発毛治験報告書

あれから5年。ついに「禿」として生きていく覚悟を固めた不惑男の徒然。

刀剣で斬る

2005年11月30日 | 治験ドキュメント
「こんにちは。」
  愛想の良い看護師がエレベーターの前で待ち構えていた。 10分早く着いたというのに、待ち時間もなく、その日のプログラムにスムーズに乗った。
 クリニックに行き、問診、血圧測定、身長・体重測定、心電図検査と、20分程度で済んだ後、前回屈辱を味わった診察へと進んだ。
  今日の診察医は女性であった。ブスでもなければキレイでもない。極々印象の薄い容姿である。対応の面でも、暖かくもなければ冷たくもない、あらゆる面で極々印象の薄い先生だ。だから、彼女が実際に喋った言葉もニュアンスでしか聞き取れない。わかりにくい例えだが、ドラえもんの「いしころぼうし」を被っていたかのような存在感のなさだった。
 その先生が何か言ってる。何かを言って脱毛カルテに記入している。前回の先生と同様、私の視界に入らないようにコソコソと書いている。私はなんとか脱毛所見の部分だけでもチェックしようと目を離さなかった。前回の「硬毛殆どなし」を受けて、彼女は何を綴るのか。

「頭頂部には硬毛あり」

偉い!と私は心の中で叫ぶ。カルテで私をフォローしなくても別にいいのに思いやりのある人だ。‥‥と、思った矢先、

 「しかし頭皮は透見できる。」

  なんぢゃそりゃ、そんな言葉は始めて聞いたぞ。そんな専門的な造語のクセに一瞬で理解できる自分が悔しい。全くもって的を射た「透見」という二文字に今回は舌を巻くしかなかった。

 そんな関心も束の間、彼女は別のことを言いだした。 どうやら、私は髪を短く切りすぎたようなことを言ってる。反論する私。
 「いや、二日前に、僕のほうから念のため確認したんですけど、やっぱり散髪はしてくださいって言われましたよ。」
 困った顔をして看護師と話している。看護師が部屋を出て別の先生を呼んできた。その男の先生は入室するや否や私の頭頂部をチェックした。
 「ああ、すみませんね。あと一週間待ちますか」
 辛い思いをして床屋探しをしていた自分の姿が思い出される。しかし、ここで怒るのも大人げない。今日は引き下がろう。
 結局、私のモルモット生活はさらに一週間後に伸びてしまった。

沈黙の散髪

2005年11月29日 | 治験ドキュメント

 街の中心部まで来てしまった。信号の向こうでは新規にオープンする美容室のチラシ配り。その瞬間ある種の恐怖心に苛まれる。マッシーニなしの自分がこんなちっぽけな男だったとは思わなかった。
 電話ボックスがあったらとっさに駆け込んで、「もしも薄毛が最もお洒落だと思われる世の中だったら」と受話器に話しかけてしまいそうな自分。そんなのび太チックな気分のまま私は再び地下街へと堕ちて行った。
 北海道銀行本店ビルの半地下に小さな佇まいの店を見つけた。

「ムツミヤ理容所」 

 残された時間は僅かだ、意を決して飛び込もう。

「いらっしゃいませ」 

 気負いのない地味な挨拶、5人の「いらっしゃいませ」だ。客が2人だから明らかに供給過剰のお店だった。元気のないリーダー格のヒゲを蓄えた40前後の男が私を一番手前の席に案内した。
 頭頂部を一瞥し、一呼吸置いて彼は言った。

「今日は、どのようにしますか。」
「全体的にちょっぴりだけ短くしてください。1センチくらい。」
「はい」

余計な会話はない。不器用じゃ困るが、不器用そうな男だ。しかし、私には彼が何か言いたそうでたまらない気持ちになっているような気がしてならない。

チョキチョキチョキ。

頭頂部を一瞥。

チョキチョキチョキチョキ。

頭頂部を一瞥。

チョキチョキチョキチョキチョ。

頭頂部を一瞥。

チョキチョキチョあー我慢できない。これじゃ、心が通じ合わないままヘアカットは終わってしまう。私の根負けである。
「えええとお、頭頂部なんですけどお、四角い部分だけ異常に短いですよね」
指で四角を作って見せるおどけた自分。
「ええ、そうですね。」
「今ちょっとお、実験中なんですよお。」

自ら切り出してしまった。寡黙な男には勝てない。その後は、昨日自分が描いたシナリオ通りの解説が続いた。
「治験って知ってます?かくかくしかじか云々」  

 カットは満足のいく出来だった。さすが床屋。いざ出陣。


床屋トラブリュー

2005年11月28日 | 治験ドキュメント

 11月26日、その日は朝から憂鬱な気分だった。

 床屋を選択しなければならない。成り行きに任せたとして、今の自分にフィットする床屋に出会うことはできるのだろうか。 治験開始時間は午後2 時。大通り駅近くの電車通りを歩く。マッシーニを噴霧しない状態で歩く。赤・青・白の斜めの三本線がグルグル回って上に昇っていくサイン、見つけた。

 「ヘアーサロン ロード」

 汚い手書きでやる気のない感じの看板に、「お洒落さ」とは無縁の職人気質を感じ取った。「ロード」は「神」を意味する言葉であり、気持ち的には神 にもすがる思いだし、まさにこれは運命的な出会いだと感じ、看板の案内矢印に従った。地下への階段を下り、左折、そして右折。薄暗い地下フロアは、秘密結 社のアジトを彷彿とさせる。店の前に立ち、ウインドウ越しに見える店主の後姿。50~60代の後頭部だ。白と黒の比率が2対1のゴマシオボリューミーパン チパーマ。地肌が一部認識できる適度な薄さ。まさに「お洒落さ」とは無縁の職人気質。アンド職人毛質。ダークダックスとかボニージャックスとか、昔の歌謡 グループのメンバーの一員だったかのようなフレンドリーさも兼ね備えている、そんな背中のオーラ。完璧だ。迷うことなく、扉を開けた。ドアの開閉で動く チープなベルが「チリリン」と鳴る。

「あぁ、2時まで予約いっぱいなんだわぁ、ごめんねえ」

この店主憎めない。なんでもないようなことで、好感が持てる。しかし、今は11時、治験は14時開始、無理だ。口惜しいがこの店へこだわっても居られないのでほかの店を探すことにする。

意外にも理容院のサインは多かった。赤・青・白のグルグルサイン。「みのしま理容院」「モダン理容室」「赤ひげ理容店」。50メートル置きにグルグル回っている。

 だが、一軒目がNGだったせいか、心にブレーキがかかっている。慎重になりすぎて二の足を踏む自分がいる。街を彷徨う自分。みじめな自分。今の自分には「高田ひさしの店 カットインひさし」ですら手ごわい。

街頭に掲出されたイギリス国旗やフランス国旗をあしらった看板、その色使いを見て

「理容大国…」

とつぶやき淋しく笑う自分。治験はあと3時間後に迫っている。


デビルズヘアカット

2005年11月25日 | 治験ドキュメント
 治験会社の使者から電話をいただいた。明日の治験についてのガイダンスだった。  説明を聞いて一つの誤解が解けた。「散髪禁止令」ではなく「治験直前散髪令」が正解だったのだ。
 「治験時は常に同じヘアスタイルで」ということらしい。極短スクエアカットの頭部をさらけ出して床屋に行くのもある意味拷問だがルールはルールだ。
 床屋さんはそのカット部位を見て、まずどう思うのだろう。  
 「新しい!」と歓心する床屋、「こいつ、ひょっとしてサイボーグかも」と訝る床屋、「治験患者か」とズバリ言い当てる床屋、気づかない床屋。いろいろな床屋がいるはずだ。
 明日、治験前に私は床屋に行く。決して美容院ではない。美容院には12年前から行っていない。仰向けになり顔面にガーゼを置かれ洗髪されたのは13年前が最後だ。
 最近は床屋にも行ってなかった。バリカンによるセルフカットでこの数年はお茶を濁してきた。故に明日の床屋は今から緊張している。まず、この不自然なカットについての説明が必要だ。
 「治験って、知ってます?ほら、ご覧の通りの薄毛ですからぁ、チラシの募集に?遊び半分で?申し込んでみたら、合格しちゃって、こんなんカットされちゃって、ホント、まいりましたよ。‥‥いや、別に気にしてるってほどでもないんですけど、ええ。」
 オーソドックスな切り出し方だが、なんか卑屈だ。もっと正々堂々とカッコよく決めたい。
 「わかります?わからないだろうなあ。」
と、ニヒルに決める手はあるが、松鶴屋千とせと紙一重である。まあ、成り行きに任せるとしよう。

ラーメンスープのだし

2005年11月24日 | 治験ドキュメント
 モルモット生活が始まったら、封印しようと思っていることがある。
  「ラーメン」だ。私が胎児だった頃、母がラーメンばかり食べていたおかげで、私は味噌・塩・醤油、味に関わらずラーメン大好きっ子なのだ。この季節、最も食べたいのはスープを覆うラードの層が分厚いラーメン、純連系のラーメンだ。 
 しかし、その塩分および脂の摂取量と髪の毛の量は反比例の関係にある。明後日から封印することを考えれば、今日のうちに食べてしまおうと思い、図らずも私は「自殺行為」を働いてしまった。
 「山岡家」である。かつて、泥酔状態でこのラーメンを口に入れ、その瞬間に嘔吐、まる2年間封印していた経験のある、不衛生不健康ラーメンの最高峰だ。
 店に入ってから、このブログに山岡家のことを書こうと思いながら、寸胴鍋の中身を想像した。鶏ガラはきっと「禿鷹」のガラだろうとか、トンコツは「禿豚」の頭骨だろうとか、そんなことを考えている段階はまだよかった。最終的に、生後間もない赤ちゃんとか入ってたら、ということまで思いが巡ってしまい、吐き気をもよおした。折角の最後のラーメンを美味しく食べれなかったのは残念だった。

成功法則

2005年11月23日 | 薄毛以外の話
 「ツキの大原則」という本に悪い意味で刺激を受けた私の尊敬する先輩にその本を見せてもらった。筆者の西田氏は正真正銘のあからさまな禿頭である。この本の「価値を転換する魔法」という見出しの記事で、
  『もし髪がフサフサだったらと考えると、ゾッとする。』
という発言をしている。この筆者、どうやら虚言癖がありそうだ。
 『短所は、それに自信を持てば、他人の目に長所として映る。』
という主張をしたいがために、自分の薄毛の話を持ち出しているのだが、薄毛に関してはこのことはあてはまらない。いくら自分は薄毛だ、と自信を持ったところで、他人の目に映るのは「禿頭」以外の何ものでもない。薄毛は気持ちの問題でなくて、見た目の問題だ。いくらプラス思考で「おいら陽気な禿頭」と触れ回ったとしても、それは単なる「自虐系」として受けとめられるに過ぎない。
  『あらゆる弱点は自慢した瞬間からプラスに転換する』
 と言うが、真剣勝負の格闘技で怪我がばれてしまえば、そこを狙われてたちまち不利になってしまう、ということを考えれば、弱点はあくまでも弱点だ。自慢するようなものではない。誤解を避けなければならないが、私はここで「薄毛は薄毛を自慢するべきではない」という主張をしたいわけではない。
 私がこの本に対して立腹しているのは「薄毛=弱点」という前提で、このロジックを展開している点である。この本で扱う「弱点」の文脈に「薄毛」も含めてしまうのは甚だ疑問だ。
 それ以外は、結構イイコトを書いている。自己啓発系の本は大嫌いなので、きちんと読むことはないと思うが、ハゲダッチ1号のような営業マンに是非オススメしたい。この西田という男は和製PJM(ポール・J・マイヤー)である。

剛毛相談

2005年11月22日 | 薄毛考察
「髪の毛が太すぎる。髪の毛の量が多すぎる。おでこが狭すぎる。」
 という悩みを持っている人間も結構いるらしい。贅沢な悩みである。 最近はそういう悩みを持つ人の話をめっきり聞かなくなった、やはり年のせいなのだろうか。
 あれ、否、違う。周りが私に気を使って、そのような『嫌味』な話題を持ちかけなくなったのだ。なんかもう今日は、終了、って感じである。写真はシマミミズの剛毛だが、特に言いたいことはない。失敬。

自己管理能力

2005年11月21日 | ルックスネタ
 モルモット開始まであと五日と迫った。待ちの期間が長すぎる。マッシーニもこの週末で使い切ってしまった。
 半年もかけて実施する治験なので、毎日報告していたらその変化を感じることができないだろう、と余計な心配事をしてしまう。変化が劇的になるように「ダイエット」なども同時に実施してみようかとも思う。
  加齢臭がキツくなってきていることを自覚している。モルモットになればすべてが解決されるわけではないので、今から自己管理をきちんとしなければならない。自己管理能力の問われる半年間だ。
 10年前、「自己管理能力のない人間は嫌いだ」というお客様から肥満の上司が出入り禁止になっていたことがあるが、私も笑ってはいられない。今のところ 「薄毛」が理由で出入り禁止になったことはないが、薄毛に肥満や異臭がプラスされれば、その可能性も飛躍的にアップする。誰も「三重苦を背負った気の毒な 男」などと同情はしてくれない。まず、治験が始まってから、現在の体重を1ヶ月で3k減らそう。参考までに現在は73k。ベスト体重は63kである。

間違いだらけのカメラ選び

2005年11月18日 | 薄毛以外の話
ハゲダッチ1号から、
「ビデオカメラを買いたいのでオススメのカメラをブログで紹介してほしい」
との連絡が来た。このブログは薄毛専門なので全くの別ジャンルである「ビデオカメラ」の話などできるわけがない。
 すでに全国2万人の読者を獲得している当ブログにおいて、一個人の極めて「わがままな」リクエストに答えることなどできるものか。
という高飛車な態度は謹んで、そのわがままな要求に応えようではないか。あくまで顧客満足重視スタイルである。

GR-DF590 ベビームービー 【VICTOR デジタルビデオカメラ】

 これがよい。しかし、タイトル通りこの商品の選択は間違いだらけの可能性もある。十分に確認されたし。
 今の時代、新商品はバカを見る。メーカーの戦略に騙されモノマガ的雑誌で新商品を購入するなど愚の骨頂。型落ち機種を選んで、半値以下で購入。ちなみに私は、保証期間の1年以内、購入後11ヶ月にクレームをつけて、新商品と無償交換した経験があるが、これを繰り返せば、常に最新機種を持ち続けることができる。
 ハゲダッチ1号には購入したビデオカメラで体中の毛という毛を撮影していただき、当ブログで公開させていただくことにする。乞うご期待。

母の後悔

2005年11月17日 | 薄毛考察
今年の夏、母が大病を患った。「もう長くはない」
駆けつけた病室で、小さな小さな母が震える声でそう言った。何も言えず病室を出た私は、恩返しなど何一つできていないことに初めて気がついて、それが「嘘であってほしい」とただひたすら祈った。

結論から言うと嘘だった。
今は退院して元気にしている。ポリープはことごとく良性だったらしい。
人騒がせな母親である。私も会社を休んで胃カメラを飲んで、結果異常なし、という診断をされたことが2回あるが、「やはり親子」と納得した。
そんな母親が、私の頭部を見るたびに後悔している。

「何故、おなかの中にいた時に「ひじき」をたくさん食べなかったのだろう。」

私が中学生の頃、歯が虫歯だらけになった時、

「何故、おなかの中にいた時に「牛乳」をたくさん飲まなかったのだろう。」

とよく言っていた。どうやら同じノリらしい。


薄毛伝道師

2005年11月16日 | 薄毛考察
最近の発毛治験ブログに対して痛烈な批判の声が届いた。
「小難しいゴタクを並べて論じる様は、あたかも裸の王様のようだ。自意識過剰にもほどがある。」
そう言われている気がした。被害妄想癖のある私だか、この解釈に間違いはない、ような気がする。
ちなみに「最近、髪型が変だ」とまで言われている始末。
 確かに最近のブログは「知ったかっぽい薄毛コラム」ばかりで、臨場感溢れるドキュメントは掲載できていない。
治験が始まらないからしようがない、という理由以外にも、薄毛にまつわるエピソードなんてそんな頻繁にねーよ、という理由がある。
そうなのだ。「薄毛」なんてそんなものだ。私の頭部は薄毛だが、薄毛で頭の中も満たされていると思ったらオカド違いのスットコドッコイである。私にも薄毛の事以外にも考えることは山ほどあるのだ。「たかが薄毛」なのである。
しかしながら、「されど薄毛」でもある。
至るところに転がっている「薄毛にまつわる悲喜こもごも」を拾い集めて語り継いでいく伝道師の役割を勝手に仰せつかった気分でいる以上は、この仕事をまっとうしなければならないと思うのだ。
その崇高な使命感はフランシスコ=ザビエルそのものである。

進化論的発毛法

2005年11月15日 | 薄毛考察
「発毛」研究者へ、新しい発毛へのアプローチ方法を提言したい。

 人体のすべての器官には機能が備わっている。生きる環境が変われば機能の必要性もまた変化する。必要のない機能は退化する。尾骶骨や盲腸がその名残だ。これがダーウィンの言った「進化」の考え方である。このような「進化論」の文脈で「薄毛」を捉えると新しい発見がある。
 「毛髪」の本来持っていた機能が必要とされなくなった結果として「薄毛」になる。では毛髪が本来持つ機能とは何なのか。調べてみた。『有害物質排泄機能』とある。体内に取り入られてしまった水銀・カドミウム・砒素・鉛・アルミニウムなどの様々な有害重金属類を体外に排泄する機能が毛髪の役割だというのだ。この機能の必要性のない人が禿るというのだろうか。
 それであれば進化論的発毛法はこれしかあるまい。「有害金属物質」を少量ずつ摂取することで毛髪の機能を活性化させる「イートメタル発毛法」だ。その昔「自転車を食べる男」という猛者がいたが、この男の真似をすれば髪の毛は生えるはずである、理論上は。(この男が禿ていたら身も蓋もない話だが)
しかし、そんな無謀なことはしたくない。やはり治験に賭けるしかないのだ。「薄毛」は人類の進化系。発毛してわざわざ退化させることもないが、先端を行きすぎても嫌味なので退化してやるとするか。
 

芸術と薄毛

2005年11月14日 | 薄毛考察
 薄毛の俳優は多い。しかし、音楽業界で幅を利かせている薄毛と言ってすぐに思いつくアーティストはなかなかいない。松山千春とフィルコリンズくらいな ものだ。長老アーティストを思い浮かべてもフサフサフサのオンパレードだ、スティービーワンダー翁、ジミーペイジ翁、スティーブンタイラー翁(エアロスミス)、いずれもダメー ジヘアだが毛根に衰えは感じない。音楽業界において薄毛の肩身はとりわけ狭いのだ。  
 原因は諸説あるだろう。「音楽の父はバッハだから」説はビジュアル的に最も説得力がある。バロック音楽と結びつきの深いヘビメタ業界で「薄毛」が「出入 り禁止」を意味することを考えても信憑性の高い説ではあるのだが、いかんせん根拠がない。ここで詳しく言及するのはやめておこう。
 私が問題にしたいのは、世の中に「ラブソング」は氾濫すれど「ハゲソング」は一曲として聞いたことがない、という忌々しき事実である。まあ、確かに「伝えたかったハゲソング」なんて言われて伝えられても困惑するに違いないが。
 「薄毛」というモ チーフを使って、ムーディーな曲を作れるわけがないし、ノリの良い曲も難しそうだ。そう考えれば音楽だけじゃなく、映画や小説分野においても、ロマンチックな物語やファ ンタジックな物語を作ることは辛いだろう。サスペンスもバイオレンスも緊張感が欠如してしまう。レクター教授(羊たちの沈黙)は薄毛ではあるが、ストーリー上「薄毛」の必要 はなかった。私の知る限り「薄毛」がテーマ足り得た作品は「ハゲしいな桜井くん」くらいである。芸術分野における「薄毛」の今後の活躍に期待したい。

悪魔の使いは誰か

2005年11月12日 | 治験ドキュメント
 ブルースウィリスだってジダンだって後頭部の薄毛率が高まると否応なく短髪にせざるを得なかったはず。長髪にすることでコントラストが鮮明になり、「ハゲっぽさ」が際立ってしまうからだ。その極端な例が「アルシンド」だった。

 正直に言おう、今私は「アルシンドへの道」を一直線に歩んでいる。「カリートへの道」みたいにカッコの良い道ではない。

 『散発禁止令』の残酷さを今になって痛感している。あの治験会社には悪魔が宿っているのかも知れない。ひょっとすると発毛治験とは名ばかりで、「人はどれだけ羞恥心に耐えられるのか」という低俗なバラエティ番組の企画みたいなことを、ロシアの大富豪から委託されて実施しているのではないだろうか。大富豪はその経過報告を受けて、大声でせせら笑うのだ、ハバナ産の葉巻をくわえて。
 幸い私には「黒い霧」があるので、なんとかその場を凌いでいる感じではある。しかし、マッシーニの消費量と後頭部の不自然感は増すばかりだ。困る。噴霧されたマッシーニは時として頭部を直撃せずに、鏡や壁面に付着する。とんだ迷惑である。憤懣遣る方なし。
 しかしまあ、よく考えるとそんな迷惑はマッシーニのせいでも、治験会社のせいでもない。私の薄毛の原因である父親の責任といったところか。しかし父もまた、彼自身の原因において薄毛になったのではない。そのようにどんどん遡ってみると、結論は『神の悪戯』ということになる。ダジャレで恐縮だが『神による髪の悪戯』である。


自然治癒力発毛法

2005年11月11日 | 薄毛考察
 治験開始と同時に、側面から発毛支援を実施しようと考えている(文字通りの後方支援とも言えるが)。 もちろん、異なる薬品を試すことは治験のルール上禁止されているので、手段はかなり限定される。
 今私が注目しているのが「自然治癒力発毛法」である。
 「自然治癒力」。その言葉の定義として「潜在的な有害物質に対して体を守るための身体の自己防衛方法」あるいは「生体が恒常性を維持する機能【ホメオス タシス】によって傷を治したり、病気を回復させる力」とある。
 以上の解釈から考えるに、この発毛法の提唱者は「薄毛は病気である」という前提に立っていると いうことになる。ではこの治験は「治療」または「リハビリ」に該当する治験なのだろうか。面白い。「治療」してやるチキショー。
 いろいろ調べると私の頭皮は「自己防御機能」が低下しているらしい。戦争に例えるなら「防御する前に、我が軍の兵士達が白旗を振って見る見る降伏している。」という状況なのに、一体何を防御すればいいのだろう、太陽光線なのか、紫外線なのか、熱視線なのか。
 さらに調べるとSOD(活性酸素)とか顆粒球とかいう専門用語が出てきた。なんか難しそうなので、「自然治癒力発毛法」の勉強はやめて、やっぱり自然に任せようと思った。それでも発毛したら、それも一つの自然治癒なのだ。