コニタス

書き留めておくほど重くはないけれど、忘れてしまうと悔いが残るような日々の想い。
気分の流れが見えるかな。

「大変」と「楽しい」の関係

2005-02-02 18:51:40 | 
昨日、社会学科(私は言語文化学科)の1年生たちによる、フィールドワーク基礎演習の報告会・懇談会に出席。
どれも、真摯に取り組んだ成果の発表でよく頑張ったと思う。
言語文化学科は来年度前期、地域連携事業としてフィールドワーク授業をはじめるのだが、教員スタッフは私だけで、あとは地域の人たちとの協働にかかっている。かなりの緊張感。
引き返せない……。

さて、報告会の最後に意見を求められたので、「楽しかった」がもっと伝わってくれば、と言うようなことを言ったら、司会者が、「みんな苦笑いしてますねぇ」というような話を。終わってからの懇談会でも、学生たちは「楽しかった」事を語ることを憚る様子。楽しくなかったのか?

なんだか、限界までがんばって、ヒーヒー言いながら一つの形を作ること、そういう努力は楽しい物と認識されないようにプログラムされてないか?

良かったこと、と言う話で、成果や、目的外の発見や、仲間の連携強化をあげた人は多い。解りやすい。

高い山に登る時、頂上に着く、見下ろす、その喜びは、解りやすく何物とも代え難い。しかし、そこまでの苦労は、その結果を生むための「大変」でしかない、とは思えないのだけれど。

少し御都合主義的に図式化してしまうと、登山ルートの設計もばっちり、ミスのないガイドもついて、準備万端、さぁのぼりましょう! のツアー客気分なのではないか。

山で遭難したら命がない。フィールドワークでも、事故があったら大変だし、実際、途中で大幅な方針変更を迫られた例もあったらしいから、簡単な問題ではないけれど、やっぱり、企画から自分で組立て、試行錯誤があって、初めて、過程の「大変」は、「大変」だから「楽しい」になるんだと思う。

私の授業では、それが両立することを体感して貰っているつもり。
しかし、解ってくれる人は減ってきているような気がする。
また試行錯誤が続く。

そんなことを考えて、ふとAngerikaさんのblogを思い出した。微妙にシンクロしてますね。

苦労して、苦労して、わからなかったことがわかるようになる喜び。頭の中でずっともやもやしていたところから、突然一本の糸が出現し、その両端で核を引き出してくる。こうして、少しずつ霧が晴れていく感覚。その快感に、到達する機会がどんどん失われている。
非線形シナプス:勉強の本当の楽しみ

同意。
あらかじめ一番の喜びを奪われてる。そして、そのことに気づく可能性さえ、奪われてる。

数字・結果、そこじゃないですよね。
過程から何を学べるかだし、我々は、何を伝えられるか、でしょう。

道なき道をを歩め!!
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1 コメント

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楽して生きたい? (Angerika)
2005-02-06 17:57:18
いつも適切なトラックバックをありがとうございます。

このブログも、「うん、そうだそうだ」とうなずき

ながら読んでいます。



楽して金儲けがしたい・・・そういう感覚も、

現代の教育が生んでいるような気がしました。



楽したいなんて、せっかくこの世に生まれてきたのに。

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