原爆記念日。
あの日私は、広島市から遠く離れた山間部に住んでいました。
広島市までの距離は約70キロ。
79年前のあの日は、国民学校の2年生でした。
朝、学校の校庭で、友達と鉄棒で遊んでいたら、突然ピカッと南の空が光ました。まばゆいばかりの光でした。
先生がびっくりして、すぐ校舎に入りなさいと言われたので、すぐみんな中に入りました。何事が起ったのだろうと思ったものです。
数日後広島に新型爆弾が落ちたそうな。と聞きました。ピカドンです。
あの時、もし広島市に住んでいたら、この世には自分の姿はなかったでしょうに。
食べる物がなく、ひもじい思いをしたあの頃。
山へ行って木の葉をとって、おかゆに混ぜて食べたり、道端の草を千切って食べたり、カエルやイナゴ、亀の肉など、食べられるものは何でも食べて、飢えをしのいでいました。
アメリカ軍の飛行機がビラをたくさんまきました。
上から紙切れがヒラヒラと落ちてきます。
拾って読んでみると、松の木に登った東条英機が首に縄をかけられ、下からアメリカ人が引っ張て、降参しろとか言っているビラだったのを記憶しています。
原爆死没者は昨日で、34万4306人になりました。
こんなにたくさんの犠牲者を出しました。
戦争はもうしてはいけません。
毎日オクラを収穫しています。
オクラを食べるのは飽きてきました。
こんな贅沢を云ってはいけません。
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