昨日今日、嬉しいこともあったけど、悲しいこともあった。
で、その、悲しい方の話。
1年生向けの講義科目、受講生数が少ない。まぁそれは良い。昨日だったと思うけど、やめます、と言いに来た学生が二人。
去る者は追わない主義だけれど、参考のために、なぜ辞めるのか訊いてみた。
簡単に言うと、幅が広くてついて行けない、宿題が大変そう、と言うようなことらしい。
宿題の調べ方が見当つかなくて担任の先生にアドバイスを乞うた学生もいたそうな。
はぁぁ。
実は、「静岡の文化」も、学生の受講者数は、惨憺たる有様。
はぁぁぁぁぁぁあ。
大学に入ってきたばっかりで、希望に燃えていないのか。
自分の知らない世界にこそ踏み出したいんじゃないのか。
わけわからん物にはとりあえず首つっこんで見ちゃおう、と思わんのか。
マニュアルがないとダメなのか。
何しに来たんだい?
最初っから小さくまとまるなよ。
私の情熱は滑りに滑っている。
で、ここで、けつさんのコメントに繋がるんですよ。
疲れたに書いてくれたヤツ。
先生になったら巨視的な関心ももって、見取り図を示し乍らオタク道を伝授しなければならない。
前提となる知識の無い人に自分のオタク道の一片でも伝えるのは非常に大変
本当に、どんどんそうなってますね。いま。
恐ろしい。
我々「研究者」は、研究を極めることだけ、ある種がむしゃらにやってきた。「オタク道」ですねぇ。
で、「教育者」としての修行は積んでない(私の場合、高校の非常勤をほんの少し、あとは塾・予備校で6年間やってましたが)。
だから、「大学の先生」になる事への不安は、ものすごくありましたよ。いきなり教壇に立って、喋るんですから。今でも話はうまくありません。
でも、大学が、高校まで、あるいは予備校などと違うのは、概説的な物を除く殆どの授業が、自分の裁量で出来る、っていうことなんですよねぇ。
つまり、「オタク道」をそのまま語ってしまえばいい。私の場合は、あんまり予備知識がいらないジャンルなので、と言うか、まさに普段無意識で使っている「言葉」を意識化させることそのものが授業の中心なので、掴みは割と楽なんです。けつさんの場合とは、そこで違いが出てきてしまいそうなんですけれども。
でも、経験的に、やっぱり、相手の顔色気にするより、自分が本当に面白いと思っていることをそのまま語ってしまうのが一番だと思います。
私は、教師の力は、「感染力」だと思ってるんですよ。
伝授できる知識や技術には限界があるし、全部伝えきったとしても師匠は乗り越えられない。
そうじゃなくて、私の喜びそのものが伝われば、その喜びを実践するようになるだろうし、私自身をライバルと認識してくれるだろう、ということで。
教師がいやいややっている授業を学生が面白がるはずがない。
滑っても良いから、まずは、自分のとっておきを出す。
うれしがる。全員、と言うことはあり得ないけれど、必ずついてくる人はいますよ。
で、頭に戻る。
1年生にがっくり来てるのも事実ですが、数人は、嬉しそうに反応してくれてる子がいるわけですよ。
今年、私の目標は、この子達を本気で満足させること。
様々な理由で私の授業をパスした連中を本気で悔しがらせること。
ウチの大学ではこんなに不人気な私も、隣の大学では、抽選、3倍らしい(噂ですが)。
喜ぶべきなのかどうなんだか……。
あぁ、ここを読んでくれている私の授業経験者さん、大学で教えてる皆さん、それから、大学教師予備軍の方々も、この機会に是非コメントを!
で、その、悲しい方の話。
1年生向けの講義科目、受講生数が少ない。まぁそれは良い。昨日だったと思うけど、やめます、と言いに来た学生が二人。
去る者は追わない主義だけれど、参考のために、なぜ辞めるのか訊いてみた。
簡単に言うと、幅が広くてついて行けない、宿題が大変そう、と言うようなことらしい。
宿題の調べ方が見当つかなくて担任の先生にアドバイスを乞うた学生もいたそうな。
はぁぁ。
実は、「静岡の文化」も、学生の受講者数は、惨憺たる有様。
はぁぁぁぁぁぁあ。
大学に入ってきたばっかりで、希望に燃えていないのか。
自分の知らない世界にこそ踏み出したいんじゃないのか。
わけわからん物にはとりあえず首つっこんで見ちゃおう、と思わんのか。
マニュアルがないとダメなのか。
何しに来たんだい?
最初っから小さくまとまるなよ。
私の情熱は滑りに滑っている。
で、ここで、けつさんのコメントに繋がるんですよ。
疲れたに書いてくれたヤツ。
先生になったら巨視的な関心ももって、見取り図を示し乍らオタク道を伝授しなければならない。
前提となる知識の無い人に自分のオタク道の一片でも伝えるのは非常に大変
本当に、どんどんそうなってますね。いま。
恐ろしい。
我々「研究者」は、研究を極めることだけ、ある種がむしゃらにやってきた。「オタク道」ですねぇ。
で、「教育者」としての修行は積んでない(私の場合、高校の非常勤をほんの少し、あとは塾・予備校で6年間やってましたが)。
だから、「大学の先生」になる事への不安は、ものすごくありましたよ。いきなり教壇に立って、喋るんですから。今でも話はうまくありません。
でも、大学が、高校まで、あるいは予備校などと違うのは、概説的な物を除く殆どの授業が、自分の裁量で出来る、っていうことなんですよねぇ。
つまり、「オタク道」をそのまま語ってしまえばいい。私の場合は、あんまり予備知識がいらないジャンルなので、と言うか、まさに普段無意識で使っている「言葉」を意識化させることそのものが授業の中心なので、掴みは割と楽なんです。けつさんの場合とは、そこで違いが出てきてしまいそうなんですけれども。
でも、経験的に、やっぱり、相手の顔色気にするより、自分が本当に面白いと思っていることをそのまま語ってしまうのが一番だと思います。
私は、教師の力は、「感染力」だと思ってるんですよ。
伝授できる知識や技術には限界があるし、全部伝えきったとしても師匠は乗り越えられない。
そうじゃなくて、私の喜びそのものが伝われば、その喜びを実践するようになるだろうし、私自身をライバルと認識してくれるだろう、ということで。
教師がいやいややっている授業を学生が面白がるはずがない。
滑っても良いから、まずは、自分のとっておきを出す。
うれしがる。全員、と言うことはあり得ないけれど、必ずついてくる人はいますよ。
で、頭に戻る。
1年生にがっくり来てるのも事実ですが、数人は、嬉しそうに反応してくれてる子がいるわけですよ。
今年、私の目標は、この子達を本気で満足させること。
様々な理由で私の授業をパスした連中を本気で悔しがらせること。
ウチの大学ではこんなに不人気な私も、隣の大学では、抽選、3倍らしい(噂ですが)。
喜ぶべきなのかどうなんだか……。
あぁ、ここを読んでくれている私の授業経験者さん、大学で教えてる皆さん、それから、大学教師予備軍の方々も、この機会に是非コメントを!
問題は資金。場所。一番なのは市民講座を乗っ取ってやる。いつのまにか、じいさんばあさんから、若いやつの方が多い状況にする。
ふと、タカクラテルのやっていた大学を思い出しました。
大学という仕組みはもう終わってる。
その、制度疲労でどうしようもなくなってる大学が作る問題に対応するために汲々としてる高校、中学では、どうしたって、好奇心なんて持てないですって。
もう、本気で、思いっきり入試変えないと。
僕ら自身が、どんな人に入ってきて欲しいのか、で、何を提供でき、あるいは出来ないのか、ちゃんと提示して、受験生を待つ態勢を作らないと……。
単位や資格から解放されて、学びたいから学ぶ、学びのテーマパークみたいな私塾を作るにがずっと夢だったんです。
兄は音楽を教えられるし、彼の友人にも色々います。「学問所(仮)」のメンバーもいるし、出来そうな気がしませんか?
>しなければならないきつさ
うむむ。。
基本的な部分はほかと同じにして、プラスアルファ
(を最大化)しないとならない。
担当者の数は増えはしないだろうから、ものすごい負担
になるかも。。それは良いのですが、一方で自分の研究
が...それも心配。
ノウハウって、試行錯誤の連続ですよね。教員はアドバイス
はできるが、「こうしろ!」とはいかない。まして、学生
さんはそれまで20数年生きて来ているひとだけに、好みと
か性格は変えようが無い。自分にあった方法を体得して
もらうしかない。
本当は高校とか浪人の時に学ぶってどういうこと?知的
好奇心ってこんなものなのかな?くらいのことは、認識
しておいてから進学して欲しいところ。
ゆとり教育も、勉強時間減少ではなく、勉強内容と勉強
方法を変えるものにつながれば良いのですが。
余談ですが、旧制松本高等学校の先生、蛭川さんという人は生徒と一緒にマラソンをしたり、体育の授業に出る
ような人でした。
彼は旧制高校が消滅すると、自分の教える場所はここでは
ないと、信州大学教授の職をなげうち、近隣の小学校に
勤めるようになったとか。
(蛭さんのハナシは北杜夫も書いていたような)
自分が小学校で教えるのは責任が大きいから、私塾、
くらいかな?
そんなんで見切られるようなちゃちな授業してません。
ていうか、チャチぃ授業なら出てたんでしょう、彼らは。
後悔させてやりますとも。
遠くで応援よろしくです!
結論出すの早すぎるなぁ。そんなことじゃ人生もったいないぞぉ。
研究計画の話、確かに、今は、地域社会との関わり方は、重要ですね。
特に地方国立大学の場合、コンビニ的均質性から、オンリーワンの特徴へシフトしなければならないきつさがあります。
私の場合、地域が面白くなってしまい、大学を動かしたので、義務感はなかったんです。
けつさんも、多分、その大学のある土地に関する情報をどうやって研究に結びつけるか、と言うビジョンは立てられるんじゃないですか。あとは、蒲菖亭さんみたいな人と、そこで出会えるか、って言うことなんですけどね。私は本当に運が良いです。けつさんを含めた因縁力。
さて、本題。
概説・入門は悩みます。
今年も、後期に「日本文学概論」というのをやりますが、まさに、テーマ設定・資料検索・収集・操作の基本から、論文の書き方迄、みたいなヤツです。
工夫はしますが、自分としては、こんな事は人に教わるもんじゃないと思ってるし、やっぱり飽きる。学生も、「そんなことは良いから先生の最新の研究を話してくれ!」って言って欲しい。
ところが、この授業、相当に好評なんですよ。
つまり、ノウハウから手取り足取り教えて欲しい学生が多い。
本当に、「学力」はそこそこ行ってるやつが、自分で問題設定して、試行錯誤する、と言うことが全然出来ない。これは本当に病んでます。
で、ありがたがられるのは嬉しいんだけども、これじゃぁ育たない。却ってスポイルしてる気がする。
コニ研を巣立っていった優秀な連中は、結局自分のノウハウを開発してたと思うんですよねぇ。大抵は大学に入ってくる前に。そういう前例を幾つも見てるから、手取り足取りはやりたくない。むずかしいです。
知識なんてどうにでもなるし、と言う気持ち。
でも、本当に、流れとしては、そういう授業計画は必要です。絶対。
(実は、昨日、反応がなかったので、「甘えるな!」ということなのかとビビっておりました。。)
ただ、一方で心配なのが、われわれの分野は研究者養成の一方で行政実務家養成という役割もになっていたりするので、できるだけ幅広い知識を伝授しなければならない。
言い換えれば、「オタク道のスタート地点を訓練する」、とでも言いましょうか。
いま書いているシラバス(応募書類です)には概論、概念定義からはじまり、資料や数字の見つけ方までやろうかな、と思っています。もちろん、一つずついうのではなく、「こういうことを知りたいのなら、こういう数字が使えるよね?」という具合に、です。
研究計画も書くのですが、これも悩んでいます。
研究テーマだけではなく、それこそ、あっぱれ的な活動も求められていそうなので。