創作の世界

工房しはんの描く、文字系の創作世界。

3・海

2014-09-04 23:20:42 | 日記
 ひじを起こして頬杖をつくと、眼下で、芝が針のような葉をひらこうとしている。芝生は、枯れ色の中にあざやかな緑を回復しつつある。視線を泳がせると、遠く淡く、シロツメクサの群生が目に入った。
「おっ」
 美しいとも言いがたいその素朴な花は、不思議なことにコーナーフラッグに向かってまっすぐに並んで咲いている。まっすぐにまっすぐに、まっすぐに咲いた、ひたすら一直線な白い花の連なり。
「うわあ・・・」
 身を起こしてグラウンドを見渡すと、不意に胸を突かれる。エンドライン、サイドライン、22mライン、テンmライン、センターサークル・・・フィールド上の白いラインは、シロツメクサの花で描かれている。この花は、栄養分のゆきとどいた消石灰の上に密生して咲いているのだ。彼女たちは、雪に埋もれる数ヶ月の間、白粉の盛られたラインの下で肩を寄せ合って過ごした。それが春になって、いっせいに芽吹き、花ひらいたというわけだ。まったく劇的な光景だ。
(あの頃となんにも変わってないな・・・)
 ひとつのことを除いては。
 隣の二人も同じことを考えているのかもしれない。その視線は、グラウンド上のなにを見るでもなく、遠い日の記憶野を漂っている。
「酒にはまだ日が高いし、海にでもいくか」
 実家の母親の軽を借りてきている。横の二人は、はた、と現世に戻ってきた。そして「当然」とばかりに同意した。誰も口にはしなかったが、そのことは決まっていたのだ。誰もが、残された三人でいく、と心してきたことだろう。気乗りはしないが、いかなくちゃ、と。
 海までは、川沿いを下って数キロ、といったところだ。あのときは、一台のチャリだった。今日は車だ。みんな、黙って軽に乗り込んだ。
 信号が変わる。アクセルを踏む。国道を飛ばすと、こんなに近かったっけ?と奇妙な感覚にとらわれる。窓の外は、記憶の風景のすき間すき間にちょこちょこと新しい飲食店やモダンなビルが肩をこじ入れてはいるが、おおむね、当時と変わりはない。なのに、あのときとはまるで違ったものに見えるのも不思議だ。
 脇道に折れる。ガタガタと未舗装路をゆく。間違いなく同じ道だ。十年前のあの日にくぐった高架を抜けると、穏やかな潮騒が聞こえて、視界が光に満たされた。スクリーンを真横に撫で切ったようなシンプルな構図が現れる。陳腐に表現すれば、スカイブルーとマリンブルーに白、という配色だ。
 わあ・・・
 海を前に誰もが漏らす嘆息が、いっせいに漏れた。
 天高くにヒバリがさえずっている。陽射しが、障害物無しの素通しな空間をななめに降りてくる。なにも話せなくなる。フラッシュバックというやつなのか。最後に四人で過ごしたあの日の情景が、瞬くまぶたの裏にチラチラと投影される。空と、海。男子、女子。
 だけどもう、今この瞬間は、男も女もない。押し黙ったままのその場の雰囲気に、耐えきれない。
「焚き木、集めてみようぜ」
 力無い笑みが返ってくる。三人は左右に別れ、浜へと緩慢に散った。ひとり減るだけで、お互いの間にこんなにも大きな空間がひろがるものなのか。立ち位置に困る。間を埋め合わせるものがない。
 頭を空っぽにして、巨大な流木と格闘した。腕まくりをして樹塊を引きずり、噴き出しては乾く汗の塩けをくちびるの縁に味わった。そしてあの日、耳元で聞いた言葉を反芻した。
(しょっぱかったよ)
 身悶えたくなる。それはずっと心の青い部分に刺さっていた、逆トゲのような言葉だ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園