見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

『花はどこへいった』

2008-11-03 23:14:32 | 文化・映画・演劇・音楽
友人に、映画のチケットをもらった。
彼女は既に観終えていて、もう一度観ようか迷っていたのだと言う。
『花はどこへいった』
ベトナムの枯葉剤被害をテーマにした作品だ。

以前、制作の経緯を聞いて興味をもってはいたが、興業的に成功するメジャー映画ではないため、北海道の原野では見る機会は得られないと諦め、いつのまにか記憶の隅に沈んでいた映画だった。

製作・監督・撮影・編集をこなした坂田雅子さんは、須坂市の出身。
それだけが理由ではないが、社会正義を追求する知人たちが奔走し長野市内の映画館での上映に漕ぎ着けていた。

過去に3度足を踏み入れたベトナムには、多少の想いがある。
チケットが2枚あったので、父母を誘って上映館に出かけた。
上映最終日だった。

映画館への入り際、上映実行委員会の一人である知人に会った。
最終日なので、映画館に挨拶に来たのだと言う。
彼が、そこでさらにチケット1枚をくれたので、私と父母の3人が無料で観れることになった。

作品冒頭に、聞き慣れたジョーン・バエズJoan Baezの「花はどこへいった」が流れた。ベトナム戦争時代のシンボリックな反戦歌だ。
次いで、10代で米国兵としてベトナム戦争に従軍し、03年に肝臓ガンで余命数週間と宣告され闘病中のフォトグラファーのグレッグさんが登場する。
坂田さんの夫だ。
夫の死が彼女の初監督としての仕事の動機と原動力となっていた。

彼女が撮影した現在のベトナムの姿、過去の記録映像、関係者へのインタビューがひとつの映画として構成され、「グレッグの死の原因」を言葉の端々に見せながらも、坂田さん自身が抑えた声で淡々と語り続ける。

枯葉剤の影響で奇形児が誕生していたことは、誰もが知る事実ではあるが、10年以上に渡る米軍の枯葉剤散布により、約400万人が被害を受け、終戦30年以上経つ今も、約100万人が奇形や脳障害といった重度の先天性異常やガンなど種々の疾病に苦しんでいる。
外見は健康体の第二世代が産んだ今の子どもたちに、奇形児が多発している現実。
ダイオキシンの底知れぬ恐ろしさを、ベトナム人が大きすぎる犠牲をはらって立証しているのだと教えてくれる映画だった。

インタビューに応えた米国人が言う。
「ダイオキシンの被害を知るためにはベトナムほど研究条件がそろっている所はない。しかし、アメリカはベトナムに近づこうともしない」補償の伴う責任から逃げるのはどこの国も同じということだ。
「若者たちはゲーム機で仮想の敵と戦っている。しかし現実の敵とは戦わない」とも。

淡々と事実と現実を語る映画に、滲む涙を止めることが出来なかった。
ベトナムに何度か足を運びながら、自分の知らない事ばかりだった。
過去の回想ではない。現在進行形の事実だ。

最終日の映画館の客席は、休日にもかかわらず、本当に少数のまばらな人影だった。
偶然、帰郷していたから、友人がチケットをくれたから、観ることができた。
偶然がなけば、上映していることさえ知り得なかった。

意図しなければ入ってこない情報、知識は世の中に山ほどある。

映画館のガラス戸の外には、続いて上映されるアニメ映画の入場を待つ小さな子供づれの親子が長い列を作っていた。
思わず、スクリーンに映っていた奇形の子どもたちの姿が思い出された。

この映画を観る機会を享受する人がどのくらいいるのだろうか。
カンパ箱が入口のカウンターに控えめに置かれていた。
父母とそれぞれ、小さな箱の口にお札を捻り込んで映画館を出た。
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