本日は私のフルマラソン完走99回史!😆
といっても前回までは全くフルマラソンは登場しなかったのですが…😁
その前回までは「序章・フル挑戦前史」とし1992〜96年を振り返ってきましたが…。
前回の記事はこちらから
1997年はいよいよ私にとってランナーとして転換期を迎えます。この時期は前年に創設したクラブの中で本格的に記録への挑戦を意識した時期となり、先輩からの「師匠越え」、すなわち下剋上を挑んだ時期ともなりました!
そして・・・
いよいよフルマラソンが登場です!!😄
ということで、今回からはいよいよ「第1章・フルマラソン挑戦初期編」のスタートです!!
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96年に発足したクラブは私にとっての3人の師匠を始め、マラソン好きの人たちが勢揃いしたことで、私もこれまで以上に「記録」というものを意識するきっかけとなりました😆
また、当時のクラブは個人のタイムもさることながら会員同士の競争意識が非常に高く、「レースでの勝敗」が極めて重要視された時代でした。
そんなこともあり、97年11月には当時の主要メンバーが勢揃い横浜マラソンにエントリーして「クラブハーフマラソン選手権」を開催することになったのです!!😄
(ちなみに当時はクラブでもハーフマラソンへの出場が主流であり、ほとんどの方はフルマラソンには挑戦しないままクラブを離れて、そしてランニングから遠ざかってしまいました…。)
私にとってこれはまたとないチャンスだと思いましたね。私のランニング人生に影響を与えた師匠が3人揃って出場してくる訳です!
これ、一気に「師匠越え」を果たすチャンスと思ったのです!!
一方の師匠たちからは当時最若手としてようやく成長し始めていた私には
「絶対に負けない。勝てるものなら勝ってみろ!」と逆に宣戦布告を受けたのです!(まあ、あくまで飲み会の場での話ですが…😁)
かくして「世代闘争」が勃発したのでした!!(なんだか昭和のプロレス、猪木対長州みたいですが・・・😁)
このハーフ選手権の結果としては私は1時間32分台で完走したのですが、15kmくらいからまさかの痙攣が起こってしまい途中で1番の目標としていた第2の師匠に抜かれてしまいました。その後も必死に食らいついていったのですが・・・。
わずか1分差での悔しい敗北となってしまいました!!😂
ちなみにすでに何度か勝利していた第1の師匠からは勝利、クラブのエースであった第3の師匠は貫禄の走りでしたのでまあ・・・、だったのでしたが😅
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そんな世代闘争とは別に
私はいよいよ「未知の世界」に向けて動き始めていました。そうです、初フルマラソンへの挑戦です!😆
5年間のランニング生活を送ってきた私でしたが、デビュー当時の30kmレースで散々な思いをしたこともありこれまでどうしてもフルマラソンは躊躇していたのですよね…😰
5年間のランニング生活を送ってきた私でしたが、デビュー当時の30kmレースで散々な思いをしたこともありこれまでどうしてもフルマラソンは躊躇していたのですよね…😰
しかし、すでにフルマラソンを5回完走していた第3の師匠の影響もあり、ランナー人生5周年を迎えたこの年、私はついに横浜マラソンの2週間後に開催されると開催される
つくばマラソンへエントリーしたのでした!!
(続く)
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