コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

入試をギャンブルにしないために。

2008-03-11 23:50:07 | 
明日は、殆どの国立大学で後期日程の入試が行われる。
これで、今年度の大学入試のスケジュールはほぼ終了。

というのは表向きの話で、実際の入試は、[作問・試験・採点・集計・発表・手続き]という流れが一つの単位になっているので、後期日程についても、まだ先は長い。しかも、現時点で前期日程に関して[手続き]のステップが完了していない。

多くの人にとってどうでも良いようなことなんだけれど、大学人にとって、こここそが退っ引きならない重要な関門だったりする。

文科省は、国立大学法人の手続き者超過にペナルティを課すと言っている。
学部単位で定員の110%を超えない事、と言うのが条件らしい。

私学の場合、授業料収入を見込んで、定員を遙かに超える合格者を出す事は当たり前だったのかもしれない。実際、“蹴る”受験生も多いから仕方ない。大学も、昔は滑り止めのために納入してしまったお金を返さないのが普通だったので、そこそこの売り上げになったのだろう。

今、文科省が言っているのは、学生あたりの校費を定員以上要求するなよ、ということで、その趣旨は理解できる。
しかし、われわれは、そこまでせこい事はしてきていない。
入学者数が超過した場合、お金云々以前の問題として、語学のクラス分けなどに大きな影響が出て、授業が成り立たなくなってしまうおそれもあり、合格者数の決定は、相当慎重にしている。
それでも、昨今の少子化傾向と出題傾向の流動化によって、相当読みにくくなってしまった。
私は、前期日程の手続き者は9割近いのではないかと予想しているのだけれど、実際の発表は8割程度を想定しているし、同僚の中には、それでも補欠合格が必要になるのではないかと言う人もいる。

しかし、もし、今後、手続き者数が110%を超える事態が実際に起こり、交付金が減らされた場合、その責任は誰が取るのだろうか。それでなくとも研究費は激減しているのだから、判定に加わることなく減額処分が来たら穏やかではいられない人も多いのではないか。
入試委員長? 学部長? 保険に入る?
今より遙かに精度の高い、しかも普遍的な判定方法が確立できない限り、判定に責任を持って加わろうという人はいなくなると思う。
かといって、ぴったり賞には報奨金、等という事をし出したら、本当にギャンブルになってしまう。

ここには数字あわせの論理しかない。
入試がそれで良いはずがない。


ところで、こういう苦労は東大京大クラスではまずない。
なぜかと言えば、誰も蹴らないからだ。

地方大学は公立・私学との競合も含め本当に併願の読みが難しい。


と、しかし、こういう悩み方は、やっぱり数字あわせの論理の上にあるような気もしている。


たとえ、偏差値の序列で“一流校”に勝てないにしても、数字の軸とは別に、ここにしかない魅力が確かに備わっていれば、合格したら入学しようと思うだろう。
試験の日が晴れて暖かく富士山が見えると手続き率が上がる、というのは“伝説”だけれど、大学そのものの魅力がはっきり見えることの効果は大きいはずだ。

くどいようだけれど、言語文化学科は、試験問題の独自性で、受験生にアピールしている
あるいは「情報意匠論」。彦星先生の授業を受けられるのは静岡大学だけだ。
一人の非常勤講師の魅力に頼るのではなく、我々専任の教師達みんなが、この授業を受けられるのはここだけだぞ! と言う気迫を以て臨めば、もっともっと魅力を増すはずだ。


学部名や学科名と試験科目、そして難易度を勘案して、自分の“実力”に合った大学を決める。それも一つのギャンブルだ。


そうじゃなくて。
もっと、中身を理解し合いたい。

われわれがどんなメニューを持っているのか、ちゃんと知って欲しい。
その上で、迷わず選んで欲しい。

AO入試をやめる大学も出てきているらしいけれど、そういう問題とは別に、受験生もしっかり大学を選んで欲しいし、大学も、帳尻合わせに終始するのではなく、入り口も、中身も、出口も、しっかり見せて行かなきゃ、と思う。



何はともあれ、受験生は精一杯がんばって欲しい。

待っています。

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