ブランディングとかクリエイティブという言葉にはどこか信用ならない、空虚で軽はずみな響きがある。しかも物凄く偉そうでもある。モノゴトの本質を見極めようとするときに、たやすくその言葉を使うとどこか薄っぺらな印象を与えてしまうことになりかねないことは理解している。しかし、その言葉に代わる適切な表現が見当たらないことも事実で、私の仕事は「北海道の一次産業のブランディング」です、と言わざるを得ない。
多くの農家に会った。儲かっている農家もいれば貧乏な農家もいる。その貧富の差は「作物の良し悪し」とは直接は関係なさそうだということがわかった(間接的には関係ある)。「自分の作物が、どこの家の食卓にのせられるのか、そこでどのような会話がされるのか」そのイメージができている農家か、できていない農家かで、同じ農家でも貧富の差が発生してしまうということがわかった。これがほぼ間違いなく真実だと思う。
しかし、イメージのできない農家に「イメージしろ!」と言えば途端に売上が伸びるようなそんな魔法はどこにもない。私の仕事はその「イメージの仕方」を困っている農家と一緒になって考えていくことだ。そしてできあがったイメージ通りの食卓にたどり着けるように、ひとつひとつの階段を作って一緒に登って行くことだ。もちろんボランティアなどではない。ここに「コミュニケーションスキル」が活かされるマーケットの可能性を感じたからこそこの仕事を選んだ。成功の喜びをシェアするために基本的には成功報酬方式で。自信がなければ決して成功報酬方式はとらないわけで、自分の中では「成功できるスペックや資質を持つ農家」の見極めさえ間違わなければ絶対に成功できるという自信を持っている。まぁ、成功に導くまでに破産しなければ、の話だが。