コナツのこんな日常

鬱病と闘うOLシングルマザー☆趣味の映画や料理、せつない恋愛事情など・・

どうにでもなれ

2005年08月31日 | 鬱気分~Utu
久しぶりにダウン気分です。
仕事が手につかない。
それでも、帰らせてもらえない。(涙)

今日、休職ってほどではないけど、ボスに話した。
【鬱病】のことは、言わなかったけど、体調不良により、
少し良くなるまで、水曜日を休ませて欲しいと。

不動産は定休日が水曜日のとこがほとんど。
(うちは営業してますが・・)
水曜日は、比較的暇な日なのです。
なので、無理を承知の申し出。

結果的にはOKなのですが、減給は免れない。
ぅーん。
それでなくても、今年から減給になってキツイ。
オークションも復活しても、そこそこしか続けられない。
って事で、泣く泣く断念しました。

『やっぱり、出ます。減給はキツイですから。』

身体がだるい。
それによって、イライラする。
とん服を飲む。
それでも、収まらない。
自傷してしまう。

本当に悪循環な日々・・。

今日はスーパーの売り出し日で、買物デーだったけど、
一目散に帰宅し、ソファで横になり動けなくなった。

取引が成立して、部長にお小遣いをもらったので、それでピザ取りました。
娘は美味しそうに食べてました。


ハァーーーー。
悪循環な毎日から、脱出したいです。
どうにでもなれ!な気分になってしまいそう。

自暴自棄はあかんね。(反省)

自分を取り戻そうっと。











本日のお弁当

2005年08月31日 | 弁当・料理~Gourmet
☆お弁当☆
・卵焼き
・トンカツ
・ウィンナー&ピーマン炒め
・ソーセージハム
・かぼちゃの含め煮
・ミニドッグ
・ご飯(梅入りゆかり)

☆晩ご飯☆

ダウンにより、宅配ピザ。







鬱病の彼との軌跡⑥(2005年7月頃)

2005年08月31日 | 愛のメンタルケア~Mental
リンク:【鬱病の彼との軌跡①(2005年1月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡②(2005年2月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡③(2005年2~3月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡④(2005年3月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡⑤(2005年4~6月頃)】



些細な喧嘩もありながら、彼とは順調に過ごしていました。
病気は完治したと思うくらいに、何も感じませんでした。
違和感も無い。 仕事も普通にしてる。 電話も携帯メールも元通り。
完全に治ったんじゃないか・・。 それくらい安心しきっていました。

しかし、【鬱病】は彼の中にまだ存在していた。
時折、パソコンのメールが途切れる・・。

【しばらく、またブルってました。】

この文字を見ると、『アア・・そうなんだな・・・』と思い出す。
でも、2ヶ月もの会えなかったあの辛い時期にだけは戻るまい。
そう、心に留め、日々を大切に過ごした。

時には、一緒にオークションの出品作業。
3人でのドライブも体験した。

夏には、海に行こう!プールに行こう!
キャンプもいいね。
バーベキューもしようね。
花火大会もいっぱい見に行こう!

夢をたくさん追い、楽しい未来図を思い描く素敵な日々。
もう大丈夫なような気がする。
これから、以前に思った【普通のカップル】【普通の家族】のように出来る。
その幸せさでいっぱいでした。

それが大きな甘え。
衝突も増えてきた。
今までは、腫れ物を触るような接し方をしてきた私。
【大丈夫】のその甘えから、ワガママも続発。

そして、7月の3連休の中日。

『最近、うちに来てもスカパーばっかりで淋しいよ。』
『スカパーがあるからうちに来てるんでしょ。』
『二人でゆっくりと話し合って無い気がする。』
『話ししてても、スカパーの本ばっかり見て。』
『二人でいてても、淋しさを感じてばかり。』

彼は、反論しない。
あえて、私をなだめようと一生懸命。

『俺はトラブルを避けたいからな。』
『ごめんな。以後気をつけるから。』

それでも、私の淋しさの爆発は止まらなかった。
言い続ける私・・。

彼は発作を起こしました。パニックのような発作でした。参照
私のせい。私の発言のせいです。
何もかも私のせい。

発作が収まった彼は、真夜中にも関わらず帰って行った。
それっきり、現在まで会っていません。
約1ヶ月半・・・。

その時に発した数々の彼の言葉を信じたい。
書くのは控えますが、彼は私を信頼してくれていた内容でした。
自責の念にかられましたが、その言葉を信じたい。

その後のメールでは、今までのように長文はもらえない。
それでも、私はメールを今でも書き続けています。

彼は闘っている。
必死に、自分の為に・・そして、私たちの為に闘っている。
そして、必ず私たちのところ、ココに必ず戻って来てくれる。
そう信じています。

私も自分の病気を克服しながら、彼を支えたい。
微力ながらに、日々を大切に・・そう思っています。



リンク:意を決して!
リンク:どうかお願い
リンク:メール☆








鬱病の彼との軌跡⑤(2005年4~6月頃)

2005年08月31日 | 愛のメンタルケア~Mental
リンク:【鬱病の彼との軌跡①(2005年1月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡②(2005年2月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡③(2005年2~3月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡④(2005年3月頃)】



順調に彼の体調も回復に思えた。
少なくとも、我が家で過ごす彼は、今まで通りの普通の彼でした。
睡眠障害があったのか、我が家でも、2~3時間くらいしか寝ていない。
それでも、元気そうに楽しそうに過ごしていた。

それに安心したのか、私の体調が不良。
胃の調子を崩したり、ご飯が食べられなくなったり。
果てには、過去の失態のフラッシュバックに悩まされ、日々苦痛。
(思えば鬱の傾向はこの頃からあったのかも知れない。)
自分の苦しさに、過去の悪夢に縛られたかのように、我が身が言うことを聞かない。
ご飯が食べれない。眠れない。

そして、まともな・・世間一般で言うデートをしていない不満。
比べるのは嫌いだけど、友達の彼とはやっぱり違う。
土曜日には、ドライブに出掛けて、お食事。
日曜日は子連れで、遊園地やテーマパーク。
そんな話を聞くと、『うちはまともじゃないんだな・・』落ち込む日々。
(まさしく【鬱病】を理解していない証拠ですよね。)
そして、カラオケに行ったときに見せてくれた彼の携帯。
女の子の名前が着歴にのってた。
それだけで、疑心暗鬼は増えてく一方、自信喪失は加速をあげた。

彼に、このまま付き合っていく自信がありません.... と伝えた。

長文のメールが返ってきた。

俺には君の望むことをしてやれない。
そう、鬱病だから・・・。

そして、その日のメールの最後に言葉のプレゼントが書いてありました。

【比翼連理】

私の一生の宝物。
意味は長くなるので、省略しますが、夫婦のような固い絆・・という意味。

嬉しかったです。
もう一度、自分に自信を取り戻し、彼について行こう!と決心しました。
その日は、携帯だったにも関わらず、朝まで電話で話しました。
とてもとても、意味のあった電話だったと思います。


私の体調不良のほうは、きちんと病院に行って検査をし、異常なしを確認。
とりあえず、問題は終わり・・。と思ったら・・

4月末の、【尼崎脱線事故】です。
思い出したくなかった、過去の失態を嫌でも思い出してしまうことになりました。
私は気が狂っていた。
しかし、彼に過去を話せば嫌われる・・。独りで悩みました。
これ以上、彼に負担はかけられない。本当に独りで悩みました。
でも、最終的には打ち明け・・・ こちらです

何ともない、幸せな夜に変わりました。

【鬱病】の彼を、支えるどころか私はどれだけの負担をかけてきたのだろうか。
今から思えば、最低最悪の彼女だったと思います。
それでも、彼は私から離れなかった。感謝するしかありません。
ありがとう・・・。


⑥へ続く・・・。







鬱病の彼との軌跡④(2005年3月頃)

2005年08月31日 | 愛のメンタルケア~Mental
リンク:【鬱病の彼との軌跡①(2005年1月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡②(2005年2月頃)】
リンク:【鬱病の彼との軌跡③(2005年2~3月頃)】


彼は説明が出来ないことを必死で説明する。
それが精一杯だったのだろう・・。今、思えば解る。痛いくらいに解る。

そして、3月の中頃・・会える日が来ました。
2ヶ月以上ぶりの再会です。

病気のことは一切触れないで欲しい。
ムシの良い話だけど、出来れば何もなかったかのように接して欲しい。
ちょっとの事で沈鬱へとスクーパする自分はまだまだ治っていない。


こう、言われた通り、私は全く触れなかった。
2ヶ月以上ものブランクを感じさせない接し方をした。
その日は、土曜の晩からきて、火曜日の朝方に帰って行った。
約2日間・・。 とても楽しかったし、彼は何も変わってなかった。
まるで、本当に病気だったのかどうか?ってくらいに何も変わってなかった。

【鬱病】は、食生活も大切だと聞きました。
彼が滞在中は、栄養バランスの取れた食事を作り、家に帰ってからも温めるだけで
食べれるように、作ってタッパーに入れて持って帰らせる。
彼は、背負ってくるDバッグをパンパンにして、いつも帰るのです。(笑)
せめて、離れている一週間・・私を感じていられるように・・。

その日の帰りはさすがに、泣いてしまいました。

・・・また、何ヶ月も会えないような気がして・・・

でも、彼はまた次の週も会いに来てくれました。
私がオークションの仕事を始めたこと。
その商品の為に、棚を作ってくれたりした。
大工仕事をしている彼。その横で邪魔をしてるのか手伝ってるのか娘。
その光景をキッチンから見ながら、私は食事の支度。
その何でもない、普通であろう光景が、胸に込み上げた。

次の週、私の実家の用事で、レンタカーを借りて実家に帰った。
24時間のレンタルで、日帰りで帰って来て、その晩は彼とドライブに行った。
車の無い私たちには、初めてのドライブ。夜中だけど・・(娘が寝てから。)
大阪にはキレイな海なんて無いけど、天保山へと出掛けた。
この日、初めて彼の家に行きました。

迎えに行って、走りながら海を目指す。
海に到着して、キラキラと光る水面を見ながらベンチでお喋り。
週末とあって、どこからともなくカップルが来る。
皆同じ。私たちも普通のカップルに見えるはず。
春のまだ外も寒い中、海を眺めて喋るなんて、『バカップル』だねー。って言いながら。
その普通の『バカップル』で居られた時間がとても愛しく感じられました。
彼が病気になって、その普通の時間が持てなかった。
当たり前の夜の海のデートもままならなかった。
不満をぶつけるだけで、理解しようとしていた【つもり】だけであって。
初めての海のデートで得たものは、大きかったです。

今までの辛かった2ヶ月もの時間を全て、消え去ってくれたように思った。

どんなに辛いことがあっても、彼という存在が私を強くしてくれる。
彼と言う存在がなければ、私は今日この日まで、これなかった。
【鬱病】になってしまった今も、そう思っています。


⑤へ続く・・・。