見果てぬ夢

様々な土地をゆっくりと歩き、そこに暮らす人たちに出会い、風景の中に立てば、何か見えてくるものがあるかもしれない。

生れて初めて参加したクリスマスのミサ

2006-12-25 23:42:54 | 生き方・生活
最近『世界の宗教が面白いほどわかる本』を買った。
まだ、読み始めて間もないが、一神教と多神教の違いに興味が沸いている。

折しもクリスマス。本来のクリスマスの意味を確かめてみたいと思い、ネットでクリスマス・ミサを公開している教会を調べ、生れて初めてのことなのだが、教会のミサに参加しみることにした。

ひとつの事象を体験して知った顔をすることもできないので、23日と24日に開催される二つのミサを検索した。特急列車で1時間ほど離れている二つの街で、HPに公開されているミサがある。前後の予定を無理やり調整し、駆けつけてみた。

23日に参加したプロテスタントの教会ミサでは、若い牧師さんが、静かに伝導を行った。経験に基づいた説教には説得力があり、私は初めて、「魚」と「梯子」に込められたキリスト教の物語を知った。
例えば、「イエス・キリスト。われらの救い主」のギリシヤ語の単語の頭文字をとると、「イクソス(魚)」となる。「ですから、この教会入り口のガラス戸の取っ手は、魚の形をしているのです」と。

24日の別の街の教会ミサでは、ロウソクを点し、オルガンとフルートの伴奏に合わせて、初めて聞く5曲もの讃美歌を歌った。
住宅街に違和感なく存在する教会の女性伝道師は、マリアの婚約者であるヨセフが彼女の妊娠を知って離婚を考えたと語った。初めて聞く話だった。そして、また、「人間は山にも自然にも神が宿ると考え崇めていますが、その人間をも創造したのが偉大なる神なのです」と。
キャンドルの揺らぐ光と若い伝道師の姿をぼんやり見ながら、基督教の神の捉え方について改めて知る日となった。

世界歩きを意識する中、日々の祭りさえも今までと別のフィルターで見るようになりつつある自分に新鮮な驚きがある。


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3 コメント

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キリスト教 (八方)
2006-12-27 21:01:45
よく資本主義のルーツはプロテスタントにある、と一部では言われています。
勤勉・倹約・投資が基本であると。
宗教とは倫理ですかね。
様々な宗教がありますが、個人的に興味を惹かれるのはプロテスタントです。
中身はあまり知らないですが。
でも、実家が真言宗なので、改宗は気力が必要です。
村社会では改宗も、地縁血縁で難しいでしょう。
市民社会は別ですが。
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宗教 (ワイン)
2006-12-27 21:53:19
八方さん、いつもコメントをありがとうございます。八方さんは仏教徒なのですか。多くの日本人の宗教観には仏教と神道が混合しているように思いますが、どうなのでしょう。
イスラム教の過激な行動が批判されますが、十字軍の侵略行動を考えると、宗教の排他性や妄信性は同一ですね。神道には排他性を見ないように思うのですが、一神教と多神教の違いかもしれません。
返信する
こんばんわ (八方)
2006-12-29 18:07:22
日本では、神道も仏教も宗教として意識されていないと思います。
あくまで、行事の一つという感じです。
初詣で神様を意識している人は少ないですし、葬式で仏を意識している人も少ないです。
戒名で格があるように、葬式でも序列があります。
父親が他界したとき、戒名をつけました。
祖父の戒名の格を引き継ぎ、院号居士となりました。
戒名は金だけで買えるところもあれば、買えないところもあります。
実家の実家、つまり曽祖父は共に淡路で町長や議長の家系であるので、そのことを現在所在地の坊主は知っており、戒名がついたものと思います。
坊主は、この戒名ならば坊主をこれだけ呼ばなければならない、と要求していきました。
また、葬式のとき本家の跡取りは誰であるというような挨拶もありました。
仏教という概念よりも、家系における跡取りのほうが葬式でも重要になるようです。

江戸時代、仏教は戸籍の管理をしていたりしたので、宗教というよりも政治的な色合いが強いと思います。

神道は比較的、あらゆる事柄を許容するように思います。
八百万の神がいますので、自然に敵対するのではなく、現在を受け入れて生きていこうという哲学でしょうか。

海外では宗教が倫理となっていますが、日本では村社会が倫理の中心でしょう。
村であったり、会社であったり。
属している組織に価値を持ち、外れれば旅の恥はかき捨てになり、何でもありになります。
具体的には、現在所属している社会は、村以外のところに社内旅行に行くと、絶対に風俗行きます。

イスラム教ですが、イランきな臭くなってきています。
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