今回の災害を通して日本人の良識に対する驚嘆の声が世界中から届いている。
これは何も日本人が善人であることの証ではない。
市場個人主義というグローバリゼーションの波に世界が
飲まれつつある中で集団主義の文化が未だ日本人のDNAに
深く根付いていたことの証左にほかならない。簡単に言うと「空気を読む」
ということにプライオリティを置く日本人の特性が
今回の評価に繋がっているものだと私は感じている。
また日本人独特の「死生観」というものにも起因している側面もあるが、
ここでそのことに言及するのは止めておこう。
いずれにせよ、多くの日本人は、心から悲しむ期間はあったにせよ、
一方で「喪が明ける」タイミングを待っている。
それはそれで否定することでも肯定することでもないが、
そのタイミング、それは残念ながらマスコミが鍵を握っている。
テレビが通常のプログラムに戻れば、我々日本人にふりかかった
戦後最悪の災害も対岸の火事になってしまう。
ツィッターやフェースブック、SNSの世界で感じたことは「日本人の結束」
の可能性である。被災者のことを真剣に考え、自分がどうすれば役に立てるのか、
前向きな意見が交わされ、良い方向に変わって行こう、前に進んで行こう、
という気運が感じられた。しかし、どのテレビ局の番組を見ても
そのような気持ちにはなれなかった。視聴者は不安をかき立てられるか、
被災者に同情をするか、そのどちらかの情報しかなかった。
SNSの情報と相対化することで見えてきた「テレビ」の害悪。
残念ながらNHKとて例外ではない。
視聴者に迎合することに慣れきってしまい本当の意味で情報発信のパワーを失っている。
視聴者の立場になって体制を批判するスタイルが常態化し
「主張せずに批判しとけば責任はない」というスタンスが
結果的に視聴者とも距離ができてしまっている。
バカな視聴者はそのバカな批判を鵜呑みにする。
それが日本の経済を失速させていたのではないだろうか、とすら思えてくる。
久々に更新した割には、とりとめのない小難しい話になってしまった。
先日、私の尊敬する方が言ってた。世界に対する日本の責任を全うするべく、
今回失ってしまった-6%のGDPの穴を埋める。
そうやって頑張ることが被災された我々の仲間への供養になるのだと。