発毛治験報告書

あれから5年。ついに「禿」として生きていく覚悟を固めた不惑男の徒然。

同情するならカニ送れ

2007年11月29日 | 治験ドキュメント
私にとっては大切な、誰かの命日が今年もやってきた。
現在、経理部門で売掛担当をしている私は奇しくもそんな日に小さな会社の債権者集会に参加した。

夢と希望に満ちて、明るい未来しか見えていなかったかつての経営者は、
後悔に苛まれ自分の悲運を嘆くあまり、もはや魂を吸い取られた抜け殻のようだった。

「同情はできない」

と思って歩いていた帰り道、私の目の前で40代のオジサンが豪快に滑って転んだ。
その様は極めてコミカルかつコケティッシュ、『スッテンコロリン』とはまさに彼に与えられた擬態語であった。

「なんか気の毒」
と同情してしまった私。
「大丈夫ですか」という気持ちで、爽やかな笑顔で暖かく見守った。
ところがそのオジサンと目と目があった瞬間、彼の卑屈な笑顔はパッと消え、真剣な顔つきになりソソクサとその場を走り去っていった。

私の笑みが、きっと「あざけりの笑み」にとられたのだろう。
そんなつもりじゃなかったのに、なんか悪いことしたなぁ。

散髪報告

2007年11月27日 | 治験ドキュメント
一年ぶりに床屋に行った。セルフバリカンから一歩先に進んだ感じだ。
床屋のその先には、美容室があるのだが、さすがにまだそこは今の私にとっては、
どこかにあるユートピア「ガンダーラ」のように、はてしなく遠い。
ゴダイゴではないが、どうしたら行けるのだろう、教えてほしい。

シンパッツァンと呼ばれるようになってから(呼ばれてないけど)はや2ヶ月。
伸ばしっぱなしで中途半端に耳にかかるし、くせっ毛のため、襟足がカールしまくるし、後頭部の白さが際立ってくる。これで、愛する後輩の結婚式に出席するのは失礼にあたる。

土曜の14時半開始の式に間に合うように、
その日の朝車で家を出て、8時50分には近所のイオンタウンに到着。
はじめて行く、アンチファッション系のコスト重視の理容室である。

いらっっっっっしゃいませええええええええぇぇぃ。

という奇妙なイントネーションと異常に間延びしたその挨拶は、
そこにいたスタッフ5.6人全員からほぼ同時に発せられた。
心のこもるスキなど微塵もないその事務的・機械的な挨拶は
すでに挨拶の意味を成してはいない。むしろ、「獲物が来たぞ」ということを
仲間どうしに知らせる超音波のサインのようなものだった。

「低価格路線」の床屋の店員。態度は真逆、「高圧的」で、
会話に入る前から、その目がすでに語っていた。

『このハゲが、客のいない時間帯を狙ってきやがって』

私はもう蛇に睨まれた蛙である。

「あっ、すいません、横と後を短くお願いします。」

『ハゲの散髪ほど無意味なものはない、とっとと終わらせてやる』
とばかりに猛スピードでカットされる私の髪。
極度に怯えた私は、うつむくだけ。
『早く帰りたい』
ただ、それだけ念じて。

どれくらい時間がたっただろう。
その店員が合わせ鏡で、尋ねる。
「よろしいですか『このハゲ、絶対文句言うなよ!』」
「あっ、はい、大丈夫です。『なんかすげぇ床屋っぽい、床屋だからしようがないけど』」
脱兎のごとく店を飛び出して、時計に目をやると
9時ちょうどだった。
私の屈辱的な散髪所要時間は10分程度で完了していた。

ニセモノと模倣

2007年11月21日 | 薄毛以外の話
 アジア諸国の意匠権侵害は未だいたるところに存在するようで、なかなか解決しない国民性にも関わる根深い問題らしい。
今朝の新聞にも写真付きで紹介されていたが、中国ではSONYと同じ書体のSQNYの乾電池が売られている。
恐らく、このことで当事者が訴えられたとしたら、
「何言ってるあるか、これは、スーパークオリティニューヨークというブランドあるよ!(中国語)」
と答えるに違いない。

80年代後半の高校生だった頃、世の中はDCブランドブームなるファッションムーブメントが巻き起こっていた。
当時の私は「POPEYE少年(今は絶滅)」であり、当時メジャーだったホットドックプレスや創刊したばかりのメンズノンノを読む輩を、
一段高いところから見下ろす「お洒落さん」を気取っていた。
そんなお洒落さんにとって当時流行っていた「ブランド名バックプリント(背中にデカデカとブランドロゴが入っている上着)」に対しては、
「お前はブランドの宣伝マンか!」
と冷ややかに見ていたのだが、当時はそのニセモノバックプリントさえもが横行し、しばしば爆笑のネタとなった。

「ハパス」と同じ書体の「パパヤ」
「おまえは関西人か!」とつっこむ。

「メルローズ」と同じ書体の「メンズセルロース」
「おまえは男の腸か!」とつっこむ。

「ビギ」と同じ書体で、「I」が、よく見ると「1」になっている「ビッグ1」
「おまえは世界の王貞治か!」とつっこむ。

最近では、コーチのシグネチャーのCがGになっているバッグを携えているおばさんに遭遇することがある。そんな時は、
「ゴーチか」
と心の中でつっこみを入れてほくそえむ。

例をあげるとキリがないが、当時から、そういったパチモノを着る人間の心理も
作る人間の心理も、そのマーケットが存在できる理由も、私には理解不能であった。

なんにしても海賊版はよくない。
マネをすることは悪いことではないと思うが、
マネをする「レベル」というものをわきまえるべきだ。

「模倣なくして独創なし」と私は思っているが、
その真意は、新しいアイデアやデザインをそのままマネることではない。
そのアイデアやデザインに至るまでの源流、すなわちエッセンスを盗む、ということが肝心なのであり、
頭の悪い「盗作」「贋作」を薦めているわけではない。


メンズバス(07年6月)

2007年11月20日 | 薄毛以外の話
今朝、ネットのニュースで子供3人を殺害して自殺を図った男の事件が報道されていた。
この男の家庭も昨夜は、妻が不在だったようである。
鬼のいぬ間にささやかな洗濯をして喜びを感じていた私は彼の対極だった。

昨夜、我が家の小さな風呂に4人の男が入浴した。
もちろん、成人男子は私だけで残りは9.8.2歳の皮かぶりどもである。

4人のサンデーナイトは興奮と絶叫に包まれた。
いつの間にか我々は即興で美しいハーモニーを奏でていた。

「おっとことおっとこの、バスタイムー。おっとこがおっとこを丸洗いー。」(鳥羽一郎風に)
「4っつの○○○を振り乱すー。そんなやつらの、‥バスターイムー。」(サブちゃん風に)

やがて丸裸の宴は佳境を迎え、そのサビメロだけが何度もアドリブワードでリフレインされる。

「おっとこがおっとこに牙をむく~、おっとこがおとこをたしなめる~、おっとことおっとこのバッスターーイムーーン」

すっかりのぼせて風呂を上がったのは、夜8時。
我々はリビングのテレビで「ウイニングイレブン8」を楽しんだ。
一番下の子がゲームをやりたい、と騒ぐので、スーパーファミコンのコントローラーを握らせるとご満悦だった。
私は、みんながゲームをやっている間、前の日に買った「夕凪の町・桜の国」というマンガを読んだ。
9時半に年長の二人を寝室に追いやり、冷蔵庫から500mlの缶チューハイを取り出した。
飲みながら下の子と意味不明の会話を楽しんだ。

飲み干すと睡魔が訪れたので、
午後10時には下の子と寝床についた。
そして、多分、二人同時のタイミングで眠りについた。

涅槃寂静(06年12月)

2007年11月20日 | ルックスネタ
7月(06年)のダイエットで68.5まで落とした体重は、現在どうなっているのか報告をせずに先日の幸田くみダイエットに言及してしまったことに対して、「実際はどうなってるんだ」という問い合わせがあったかどうかは別として、ここでしっかりと現状(06年12月)について報告をしておこう。

 現在66.5。後輩Aに触発されて導火線に火のついたダイエット魂は、雪だるま式に膨張を続けている。今、私の座右の書は「Tarzan」であり、座右の飲料は「黒烏龍茶」であり、営業中の使用交通機関のほとんどは「徒歩」である。半年で約7キロの減量ということだが、実際のダイエット期間は1ヶ月程度であり、無理したり頑張ったりした覚えはない。何度も言うようだが、意識の問題だ。今の私の行動指針は、

「毛髪は減るばかり、どうせ減る一方なら、体重をメインに減らせ。減れや、減れや、減りまくれやあああ。」

ということになる。余計なものをそぎ落として、必要な機能だけをシンプルに備える、スリムビューティ。そうなったら、私は潔くスキンヘッドにしようと思う。狙いドコロとしてはNANAで云うところのヤスであり、地獄の黙示録で云うところのカーツ大佐であり、ドラゴンボールで云うところのフリーザ第三段階、まあ、要は「サトリの境地」に達するようなものであろう。煩悩を捨て去り、俗世間の穢れをキレイさっぱり洗い流す行為、私にとって、それこそが減量と剃毛である。62㌔をクリアしたら、剃毛に踏み切るとしよう。来春あたりか。

オクラ入り

2007年11月20日 | 読者へ
読者へのメッセージは、毎回翌日には削除することになっているので、昨日のアップは削除させていただいたが、今までの更新の中でアップせずにお蔵入りになっていたストックが2本あることを発見した。一つは昨年末、抜け毛の勢いを止めることができずに半ば自暴自棄になっていた頃の「どうせ減るなら体重減らそ」というもの。そしてもう一つは今年の春に書いた、心温まるファミリーネタ。別にお蔵入りさせる必要もないので、写真公開までの場つなぎ的にアップしておく。

親バカ一代

2007年11月13日 | 治験ドキュメント
整理・収納の達人である私。
先週末、無政府状態となっている子供部屋に遂にメスを入れた。
今まで、自分のことは自分でしよう、と自主自律を尊重してきたが、
さすがに微生物が繁殖してからでは手の施しようがない。
「後始末よりも先始末」という考えのもと、私が率先して掃除に着手した。

まず驚いたのは、
次男の机の引き出しの中味である。
ノートの間にスリッパが挟まっていた。
湿っぽいサッポロポテトと
そして、大量の石と木の枝が詰まっている。
意味がわからない。

必要な書類などひとつもない。
そもそも彼に必要なものなどないのかもしれない。

相変わらず、意表をついている。

先週も、車を運転していた時に
突然自転車が飛び出してきて「ヒヤッ」とした瞬間があったが、
その時同乗していた次男のコメントがまた意外性に満ちている。

「あの自転車駄目だね。カゴなしだったら許せるけど。」

あまりにも突拍子ない話なので、面食らったが、
因果関係があるらしい。

「カゴのない自転車は早いから、早い自転車でスピードにのって道路を横断するなら、許せる。」

ということらしい。

そんな次男が先日、リフティング111回を記録したらしい。
「小野伸二は小学3年で300回できたらしいよ。」
という話でけしかけてから、毎日のように練習をしていたらしく、
親バカの私は、
「ひょっとしてプロになれるかも」
と密かな期待を寄せてしまう。
「いつか赤黒のユニフォームに袖を通してもらいたい」
と言うのが私の本音だが、強要はしない。

基本的にレールを敷くようなことはしたくない。
私が彼にしてやれることといえば、
週末の男バスタイム時に、
サクセストニックシャンプーエクストラクールをかけて、
指先立てて豪快に洗ってやることくらいだ。

そうそう、写真のアップの件だが、
なかなか自分の写真を撮る機会がない。
一週間ほど待ってほしい。

予告

2007年11月08日 | 治験ドキュメント
(ヒップホップ調で)
しみったれことばかり書きやがってコノヤロウ!
大至急、景気いい話を更新しろう!
と電話で文句言うシェル野郎!
フロム、トー キョー

だから早速更新してやろう!

という感じで頑張って元気よく書き出したものの、そんなにテンションは高くない。
高くはないが、髪の毛のテンション(ハリ感)だけは高い。

先週末、苫小牧の実家に帰った。
2ヶ月ぶりだったので、私の増毛ぶりはまさに、
「男子三日会わざれば刮目して見よ」
状態だったに違いない。

それでも母は何も言わない。
しばらくして、痺れをきらして私から尋ねてみた。
「髪の毛、大変なことになっていない?」

「どうしたの、それ、なんかかぶってるの?」
堰を切ったように話題に食いついてくる母。
どうやら、あまりもの増毛ぶりに、かつら使用の可能性も彼女の憶測には含まれていたのだ。
そのため、迂闊に話題に触れられなかったらしい。

嫁からは、
「知り合ってから11年近くになるが、今が最も髪の毛が多い」
と言われた。

何せそれくらい増えている。

会社の愛すべき後輩からも
「本当に黒くなった」
と賞賛された。

『おいおい、そんなに凄いことになっているんなら、写真でもアップしてみろよ』
と思われる読者も多いことだろう。

では、今回、プロフィールの写真を今年のアメリカ時のものに差し替えておこう。
次回の更新で、今の私の写真をアップする。
腰を抜かさぬよう、しっかりと心の準備をしておいてほしい

分岐点

2007年11月07日 | 薄毛以外の話
会社という組織は生き物なので、急所をやられてしまうと回復には時間がかかってし
まう。大切な人が1人でも欠けてしまうといろいろなところに影響が出てしまう。

きっと、今一番攻めてほしくないところを攻められているような、そこを攻められると、決定的ではないにせよジワリジワリとやる気が失せていくような、そういう、私にとっても本当に大切なかけがえのない人が会社を去って行く。
「代わりはいくらでもいる」
と、経営者は言う。
が、決して「トカゲのしっぽのように次から次へと生えてくる」代物ではないし、い
くらでもスペアのきくようなものでもない。
と思うのだが、これもただの感傷に過ぎないのかもしれない。

会社がどんどん変わって行く。
昔あった会社の面影はどこに残っているのか、その面影が見えなくなった時点で去っていく人がいる。きっとこれからもそういう人は出てくるだろうと思う。

しかし自分に関して言えば、少し違う考え方をしている。

私が、この会社を選択した理由は、日本を代表する企業・異業種企業による広告会社の経営について「予測不可の可能性」を見出したからであり、それは「変化への挑戦」を意味した。

そして、この3年の間に、私は実に多くのことを学んだ。
実際、ダイナミックに会社は変わり、これからもなお一層ラジカルに会社は変わって
ゆくだろう。
私自身も簿記を学び、法務にも少しは明るくなった。
かつてルポライターや小説家を夢見ていた文学若ハゲ男は、今では、経理の端くれとして数字と向き合う日々。

それが、自分らしい生き方なのかと問われれば、
自信を持って答えることはできない。

その目まぐるしい変化についていくのがやっとのことで、自分が結論を出したり、主張する暇などないのだ。
主張するにはまだまだ無知だし、不勉強だということも理解している。
そして、この変化は「後退」ではなく「進化」だということもわかっている。

だから、しばらくはまだここにいようと思っている。
「進化」が止まった時に、立ち止まって考えれば良い。
決して、激流に呑み込まれているわけではない。
激流に身を委ねて、変化を楽しむ。
今は、これこそが「自分らしい生き方」なのかとも思う。
その激流の流れをいずれコントロールできるようになれば、
それはそれで面白い。

まぁ、流れから逃げ出して、
ひっそりと佇んでいたいという気持ちもないわけではないが。