10月1日(土)19:30~ 上小野原 住吉神社にて 田楽「蛙おどり」が奉納されました。
今田町全域は古くから「小野原荘」とよばれ、現在の堺市にある住吉神社の荘園でありました。
住吉神社は鎌倉時代末期の文保年間(1317~1319)、本社(堺市の住吉神社)から分霊し今田町全域の氏神として創建されました。
その後、町内5社(黒石・本荘・市原・木津・上立杭の各住吉神社)に分祀されましたが、その時期は定かではないとされています。
現在は上小野原・下小野原・四斗谷・辰巳・休場の5地区の氏神となっています。
夏と秋に祭りが行われます。秋祭りの前日(宵宮)には田楽「蛙おどり」が奉納されます。
このおどりは、鶴・亀を白く染め抜いた紺色の大広そで(素袍)を身につけた8人が締太鼓とササラを持ち
ヘーツ・ヘーツ カエロ・カエロを連呼しながら踊る、極めて素朴なおどりです。
本殿には住吉三社・春日社・八幡社・稲荷社の四座が祀られており、現在の社殿は享保13年(1728)に再建されたものです。
また、本殿の左手裏には「かくれ杉」とよばれる樹高16m・幹まわり5.9mの巨木が残っており、言い伝えによると堺市の本社からの分霊の際に神が隠れられた杉と言われております。
60人ほどの観覧者が来られていました。 加古川から写真を撮りにこられた方もいらっしゃいました。
上から かえるおどりを見るとこんな感じです。
締太鼓にあわせ扇子を手に一人で踊る「いずまい」があり、これは三礼・九拝し三角の形に飛んで踊るおどりで昔のままに伝えられております。
蛙の宮の名称はこの蛙おどりと神殿の丘が古墳式で、その形態が大きなガマに似ている事から名付けられたといわれております。
また、「蛙おどり」は中世以降継承されてきた貴重な文化遺産として現在も「神舞保存会」により受け継がれ、昭和61年「兵庫県ともしび賞」を受賞致しました。
今回のブログの文章は 神社に掲げられていた説明をそのまま 使わせていただきました。
中世以降から継承されてきている 伝統を一度 見学されてはいかがでしょうか?
今田町全域は古くから「小野原荘」とよばれ、現在の堺市にある住吉神社の荘園でありました。
住吉神社は鎌倉時代末期の文保年間(1317~1319)、本社(堺市の住吉神社)から分霊し今田町全域の氏神として創建されました。
その後、町内5社(黒石・本荘・市原・木津・上立杭の各住吉神社)に分祀されましたが、その時期は定かではないとされています。
現在は上小野原・下小野原・四斗谷・辰巳・休場の5地区の氏神となっています。
夏と秋に祭りが行われます。秋祭りの前日(宵宮)には田楽「蛙おどり」が奉納されます。
このおどりは、鶴・亀を白く染め抜いた紺色の大広そで(素袍)を身につけた8人が締太鼓とササラを持ち
ヘーツ・ヘーツ カエロ・カエロを連呼しながら踊る、極めて素朴なおどりです。
本殿には住吉三社・春日社・八幡社・稲荷社の四座が祀られており、現在の社殿は享保13年(1728)に再建されたものです。
また、本殿の左手裏には「かくれ杉」とよばれる樹高16m・幹まわり5.9mの巨木が残っており、言い伝えによると堺市の本社からの分霊の際に神が隠れられた杉と言われております。
60人ほどの観覧者が来られていました。 加古川から写真を撮りにこられた方もいらっしゃいました。
上から かえるおどりを見るとこんな感じです。
締太鼓にあわせ扇子を手に一人で踊る「いずまい」があり、これは三礼・九拝し三角の形に飛んで踊るおどりで昔のままに伝えられております。
蛙の宮の名称はこの蛙おどりと神殿の丘が古墳式で、その形態が大きなガマに似ている事から名付けられたといわれております。
また、「蛙おどり」は中世以降継承されてきた貴重な文化遺産として現在も「神舞保存会」により受け継がれ、昭和61年「兵庫県ともしび賞」を受賞致しました。
今回のブログの文章は 神社に掲げられていた説明をそのまま 使わせていただきました。
中世以降から継承されてきている 伝統を一度 見学されてはいかがでしょうか?