発毛治験報告書

あれから5年。ついに「禿」として生きていく覚悟を固めた不惑男の徒然。

治験ファイナル

2006年05月25日 | 治験ドキュメント
ギックリ腰で日曜日の治験は流れていた。
月曜にムツミに行って、木曜日が「ラスト治験」の日になっていた。
そう、昨日のことだ。

会話は弾んだ。
最後のスクエアカットも一本一本噛み締めるように、思いが込められた。
引退する力士の断髪式さながらである。
実家の苫小牧まで治験薬を回収に行ってくれた男性スタッフが髪を切ってくれた。
有終の美を飾るにふさわしい最高のカット。
いつもと違い、洗髪後8時間も経過していたので、モニターに映し出される画像には
いつもよりオイリーな印象を受ける頭皮が映し出されていたが、さして気にならない。
(足の匂いがして、自分の匂いかどうか、すごく気になっていただけだけど。)

後頭部を撮影して、6ヶ月前の写真と今日のプリント、2枚を持って
診察医のもとに向かう。

最後の診察医は今まで登場しなかった初めての男性だった。
写真をしばらく見つめた後に彼は小さなため息をついた。

「‥‥素晴らしい、‥すばらしいですね。」

そこに置かれた2枚の写真、違いは誰の目にも明らかだった。

「ミノキシジルが、あなたに物凄くマッチしていた。‥ということですね。」
「そうなんですね。」
「お金はかかりますが、是非ミノキノジル、続けてください。」

治験スタッフのボスも賞賛の言葉を惜しまなかった。

「今回の治験者の中でも、特に効果の高い事例でしたよ。」
「そうですか。ありがとうございます。」

ミノキシジルとともに歩み続けた六ヶ月。長いようであっという間の六ヶ月。
結論から言えば「確かに毛髪は増えたし、太くなった。」
これはまぎれもない事実である。

私の治験はひとまず終了した。
スタッフの方々、本当にありがとう。

しかし、私の育毛ライフはまだまだ続く。

ラストムツミ

2006年05月24日 | 治験ドキュメント
「平日に、めずらしいですね。」
「ええ、本当は昨日だったんですけど、ぎっくり腰になって急遽、(治験は)今週の木曜にしてもらったんです。」
「そうですか。」

その日は月曜日、平日のムツミ通いは始めてのことだった。
私が最も信頼を寄せるリーダー格のスタッフが今日も私のカットを担当してくれた。
すでに私たちの会話には、主語も述語も必要としない。

私 「そこ、気持ち」
彼 「はい、短めにしますね。」
私 「‥‥」
彼 「‥‥」

心地よい沈黙の中、一つだけ気になる彼の言葉。

「今度で最後ですよね。どうでした?効果は?」
「は?はい。(あれ、見てもわからないのかな?)」
「ええ、良かった、と、思いますけど‥(わかりません?)」
「そうですか。」

少し淋しい気持ちになった。
しかし、しょげていてもしようがない。
気を取り直してムツミを後にした。

「また、必ず来ます。」
そんなつもりでいたけど、その強い思いは、頭髪同様、宙ぶらりんの薄れ気味になってしまった。

反撃

2006年05月15日 | 治験ドキュメント

15日が治験最終日という報告をしていたようだが、これは私の勘違いであった。 21日が最終日だ。前回が4月22日だったので、ちょうど一ヶ月間、薬を使いきってゴールテープを切ることにしたのだった。

 しかし、壮年性脱毛症という病魔は六ヶ月間の治療をもってしても克服できるものではない。治療を怠れば、たちどころに悪さを始める厄介者だ。恐らく、どんな努力をしても私の中のハゲウイルスを退治することは不可能であろう。ハゲウイルスは私の中に、一生棲み続ける。要はこのやっかいなウイルスに幅を利かせるスキを与えないことだ。

  と書いていながら、最近、気になることがある。私の中のよからぬハゲウイルスが治験薬に果敢な反撃をしかけているフシがあるのだ。

「ミノキシ隊長、あと一歩のところで、奴ら捨て身の反撃をしてきました。もう我々の手は読まれています。新しい毛乳頭が次々と破壊されています。ここは一度撤退すべきでは!」

「この戦いは消耗戦だ。放って置けばこのエリアは不毛地帯になる。このエリアを放棄して逃げ出すことは許されない。なぜなら我々の戦いにおける勝利とは、完全勝利でなければ意味がないのだ。我々はいかなる手をもってしても、すべてのエリアを奪回し、そこに豊かな緑(黒)を築かねばならない!」

今、私の頭皮で、このような戦闘が繰り広げられている。ミノキシ軍撤退まであと一週間。ミノキシ軍は確かによく頑張ってくれた。しかし、限界も感じている。次に投入すべきは「特殊部隊アデノゲン」なのか、「特殊工作員イノベイト」なのか、「ガッシュ勝平」なのか、勝負は采配にかかっている。


鯛さん

2006年05月11日 | 薄毛以外の話
昨年の春、新会社が発足するとともに、中国人の鯛(仮)さんが新しく社員として加わった。中国の様々な工場と直接ルートを持つ謎の男、鯛さん。店頭の什器POPやノベルティなどの販促ツールにおいては、彼のルートを使うことで、市場価格の50?以下での仕入れが可能になる。競合社との差別化の上では強力な武器になると考えた私は、早速、彼に見積を依頼した。口頭で依頼したこともあり、翌日、出張先から鯛さんが確認の意味でメールを送ってきた。

(前文略)
その数(枚数)がも一度教えて頂きませんか?正式の見積もり作りのために。
なお、
?納期の件関して
  製造(印刷)場合がデータを頂きから、納品までを3週間にかがります
データを形にイラストlllustrator ファイルaiの形戴ければ、問題がないです。
?「スタンドダミー」の納品ロット数について
  3体、4体、5体の場合があまりしないようです
  つまり、ウッドラックの素材が弱いなんですので
  ですから、一般的に2体の梱包状態をしております

てにをはが滅茶苦茶、中国人らしい日本語の間違え方である。しかしながら、なんとなく理解した。ただ、?の「つまり」と「ですから」の前後の文の因果関係がどうしても理解できない。ひょっとして、鯛さん、「日本語知らないふり」して、言いにくいことを煙に巻こうとしているのではないだろうか。

今思えば、彼に対する微かな疑念は、既にこの頃から芽生えていたのかもしれない。

地震体験報告

2006年05月10日 | 薄毛以外の話

南郷6丁目にある防災センターに行ってきた。もちろん仕事だ。約束の時間より15分ほど早く到着したため、地震体験コーナーでマグニチュード7のトルコ大地震を体験した。

 地震をナメていた。体験コーナーであるにも関わらず、意表をつかれた私はガスコンロも消さず、ガスのスイッチも押さず、テーブルの下に隠れてしまった。もちろん、「テーブルの下に隠れること」と事前に指示を受けていたからなのだが、揺れが納まるまで私はその場所を動くことができなかった。

 揺れが納まり、ようやく立ち上がった私の前の窓ガラス越しにおよそ10名の中学生の屈託のない笑顔があった。スーツ姿のハゲオヤジが冷静さを欠き慌てふためく様子を一部始終見られていたのだ。 1人の中学生が私にガッツポーズをして見せた。恐らく、その意味は「ドンマイ」であろう。たとえようのない敗北感で挑んだその後の交渉ごとがうまくいく道理などなかった。


if~予感

2006年05月09日 | 薄毛以外の話

最近気になる視線がある。もちろん、それは何かを予感させる異性の熱い視線である。もう一ヶ月以上前から気づいていたが、その視線は会社の建物の中の公共スペースで感じる。自意識過剰と思うなら思えばいい。

 出勤時、外出時、そしてあろうことか男子便所の中にまでまとわりついてくるその視線の正体、そう「掃除のおばちゃん」の熱苦しい視線である。年の頃なら60代後半の白髪熟熟熟女。

 私は、挨拶を重んじる人間である。普通に日常で顔を合わせる人間とは、必ずといっていいほど挨拶を交わす。階下のローソンのアルバイト店員にさえ、優しい言葉を投げかけてしまうのだが、その行為が、受け取る側の人間にとって「ひょっとしてこの人」と思わせてしまう面もあるのだろう。

 掃除のおばちゃんへの「おはようございます」が、彼女にとっては「好きです、大好きです」に聞こえたのかもしれない。ともかく、私が外出する時にエレベータ前で彼女に会ったりすると、「あっ、いってらっしゃい」と声をかけてくれる。その言葉に対しては当然「行ってきます」と答えるのだが、そうした挨拶の応酬が増えてくると、なんとなくさすがにめんどっちい。

 しかし、よくよく考えると「彼女から好意を抱かれていて、なんとなくうざったい」この気持ちと全く同じ感情を、彼女も抱いているのかもしれない。「なんかあのハゲサラリーマン、私にちょっと気があるのかなあ」なんぞ思われるだけならまだしも、私同様ブログで書かれていようものなら、目もあてられない。


嫌われ松子の一生

2006年05月02日 | 甘辛シネマ道場破り

★★★★☆

 「原作と映画どっちが良いか論争」、原作が有名な作品であればあるほどよく議論されることである。山田宗樹による小説を読んで、その後で中島哲也の手掛けた映画を観て、そのどちらも素晴らしい作品であったことを最初に述べておく。その上で、この映画は小説の「嫌われ松子の一生」とは似て非なるものだと言わざるを得ない。これは「小説・嫌われ松子へのオマージュ」作品と表現するのが正しい。

 オープニングのタイトルが「風と共に去りぬ」のパロディであるところから、スカーレットオハラのように「一人の自立した奔放な女性」として松子を表現し ようとしたことがわかる。また、「幸せを与える側」の女性にした上でエンディングにおいて松子を救済したところなども、中島監督が松子自信に惚れ込んだからこそなせる業だったのだと思う。この作品に対する監督の愛情の深さが随所に見られる佳作であった。下妻物語の監督だから、一級のエンタテイメント作品になることは最初からわかっていたが、さすがである。

 しかしながら、小説を読んでいた人がこの映画を観て満足できるかと言えば、そうは思わない。松子への愛情が深すぎる余り、大切なポイントが欠落しているのだ。ネタバレになるので詳細には触れないが、小説にあって、映画になかったもの、それは「絶望」である。映画の松子は「絶望」していなかった。小説では、松子の絶望があったからこそ、最期を迎える日の「一瞬の希望」が鮮明に浮かび上がり、この物語にメリハリがついていたのだ。ストーリーとして物足 りなさを感じるのはここが原因であろう。

 私も小説に対して思い入れが強いので、随分と踏み込んだ内容になってしまった。この作品は小説も映画も必ず鑑賞するべし。 後悔はしない。


使用前

2006年05月02日 | 治験ドキュメント
 抜け毛が目立つようになった。治験薬は欠かさず使い続けているのにも関わらずだ。一体どうしたことだろう。気になって調べてみた。私は戌年なので、まず犬の換毛期(毛の生え変わり時期)について調べてみた。予感は的中した。春と秋が犬の換毛期ということらしい。私にとって今は抜け毛が目立つかわりに、発毛の勢いも増している時期ということだ。治験もクライマックスを迎え断末魔の叫びの如くラストスパート真っ只中なのだ。
 後頭部の白い部分の光沢がなくなっただけではない。報告が滞っていたが、額の生え際にも無数の産毛が嬉々としてひしめき合い、額から後頭部にかけて微妙に透き通って見えた白い頭皮も、今や肉眼では捕捉不可能である。
 とは言いつつ、しばらく写真公開もないのに、増えた増えた・もっさもっさ生えてきた、と述べたところで、所詮『テレクラとか出会い系で「私は沢尻エリカに似ているとよく言われる」と言われるようなもの』とお思いかもしれない。確かにその通り。しかし、後頭部の写真を撮るということはなかなか難しいのだ。気合入れて三脚なども準備しなきゃならないのだ。まあ、でも写真がないと読者のみなさんはきっと納得しないと思うので、頑張って撮ってみようかと思います。近日中にアップします。今回は、比較する上で重要なので、治験前の写真(近似値-α)をアップしておきます。

NO ミノキシ NO HAIR

2006年05月01日 | 薄毛考察
治験終了後の計画を立てようと育毛剤についてあれこれ調べてみた。「発毛成分」というキーワードで検索をかけると、まずは本治験薬の主成分「ミノキシジル」が筆頭にあがる。おさらいの意味で目を通すと、とんでもないことが書いてあった。

【(ミノキシジルは)血行促進作用と、抗男性ホルモン作用を持つ為、 過去15年間の間、一番効果があると言える発毛成分。ただし、これによって生やした毛はミノキシジルによってのみ維持できるといわれてます。製造元も認めています。つまりずっと使いつづけなければならないといわれてます。】

私が半年かけて大事に育ててきた毛根も毛髪も結局は「ミノキシジル」の庇護の下でしか生きながらえることはできないのだ。さすれば、他の育毛剤を使って発毛活動を継続していくことなど望むべくもないということか。4.5年前に母親がオレンジの皮(発毛効果のある成分リモネンを多く含む)と日本酒で作ってくれたオリジナル育毛剤「オレカワウォーター(命名:私)」を復活使用する私の計画はもろくも崩壊してしまった。現在市販されているミノキシジル製剤は「リアップ」だけ、これを続けていくためには5000円/月の費用が今後半永久的にかかるということだ。これを高いとみるか安いとみるかは、考え方と経済力次第なのだが、ぶっちゃけ、高い。大正製薬にお願いして「モニタリングによるブログ報告をするから、商品協賛を依頼する」作戦しかあるまい。そのためには、このサイト自体がある程度の影響力を持たなければいけない。今までやったことのない「トラックバック」などを積極的にやって、アクセス数を伸ばしてみるか、めんどくさいけど。