5/7に書き始めたまま放置していた「グラン・トリノ」の感想を改めて書こうかなぁ、と思ったのには、ちょっと事情があるのです。
静岡市文化振興財団の友人から、7月の歌舞伎公演を学生達に宣伝して欲しい、というお知らせが。
先日浜松で、浜松公演のチラシを貰ってきたので、情報はあったのだけれど、もうチケットないかなぁ、くらいに思っていたら、まだあるそうで……。
私が静岡に来たばかりの頃は、公文教の歌舞伎公演は即日完売だった気がするのだけれど……。
しかも、今年は仁左衛門ですよ。
って、私が歌舞伎をよく見てた頃は孝夫さんなんだけども。
それはさておき、演目。
「草摺引」と「鮓屋」です。
「鮓屋」は、勿論文楽の方が入りやすくて好きなのだけれど、歌舞伎でも泣ける。
その、「泣ける」というのを学生に伝えようと思って、はて待てよ、という事に……。
ほら、「グラン・トリノ」と繋がった。
クリント・イーストウッドが好きだ。
妙に好戦的でありながらいつも痛い。
闘うヒーローは、常に矛盾をはらんでいる、とも言える。
ウルトラマンも、仮面ライダーも、なぜ闘うのか、を自問しないではいられない時代だ。
日本も、闘う相手を探しているし。
この映画のいわゆる“衝撃のラスト”というのは、どこを指しているんだろう。
彼の最期? 遺言? タオのドライブ?
泣ける映画なのは認めるし、やっぱりヒーローだし。
まあ、“武士”だ。
“男の死に様”?
しかし、この映画の締め方を容認するためには、いくつもの壁を乗り越える必要がある。
男は、死に至る病に冒されている。
男は、家族に、そしておそらく、“現代”に絶望している。
男は、朝鮮戦争で「命令によって仕方なく」ではなく、自分の意志で殺さなくてもよい人を殺した。
解決しなければならない問題は、善良な隣人(ベトナム戦争の犠牲者でもあるマイノリティ)家庭の安全。
もっとも愛情を注いだ隣人の娘に対するもっとも理不尽な暴力への復讐。
しかも、その暴力の連鎖を生んだのは自分だ。
幾つ理由を並べたら、彼の判断に賛成できるのだろう。
それで、街は変わるのか。
残された者の悲しみは?
じゃぁ、“根本的な解決”って、どうすればいい??
ニキータ・ミハルコフの「12人の怒れる男」のラスト書き換えは、現実社会を反映した「優しいラスト」だったと言えるのだけれど、さてこれはどうなんだろう。
「鮓屋」の権太に泣けるのはなぜだろう。
放蕩息子、最期の改心。
大状況に殉ずる自己犠牲は、“理由”があれば美しい。
三大浄瑠璃では「寺子屋」と「六段目」が同じ状況で、これが日本的悲劇の“型”なのだ、と、院生の頃諏訪春雄先生に、“供犠”という言葉と共に教わった。
ここで日本人は涙を流す。
日本人だから??
どうやらそうでもないらしい。
唐突なようだけれど、「ダイ・ハード」第一作でナカトミ商事の社長は、会社を守るために死を選ぶ。
これは、どう考えても“薄気味悪い日本人”像だと思う。
自ら死を選ぶ人を、涙を流して讃えることができるという、それだけ言うと明らかに何か間違っている話。
“悲劇”とは何か、というところに話は戻るのかも知れない。
そんなわけで、7/28は、静岡で歌舞伎を見ましょう。
公文教なので、各地で上演あります。
【追加情報】事前講演会開催!【強力推奨】
日時 7月18日(土) 14:00から
場所 静岡市民文化会館 大会議室
定員 300人 無料
受付 6/27(土)13:30開始
静岡市民文化会館 054-251-3751
NHKアナウンサーの葛西聖司さんが、解りやすく見所や裏話を語ってくれるそうです。
昨年も拝聴しましたが、さすが、細かいところまで身振り手振り、画像も交え、ホントに楽しい会です。
チケットを買ってない人でもOKです。
当日まだ売れ残っていれば事務所で購入も出来るはず……。
是非!
静岡市文化振興財団の友人から、7月の歌舞伎公演を学生達に宣伝して欲しい、というお知らせが。
先日浜松で、浜松公演のチラシを貰ってきたので、情報はあったのだけれど、もうチケットないかなぁ、くらいに思っていたら、まだあるそうで……。
私が静岡に来たばかりの頃は、公文教の歌舞伎公演は即日完売だった気がするのだけれど……。
しかも、今年は仁左衛門ですよ。
って、私が歌舞伎をよく見てた頃は孝夫さんなんだけども。
それはさておき、演目。
「草摺引」と「鮓屋」です。
「鮓屋」は、勿論文楽の方が入りやすくて好きなのだけれど、歌舞伎でも泣ける。
その、「泣ける」というのを学生に伝えようと思って、はて待てよ、という事に……。
ほら、「グラン・トリノ」と繋がった。
クリント・イーストウッドが好きだ。
妙に好戦的でありながらいつも痛い。
闘うヒーローは、常に矛盾をはらんでいる、とも言える。
ウルトラマンも、仮面ライダーも、なぜ闘うのか、を自問しないではいられない時代だ。
日本も、闘う相手を探しているし。
この映画のいわゆる“衝撃のラスト”というのは、どこを指しているんだろう。
彼の最期? 遺言? タオのドライブ?
泣ける映画なのは認めるし、やっぱりヒーローだし。
まあ、“武士”だ。
“男の死に様”?
しかし、この映画の締め方を容認するためには、いくつもの壁を乗り越える必要がある。
男は、死に至る病に冒されている。
男は、家族に、そしておそらく、“現代”に絶望している。
男は、朝鮮戦争で「命令によって仕方なく」ではなく、自分の意志で殺さなくてもよい人を殺した。
解決しなければならない問題は、善良な隣人(ベトナム戦争の犠牲者でもあるマイノリティ)家庭の安全。
もっとも愛情を注いだ隣人の娘に対するもっとも理不尽な暴力への復讐。
しかも、その暴力の連鎖を生んだのは自分だ。
幾つ理由を並べたら、彼の判断に賛成できるのだろう。
それで、街は変わるのか。
残された者の悲しみは?
じゃぁ、“根本的な解決”って、どうすればいい??
ニキータ・ミハルコフの「12人の怒れる男」のラスト書き換えは、現実社会を反映した「優しいラスト」だったと言えるのだけれど、さてこれはどうなんだろう。
「鮓屋」の権太に泣けるのはなぜだろう。
放蕩息子、最期の改心。
大状況に殉ずる自己犠牲は、“理由”があれば美しい。
三大浄瑠璃では「寺子屋」と「六段目」が同じ状況で、これが日本的悲劇の“型”なのだ、と、院生の頃諏訪春雄先生に、“供犠”という言葉と共に教わった。
ここで日本人は涙を流す。
日本人だから??
どうやらそうでもないらしい。
唐突なようだけれど、「ダイ・ハード」第一作でナカトミ商事の社長は、会社を守るために死を選ぶ。
これは、どう考えても“薄気味悪い日本人”像だと思う。
自ら死を選ぶ人を、涙を流して讃えることができるという、それだけ言うと明らかに何か間違っている話。
“悲劇”とは何か、というところに話は戻るのかも知れない。
そんなわけで、7/28は、静岡で歌舞伎を見ましょう。
公文教なので、各地で上演あります。
日時 7月18日(土) 14:00から
場所 静岡市民文化会館 大会議室
定員 300人 無料
受付 6/27(土)13:30開始
静岡市民文化会館 054-251-3751
NHKアナウンサーの葛西聖司さんが、解りやすく見所や裏話を語ってくれるそうです。
昨年も拝聴しましたが、さすが、細かいところまで身振り手振り、画像も交え、ホントに楽しい会です。
チケットを買ってない人でもOKです。
当日まだ売れ残っていれば事務所で購入も出来るはず……。
是非!
>これは、どう考えても“薄気味悪い日本人”像だと思う。
ん? そう? 『塩狩峠』の主人公なんかは、どう思われますか? また、どう違いますか?
http://www.amazon.co.jp/%E5%A1%A9%E7%8B%A9%E5%B3%A0-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%89%E6%B5%A6-%E7%B6%BE%E5%AD%90/dp/4101162018
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E7%8B%A9%E5%B3%A0
『塩狩峠』、読んでもないし観てもないです……。
すみません。
でも、三浦綾子ということもあって、キリスト(教)的自己犠牲、なんですかねぇ。掲載誌もそういう物らしいし。
アマゾンのレビュー、すごいですね。
背景があって、「そこ」に至り、泣かせるのですね。
“通りすがり”さんは、『ダイハード』の社長も、こうしたキリスト教的な犠牲として、アメリカの観客も賛美するとお考えなので「ん? そう?」とお書きになったのですよね?
『塩狩峠』との比較が出来なくて申し訳ないのですが、少なくともここでの社長の死は、状況を全く好転させない(たしか、主人公ががっかりするというシーンもあったような……記憶曖昧)つまり“供犠”ではなく、“無駄死”だろうと思うのです。
『千本桜』の権太も、ある意味“無駄死”で、犠牲死に対する批判も感じられると思っています。