発毛治験報告書

あれから5年。ついに「禿」として生きていく覚悟を固めた不惑男の徒然。

ゲド戦記

2006年07月11日 | 甘辛シネマ道場破り
★★☆☆☆

ジブリ映画は何本かの例外を除けば作品の完成度として一定の水準をクリアしているため、良い作品悪い作品という論評のされ方ではなく「好きな作品・嫌いな作品」として取り扱われるケースが多い。私はトトロのファンであるが、トトロ好きな理由を理屈で説明することは難しい。あの「空気感」がたまらなく好きなのだ。適度な湿度と微かに薫る土の匂いと、爽やかな風に運ばれる森の酸素。千と千尋の時もそうだった。物語としての映画ではなく、鑑賞芸術として、観る側をその作品世界の中に引きづりこみ、現実にはあり得ない世界の擬似同居体験をさせてくれる。私にとってのジブリ映画、否、宮崎駿映画の魅力はそんなところにあった。
 一方、ストーリーとして楽しませる「ナウシカ系」も高く評価している。原作を読めばわかるが、ナウシカの物語で設定されている世界は恐ろしくディテールまで作りこまれている。実際の映画の10倍以上のディティールから抽出された2時間弱の作品は、芸術的とも言える論理的整合性に裏打ちされている。今回、息子の手がけた「ゲド戦記」は、どちらかと言えばこの「ナウシカ」を強く意識した作品と言える。

 「仏作って魂入れず」とはこの作品のことを言うのではなかろうか。ジブリ映画にはとびきり愛着があるのであえて苦言を呈する。

 私は原作を読んだわけではないので、原作がどのように描かれているのはわからないが、映画を観た限りにおいては、正直がっかりした。主人公アレンに一切感情移入することができない。なぜ父親を殺したのか、なぜテルーの歌を聴いて泣いたのか、なぜ死ぬのが怖いのか、なぜ立ち直ることができたのか、全くもって釈然としないのだ。人が泣いたり、笑ったり、怒ったり、悲しんだりする心の動きは、その当人に対する直接的刺激、つまり当人自体に大きな影響を及ぼす出来事(極めて私的な出来事)に反応するものである。「愛する人が死んだとか、受験に合格したとか、大切な人が殺されたとか」、直接自分に受けた刺激でなければすぐに反応することはできないのだ。「ゲド戦記」が駄作になってしまったのは、主人公アレンに対する刺激が一体なんだったのか、最後の最後までわからなかったためである。「生きることへの不安・死ぬことへの不安」、アレンのそうした不安の源がないがしろにされたのでは同情することすらできない。「生きることとは、死ぬこととは」という普遍的哲学的なテーマに挑もうとした監督の意気込みは理解できるが、それをあまりにもダイレクトに訴えようとし過ぎた点に、息子監督の青さがある。絵は素晴らしいし、音楽も良かった。演出はさすがジブリなのだが、残念だ。しかし、試写会での周囲の評価はさほど悪いわけではなかった。私の思い入れが強すぎたためであろうか、作品の完成度としては基準をクリアしているのだろうか。

日本沈没

2006年07月04日 | 甘辛シネマ道場破り
★★★☆☆

 日本沈没というテーマは40年前の日本社会においては、かなりのセンセーショナルなテーマであったに違いない。ディザスターもの、世紀末ものの草分けとして国民に衝撃を与えたことは容易に想像できる。ストーリーや構成、キャストがどうこうという問題ではなく、「日本沈没」という当時では想像だにしなかったタイトルのインパクトが大ヒットした唯一の要因だったと思う。
 40年を経たエンタテインメント業界では、日本が沈没することなど、もはや日常茶飯事となってしまった。地球に落ちてくる隕石を爆破するために労働者が宇宙にボーリングしに行く時代なのだ。40年前のインパクトを狙うなら、逆に「日本隆起」くらいの意味不明・支離滅裂なタイトルにしなければ話題性の喚起にはつながらないだろう。
 「富士山を皮切りに、次々と日本の国土はチョモランマの高さを越えていく、国民はすべからく酸素ボンベなしでは生きられなくなる。」みたいな。
 それはそうと、ヒットメーカー東宝の肝入りの当作品。完成度は高い。大ヒットした海猿と比べても、劣らぬ一大エンタテイメント作品と言える。キャストも申し分ない。この作品がヒットするかどうかは、「日本沈没」というタイトルが現代においてなおインパクトを持てているのかどうか、という点にかかっているような気がする。

東京ララバイ

2006年07月03日 | 薄毛以外の話
東京砂漠。今、私の仲良しの多くが、コンクリートジャングル東京での生活を始めようとしている。隣人も隣人ではなくなり、愛すべきブラザーも札幌を後にする。昨年の始めにも多くの仲良しが旅立っていき、その時はちょっぴり淋しい思いをした。
 しかし、少し時間が経つとそれは一時的な感傷にすぎないものだということがわかる。同じフィールドから異なるフィールドに移っていった仲間がいるというだけで、なんとなく自分のフィールドが広がった感じがして誇らしいし、同時に、「少しは自分も頑張らなければいけないなあ」と刺激を受ける。仕事も育毛同様に刺激が必要なのだ。寂寥感と前向きな気持ちとの狭間で揺れ動く微妙な薄毛心。 もはや隣人ではなくなった東京の隣人から今朝、早速メールが届いた。

暑さを除けば生活はなんだかイイ感じです。
みんなに死ぬほど脅されていた『ゴキ』も大丈夫そうです。

水風呂に入る瞬間と一緒で、いざ新しい生活が始まれば、それまで抱えていた不安や恐れは嘘のように吹き飛ぶ。入水後の澄み切って研ぎ澄まされたあの感覚で、心地よい期待感は広がっていく。『みんな頑張れ』、と素直に応援したい。それに比べて私は、相変わらずのぬるま湯生活である