創作の世界

工房しはんの描く、文字系の創作世界。

8・女子

2014-09-15 07:57:32 | 日記
 楕円球は気まぐれだ。いったん転がりだすと、どこにいくかわからない。なのに、神様が必要と判断したとき、ボールは向かうべきところに向かう。その日の練習中、権現森が力まかせに蹴ったボールは、はるかサイドラインを割って、フィールド外に飛び出していった。
「おー、すまんーっ」
「ったく、どこ蹴ってんだよお」
 ノリチカがいら立った声をあげる。ボールが転がったのは、三人から正確に等距離の位置だ。仕方なく、オレが拾いにいく。
 てんてんとしたボールは、細い足首に当たってとまった。
「あ、すいません。ボール取ってもらえますかあ?」
 濃紺のソックスにきりりとくるぶしが立った、凛とした足だった。そのつま先は、まっすぐにグラウンドに向いている。女子は、足下のボールに手を伸ばした。オレが近寄ると、夕焼けの中で屈んだ背中が光の粒をこぼしながらゆっくりと起こされた。前髪が払われたとき、なつかしい菜の花の匂いがした。
「ふうん、ラグビーとはね」
 耳の奥に記憶として残る声のトーン。はっ、とした。
「・・・いろは・・・?」
 瑞々しく成長した幼なじみがそこにいた。それはもうまばゆいばかりの姿だった。細長い躯の芯はなめらかに反り、四肢はのびのびとしなって、まるで野生の子鹿のようだ。長い黒髪が風になびいて、清潔な光を散らす。
 まっ白なブラウスに包まれた腕がひょいと伸び、ボールが差し出された。こっちを見つめる大きな瞳。潤いに満ちた唇が、いたずらっぽく舟形を描いている。
「おぼえててくれたんだ、義靖。また同じガッコーだよ。小2のテンコーでサヨナラして以来かあ」
 いったい何年ぶりの邂逅ってことになるのだろう?まだ目の前の光景が信じられない。
「合格発表の名簿で義靖の名前見つけてさ、あーっ、って。笑ったよ。あんたにしてはがんばったじゃない、こんなそこそこの学校に入れたなんて」
 上からものを言う態度も変わっていない。すみからすみまで、市井いろはだ。見渡すかぎりの菜の花畑でチョウチョを追いかけまくった、幼い頃の戦友だ。いや、上官と言うべきか。義靖少年は子分として扱われていた。いろはの命令は絶対だった。走れと言われれば走り、持ち上げろと言われれば持ち上げ、飛び込めと言われれば飛び込み、そうしてオレは鍛えられた。が、小学校に入って少したった頃に、ジエータイの父親を持つ彼女は、慌ただしくどこか遠くの町へと引っ越してしまったのだった。
「相変わらずひょろひょろなのね。ノッポにはなったけど」
「おまえこそ・・・なんていうか・・・」
 お互いに会わなくなってからの、なんという劇的な歳月だろう。その時間は、あのやんちゃな女ボスを、オンナに変貌させていた。いや、胸はまだひどく小さい。色香もなく、体つきは少年のようでもある。が、たたずまいがちがう。気品といってもいい。目の前に立つ15歳のいろはは、怖いくらいに子供じゃない。どこをどう取ってもオンナだ。再び出会ったことよりも、むしろその点に動揺する。
 ノリチカと権現森が、ナニゴトか?と駆け寄ってくる。オレはあわてて、いろはの手からボールを引ったくろうとした。しかし、それはかわされた。
「いくよーっ」
 いろはの細長い足が、振り子のように弧を描いた。ぼーん・・・思いきり蹴られたボールは、はるかあさっての方向に飛んでいく。
「取ってこいっ、義靖」
 相変わらずの命令口調だ。そして、幼い時期に背骨に焼き付いた反応というものだろうか?その声につられて、オレは走りだしていた。わんわん。振り返ると、見違えるほどに大人びた幼なじみが、しかしあの頃とそっくりに拳を振り上げている。
「全力で走れ~っ!」
 何年たっても子分扱いだ。
(なんであいつが・・・)
 オレはなぜか耳まで赤くなっていた。ノリチカと権現森は立ち止まり、怪訝な顔をしている。そして、翌日からマネージャーになる女子を、いつまでも値踏みしていた。

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7・仲間

2014-09-14 07:56:28 | 日記
 ついに立てなくなってへたり込むと、権現森惣一郎が太い腕でオレの首根っこをつかみ、水場まで運んでくれた。権現森は、三人きり残った新入部員のひとりだ。無口な男で、中量級レスラーのように堂々とした体躯の持ち主だ。町内に相撲好きのおっさんがいて、小、中とその人物に揉まれてきたのだという。コブコブの筋肉によろわれた上腕、そして繊維がキレキレに編み込まれた太ももは、とても同い年のものとは思えなかった。筋骨隆々の肉体をのっしのっしと揺らす姿はすでに貫禄たっぷりで、先輩たちをもタジタジとさせる。しかも、その落ち着いたたたずまいを見ただけで聡明と知れ、人間としてまるで非の打ちどころがない。権現森は同期の中で(三人しかいないが・・・)、掛け値なしに幹部候補生だった。そんなやつもまた、激しい練習で息も絶え絶えだ。なのに、数少なくなった仲間を見捨てておくことができないらしい。いつもオレの面倒をみてくれた。
「水飲んで休んだら、グラウンドに戻れよ。必ずな」
 無表情に言い放つ。そして、
「待ってるからな」
 声低くそう言い残して、再び先輩たちのケンカ祭の中に飛び込んでいく。そんな姿を見せられたら、自分ひとり逃げることなどできるわけがない。罪作りな男だった。
 また、チャラくて生意気で、まっ先にそそくさと遁走するだろうと思われたもうひとりの新入部員も、血へどを吐き、ひざをがくがくとわらわせながらも、次のダッシュをやめようとしない。チビですばしこい野生動物・才川ノリチカは、ニンゲン狩りで捕獲される際にも、先輩たちを相当に手こずらせた。その点が認められ、「犬のように足が速く、ワニのようにアゴが強く、ニワトリのようにファイトする」と絶賛された。せっかちでふるまいは粗暴だが、ひとたびボールが転がれば、本能でどこまでも追いかけていく。
「ボールを持ったら、ぜってー誰にも渡さねえ」
 ルールを理解しているんだかいないんだか、とにかく、このバカだが有用な人材は、のちに頼もしいバックスの切り札となった。
 三人は最初の数週間を、ボロ雑巾のように真っ黒に汚れ、水分の一滴も残らないまでに絞られまくって過ごした。なのに、誰もやめようとは言いださなかった。このあたりの心持ちは、オレ自身にもまったく理解不能だ。が、とにかく、つづけたいとは思わないが、やめようともついぞ言いだすことがなかった。それは、自分の他に二人がいる、という、心強さというよりは、単純な意地があったからにちがいない。まったく意味不明な情熱が、三人を突き動かしているようだった。強情っぱりなのか、ケチなプライドなのか、とにかく食らいついていく。そして、やつらがつづけている以上、オレもまたやらねばなるまい。
 オレと権現森とノリチカは、結局なぜラグビーをやっているのか?という根本を自覚しないまま、なんとなく卒業まで一緒にグラウンドをのたくった。 

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6・インフレ新入部員

2014-09-12 21:10:41 | 日記
 その後の数日間というもの、ラグビー部員たちの膨大なエネルギーは、ひたすらニンゲン狩りに費やされた。オレもまたボールに触れることもなく、校内に独り歩きの新入生を発見しては追っかけて捕獲する、という共同作業に従事させられた。
「これも練習の一環だ。本気でやれよ」
 オサが檄を飛ばす。
(なにが練習だ。これじゃまるで鬼ごっこじゃないか・・・)
 ところがのちに理解することだが、確かにラグビーとは、高度に統制された鬼ごっこなのだった。新人の捕獲も、追う側に立ってみると、これがなかなかスリリングで愉快なものだ。逃げる相手を取っ捕まえたときの快感ったらない。こうしてオレはいつしか犯罪に手を染め、野人たち(ラグビー部員)と一蓮托生の環境に身を置かされて、足抜けが許されなくなっていた。
 インフレ新入部員は、オレを含めて十名あまりも確保された。ところが次から次へとたちまちのうちに脱走していく。代わりを補充しても補充しても、ザルのように抜けていってしまうのだ。半月も過ぎた頃には、残った新人はオレを含めて三人きりという有り様だった。それも当然だろう。自主的に入部したわけではない上に、ラグビー部における新人の役割とは、ボコボコにされることなのだ。体罰やいじめが行われているわけではない。先輩たちの接し方は、フェアそのものだ。なのに、基礎練習で軽く揉まれるだけで、ボロ雑巾のようにのされてしまう。
(こんなにつらいとは・・・)
 このオレとて、何度やめようと思ったことか。が、この優柔不断な性格のせいで、なんとなく時期を逸してしまう。さっさと見切りをつけた者は賢明だった。だが気がつけば、もうこっそりと蒸発できるような雰囲気ではなくなっていた。人数がすでに、試合が成立するぎりぎりしかいないカンジ(ラグビーとは何人でやるスポーツなのか?からして知らなかった)になっている。先輩たちもさすがに、これ以上やめられては困る、とピリピリしてきた。猛烈に熱い「やめんじゃねーぞ光線」を、細い背中に突き刺してくる。
(無理やり引き込んどいて、そりゃないだろ・・・)
 口からこぼれそうになる弱音を鼻血といっしょに飲みくだし、オレは一千回立ち上がる。が、立ち上がっても立ち上がっても、ボコボコに潰される。ボールを奪りっこしているだけなのに、ワンプレーが終わるたびにグラウンドの土をなめているのが不思議だった。

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5・入部

2014-09-10 20:25:02 | 日記
 立て付けの悪い入り口から足を踏み入れると、いきなりねっとりとした布がおでこに触れた。飛びのいて、あらためて室内を見渡す。壁から物干しロープが四方に巡らしてあり、顔をそむけたくなるような異臭を放つ靴下や、青かびをはびこらせるシャツなどが掛かっている。額に触れたのは、虫も寄りつかなそうな謎の布片だった。
(く、くさい・・・)
 野積みにされたスパイクから立ちのぼる腐臭もすごい。部屋内の空気は色味がかって見えるようなよどみ方で、それは鼻を突くというよりも、脳にくるタイプの濃密さをもって体内に殺到してくる。まるでガス室だ。なのに立ちはだかる男たちは、さっきまでの渋面を、一転してやみくもな笑顔に変えていた。
「せっかくきてくれたんだからさ、ちょっとやってく?ラグビー」
「え?いや、よくわかんないですし・・・」
 有無を言えるような状況ではない。毛むくじゃらのオサは、物干し竿から最も粗末な一品を選り抜き、うやうやしく新入生に手渡した。それに着替えよ、ということらしい。
「いやいやいや・・・ないないない・・・」
「そんなこと言わないでさ、さあ。さ、さ、さ」
「さあ・・・ったって・・・」
 渡されたジャージーは土をこびりつかせてパリパリにかたまり、イカみりんせんべいみたいになっている。短パンはビリビリに破れていて、尻が半分隠れるかどうかもあやしい。ソックスに至っては、ねっとりじっとりと湿って、微生物培養の温床とするにぴったしの小宇宙と化している。ムリだ、ムリすぎる。
「あの・・・ちょっとこれは・・・」
「なんだよう。ここまでついてきといて、嫌だってのか?」
 男たちは、笑顔から一転して、恐ろしい顔になっている。拒否は通りそうにない。この場所はアウェイすぎる。逃げ場を失ったオレは羽交い締めにされ、身ぐるみをはがされた。仕方なくそのザラザラのシャツに細首を通し、皮革をズタズタに踏み刻まれたスパイクを履いた。
「へえ、似合うじゃん!」
「え?・・・そうすか?」
 この状況で、それ以外に許される言葉があったろうか?
「おめでとう。ようこそラグビー部へ」
「えっ!」
「今日からおまえは、俺たちの仲間、ラグビー部員だ」
 ギョッとした。これで決定だというのか?このオレが、ラグビー部員?
「ちょっとま・・・」
 しかし戸惑う間にも、オレの手の平は男たちの手から手に渡されていく。そして次々に握手の契りが交わされる。既成事実が積み上げられていく。再び笑顔笑顔が部屋中を満たしている。そして大拍手。どうしようもなかった。こうしてオレは、この荒くれたスポーツとつき合うことになったのだった。

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4・誘拐

2014-09-09 09:04:18 | 日記
 それは誘拐事件からはじまった。
 15歳のオレは、「北国」と呼ばれる地元県の、たいして賢くもないがバカというわけでもない高校に進学した。その新入学生として登校した、まさに初日のことだ。オレはただ、放課後の校庭を意気揚々と歩いていただけなのだ。
「ふぁいとーっ!」
 突如、平安は打ち砕かれた。至近距離から発せられた出し抜けな大声が、凪いだ心の海原に逆巻く荒波を起こす。
「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」・・・
 驚いて振り向くと、そこには小山のような体躯の男たちがいた。こちらを取り囲むように隊伍を展開している。恐怖に凍りつく新入生の細長い背中は、見る間に巨大な肉塊に吸収された。
「ふぁいとー、ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」「ぜっ」「おうっ」・・・
 密集にくるまれて行く手をさえぎられ、身動きがとれない。男たちは一様に太い横シマのシャツを着ている。そのむくつけき風貌と相まって、集団脱走した囚人を連想させる。
 不意に、肩をつつかれた。
「ほれ、おめーも声ださんかい」
 オサと見られる男が、汗臭い顔を突きつけ、要求してくる。
「オ・・・オレがですか?」
「そうだよ、あたりめーだろ。ふぁいとーっ!ぜっ!・・・ほれっ」
 バカな。そんな恥ずかしいマネができるものか。しかし、ワナの網は巧妙に張られている。
 確かに、いつもぼんやりと過ごしている。優等生というわけではないが、勉強はそこそこでき、かっこ悪くはないと思うが、とりたててイケメンというわけでもなく、スポーツなど特にしたこともなく、画を描くことだけが特技。常に周囲と同化して、出るクイにならないように生きてきたつもりだ。なのに、これはどうしたことだ?
「おい、どうした。声だせよ」
 大男はなおも執拗に求めてくる。声を出せば気がすむのだろうか?戸惑いつつも、従ってみた。
「お、おう・・・」
「へー、いいじゃない、いいじゃない」
 するとやつらは、満足げな笑みを口元に浮かべはじめた。集団に吸収されたオレは、行きたい道をそれ、誘導されるがままに足を運ばされていく。
 やつらが人さらいだと気づいたのは、校舎から離れたわびしい掘っ建て小屋に拉致された後のことだった。連れ込まれたのは、「ラグビー部」と書きなぐった看板が掲げられた一室だ。

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3・海

2014-09-04 23:20:42 | 日記
 ひじを起こして頬杖をつくと、眼下で、芝が針のような葉をひらこうとしている。芝生は、枯れ色の中にあざやかな緑を回復しつつある。視線を泳がせると、遠く淡く、シロツメクサの群生が目に入った。
「おっ」
 美しいとも言いがたいその素朴な花は、不思議なことにコーナーフラッグに向かってまっすぐに並んで咲いている。まっすぐにまっすぐに、まっすぐに咲いた、ひたすら一直線な白い花の連なり。
「うわあ・・・」
 身を起こしてグラウンドを見渡すと、不意に胸を突かれる。エンドライン、サイドライン、22mライン、テンmライン、センターサークル・・・フィールド上の白いラインは、シロツメクサの花で描かれている。この花は、栄養分のゆきとどいた消石灰の上に密生して咲いているのだ。彼女たちは、雪に埋もれる数ヶ月の間、白粉の盛られたラインの下で肩を寄せ合って過ごした。それが春になって、いっせいに芽吹き、花ひらいたというわけだ。まったく劇的な光景だ。
(あの頃となんにも変わってないな・・・)
 ひとつのことを除いては。
 隣の二人も同じことを考えているのかもしれない。その視線は、グラウンド上のなにを見るでもなく、遠い日の記憶野を漂っている。
「酒にはまだ日が高いし、海にでもいくか」
 実家の母親の軽を借りてきている。横の二人は、はた、と現世に戻ってきた。そして「当然」とばかりに同意した。誰も口にはしなかったが、そのことは決まっていたのだ。誰もが、残された三人でいく、と心してきたことだろう。気乗りはしないが、いかなくちゃ、と。
 海までは、川沿いを下って数キロ、といったところだ。あのときは、一台のチャリだった。今日は車だ。みんな、黙って軽に乗り込んだ。
 信号が変わる。アクセルを踏む。国道を飛ばすと、こんなに近かったっけ?と奇妙な感覚にとらわれる。窓の外は、記憶の風景のすき間すき間にちょこちょこと新しい飲食店やモダンなビルが肩をこじ入れてはいるが、おおむね、当時と変わりはない。なのに、あのときとはまるで違ったものに見えるのも不思議だ。
 脇道に折れる。ガタガタと未舗装路をゆく。間違いなく同じ道だ。十年前のあの日にくぐった高架を抜けると、穏やかな潮騒が聞こえて、視界が光に満たされた。スクリーンを真横に撫で切ったようなシンプルな構図が現れる。陳腐に表現すれば、スカイブルーとマリンブルーに白、という配色だ。
 わあ・・・
 海を前に誰もが漏らす嘆息が、いっせいに漏れた。
 天高くにヒバリがさえずっている。陽射しが、障害物無しの素通しな空間をななめに降りてくる。なにも話せなくなる。フラッシュバックというやつなのか。最後に四人で過ごしたあの日の情景が、瞬くまぶたの裏にチラチラと投影される。空と、海。男子、女子。
 だけどもう、今この瞬間は、男も女もない。押し黙ったままのその場の雰囲気に、耐えきれない。
「焚き木、集めてみようぜ」
 力無い笑みが返ってくる。三人は左右に別れ、浜へと緩慢に散った。ひとり減るだけで、お互いの間にこんなにも大きな空間がひろがるものなのか。立ち位置に困る。間を埋め合わせるものがない。
 頭を空っぽにして、巨大な流木と格闘した。腕まくりをして樹塊を引きずり、噴き出しては乾く汗の塩けをくちびるの縁に味わった。そしてあの日、耳元で聞いた言葉を反芻した。
(しょっぱかったよ)
 身悶えたくなる。それはずっと心の青い部分に刺さっていた、逆トゲのような言葉だ。

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2・グラウンド

2014-09-02 16:33:29 | 日記
 奇妙な光景だ。魔法の動きをする楕円球は、人間を野生に帰らせる。ただでさえ野人に近いラグビー部員たちは、不規則なバウンドに本能をかき立てられ、毛糸玉を追うネコのようにじゃれかかっていく。いとおしい、バカそのものの姿だ。ボールはひろわれ、放り投げられ、大切にかかえられ、また乱暴に蹴飛ばされて、やがて仲間たちの間で手渡されながらゴールエリアに運ばれる。
「トラ~イ!」
 春空に響くやんやの歓声。変わらない。わが母校のラグビー部は、伝統的に、毎年こうして始動するのだ。その日があらかじめ決められているわけではない。なんとなくみんながグラウンドに集まった日が、その年のスタート日だ。桜と同じだ。いい陽気で、いい風が吹いて、ほわんと気分さえよければ、それが花をほころばせるその日なのだ。
 三人並んでグラウンド脇に立っていると、ちょうど足下に革張りのボールが転がってきた。ぼろぼろに使い込まれて、ヤスリにかけられたようなボールだ。
「すいませーん。取ってくださーい」
「おーっ」
 履き慣れない革靴で、グラウンドに向かって蹴り込む。が、ボールはあさっての方向に飛んでいき、竹薮に消えていった。
「わりーわりー」
 背後で、からから、く、く、く、と笑い声が聞こえる。ずいぶんボールにも触っていないのだ。しょうがないだろう。ここを卒業した後、東京の美大でデザインの勉強をし、今はデザイン事務所で図面を引いている。一日の大半がパソコン仕事だ。不摂生と運動不足の27歳。もうあんな「ケガ覚悟のガチのおしくらまんじゅう」はムリだ。いや、ゴメンだ、と言ったほうがいい。むしろ、よくもあんなバカバカしいケズリ合いをしていたものだ、と不思議にさえ思う。仲間がいなかったら、きっとすぐにやめていたにちがいない。
 黒スーツを脱ぎ、ネクタイをはずした。乾いた芝生に寝転がってみる。隣の二人も、並んで横になった。
「川の字だな」
 あはは、と、両脇から力のない笑い声があがる。あの頃もよくこうして並んで寝そべり、抜けそうな青空に見入ったものだった。そう、「四人」で。

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四人だった/1・雪解け

2014-09-01 08:51:42 | 日記
 ほわんと南風のにおいがする。にぶく垂れ込めていた雲が流され、空がひらくと、この田舎町の長い冬もようやく終りだ。踏み固められた雪がじわじわと解け、凍てついた土はやわらかくほどけていく。冬枯れた緑はここぞとばかりに新しい命を芽吹かせる。モノクロだった風景が、あざやかな色彩をとりもどす。グラウンドの芝生はふっくらと日光をはらんで、呼吸をはじめる。草のにおいをふくんだ酸素の対流。かぐわしい風は、校舎の窓のカーテンをそよがせ、オレたちの鼻先をくすぐる。あの頃とおんなじだ。
「じゃあ、先生」
「おう。またいつでもこいや」
 深々とお辞儀をして、当時の顧問だったノボちゃんと別れた。ノボちゃんは十年たった今もまだ、この高校でラグビー部を受け持っている。一年中スウェット姿の筋肉バカが、場違いな黒スーツを着ていると、まるで「組織幹部の警護をする構成員」に見える。体育教官室を出た途端に、三人で顔を見合わせ、苦笑いした。そんなオレたちだって、喪服姿がまるで似合っちゃいないのだが。
「お、見ろよ」
 眼下のグラウンドに、色とりどりなジャージーを身に着けたラグビー部員たちが散開している。啓蟄に虫が這い出すのと同じ理屈で、コチコチに凍っていた土が春風にゆるむと、ラガーマンは凝り固まった背骨を陽の下に伸ばしにグラウンドへ出てくるのだ。
「なんだよあいつら、だらしねーな・・・」
 大地が雪に閉ざされるあいだに、部員たちは土の感触などすっかり忘れてしまっている。この春先は、土を思い出すリハビリの時期と言っていい。そのせいか、誰もがだらだらと、ヨタヨタと、病人のようにうごめき、まるで規律ってものがない。なるほど、オレたちの頃よりもジャージーやスパイクのデザインは劇的にかっこよくなってはいるが、やる気のなさとぼんやりとした気構えは当時と同じようだ。
 やがて部員たちは、遊び半分にボールをまわしはじめた。無秩序で、粗雑で、お互いに笑い、ふざけ合ったりして、気合いゼロ。しかしそれは、うれしくてたのしくて仕方がない心の内を如実にさらしている風景で、好ましい。
「グラウンドに下りてみるか」
 オレたちは目を交わし、うなずき合った。

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