創作の世界

工房しはんの描く、文字系の創作世界。

最終話・ハッピー

2011-12-13 09:00:02 | 日記
「『完』・・・と」
 「小麦の風景」最終話のネームを再び描き終え、ちゃぶ台に鉛筆を置いたオレなわけである。
「・・・ちょっと待って。こんな陰惨な一日だっけ?」
 小麦はまたしても不服そうだ。
「な。だろ?だから脚色しよう、っつったんだよ。これじゃ、読者がドン引くだろうがっ」
「んー・・・ハッピーエンドに落ち着くという筋立てが、およそ見えないキャラふたりですねぇ・・・」
 宮古も困惑顔だ。
「だから、さっきのネームあたりが落としどころなんだよっ」
「そもそも、ハッピーエンドでなきゃだめなの?マンガって」
「エッセイマンガの作法として、そうなれば据わりがいいんですけどねぇ・・・」
「じゃ、どうしたらいいんだよっ」
「ハッピーじゃないマンガにしちゃえ」
「いけませんっ」
 だけど、と、独り身の宮古はつくづくと不思議そうな顔をする。
「どうしてですかね?実際のふたりは、ハッピーに見えるんですけどねえ・・・」
 考え詰めても答えは出ない。最終話のストーリー展開は袋小路となった。なんとかスッキリとおさめなければ。
 そのとき、なにを思ったか、小麦が姿勢を起こした。
「よし、わかったよ!あたしが描いてあげる。人気マンガ家の現役復帰だっ」
「じょ、冗談言うなっ。だいたいおまえが勝手に降りたから、こんなハメになってんだぞっ」
「それを言うなら、あたしのおかげで仕事がもらえました、でしょっ。鉛筆かしてよ」
「なにすんだ。かえせっ」
「よこしなさいっ」
「鉛筆かえせよおっ」
「だったら連載かえせっ」
 一本の鉛筆を奪い合う。指と指が絡まり合う。小麦のその薬指には、リングが光ってる。これだけは、部屋のなにを売って手に入れたものでもない。オレが自分で、正真正銘の原稿料収入で買ったものだ。あの悪夢のクリスマス後に。魔が差したのだ。
「だったら、そのリングも返せっ」
「返すもんかっ。あたしのものだっ」
 ふたりでもつれつつ、部屋中を転げまわる。それをながめて、独り身の宮古はつくづくとうらやましそうな顔をする。
「・・・どう見ても、ハッピーなんですけどねえ・・・」
 しかしふたりにはそれが自覚できない。本気のケンカ腰だ。
「おまえのものはオレのもんだろぉっ」
「あんたのものもあたしのもんなのっ」
 ハッピーエンドなんて想像できない。ふたりはいったい、どこへ向かおうとしてるんだろう・・・?
 そうだ。「完」よりもしっくりくる終わらせ方があるぞ。あれを使おう。それは、ふたりにふさわしいエンドコールだ。
「つ・づ・く」

 おしまい

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22・事件現場

2011-12-12 09:20:48 | 日記
「このひとがドロボーです」
「いいえ、ドロボーはこのオンナのほうです」
「・・・ふたりとも、どういうことなんですかっ」
 ふたりから聞き取りをしてる警官はあきれ顔だ。帰り着いたアパートの前には、パトカーが停まってた。真っ赤なパトランプが四方の雪に乱反射して、物々しいフンイキだ。それをヤジ馬が取り囲む。アパート二階の開け放たれた窓、塀やベランダに残る侵入の痕跡、尻が落ちてきて崩落した雪山・・・なるほど、どれひとつとってもただ事ではなく見える。
 それにしても、まさかこんな大ごとになってるとは思わなかった。ほっといていい、と断りを入れたにもかかわらず、大家が110番通報してしまったらしい。
 大家と、死にかけの担当編集者・宮古と、そして開けっ放しの窓から吹き込む風に巻き散らされた原稿という事件現場。そこでは、容疑者ふたり(もちろんオレと小麦)が警察官から聴取を受けながらも、見苦しい罪のなすり合いを演じてる。
「つまり、今夜のドロボーはこのひとなんです」
「だけどいつもドロボーするのはこのオンナのほうです」
「ふたりともいいかげんにしなさい。反省してっ」
「・・・はい」
「・・・はい」
 若僧の巡査にこってりしぼられた。ヤジ馬は散りつつある。
「ヤマキさん、冗談もほどほどにしてくれないと、もう部屋においてあげられないよ。小麦ちゃんもさ」
 大家は怒り心頭だ。
「あ、あの、あの、それよりも、げげ、原稿はまだですか・・・?」
 宮古は毛布にくるまって、歯をカチカチ言わせてる。凍死寸前で、それでも催促を忘れないとは、あっぱれなプロフェッショナル魂だ。
「飲食代金の不足分は、ツケにしときますから」
 スキンヘッド店員までが呼び出され、警察の前で余計なことを証言する。罪状がもうひとつ増えはすまいか、と焦った。
「とにかくふたりとも、クリスマスだからって、浮かれないようにね」
 ようやくパトカーが帰ってく。浮かれてなどいるものか。結局、沈みっぱなしのクリスマス・イブだった。

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21・メリー・クリスマス

2011-12-11 09:14:45 | 日記
「せっかくお金があるなら、飲みなさいよ。ね、いいですかあ?」
 小麦が、背後のスキンヘッドに目配せをする。どんな図太い神経がそのセリフを言わせるのか理解できない。が、なんと従順なことに、スキンヘッドは無言でグラスを持ってきた。まるで、お姫様にかしずく家来のようだ。小麦はそこに、かたわらに置いてたボトルからシャンパンを注いでくれた。
「ご苦労かけますね」
「な、なんだよう・・・」
 虹のような液体を、チビリと口に含む。気の遠くなるような芳香がする。うまいんだかなんなんだかよくはわからないが、その一杯で気分が落ち着いてしまった。これも小麦のあやつる妖術だ。警戒をほどいてはならない。しかし小麦のこういった振る舞いは、不思議とオレを穏やかな心持ちにさせる。まるでまじないのように。
 水面をたゆたうような浮遊感。こんなとき、この女とはしみじみと心を許し合える。思いきって、以前からずっと気になってたことを訊いてみることにした。それは、小麦への最大にして最シンプルな疑問だった。
「・・・あのさ」
「なに?」
「・・・小麦はさ、なんでオレと、一緒にいるんだ?」
「あんたといるとたのしいもん」
 浮遊する気分をたちまちハッとさせるほど、およそよどみのない答えが帰ってきた。その響きはあまりに清潔すぎて、意外の極点を一周したような説得力があった。
 泡まみれの手で小鉢をガチャガチャと洗いながら、小麦は超然とたたずむ。オレはキョトンとするしかない。
「オレといると・・・たのしいの?」
「たのしいよ。なぜ?」
「・・・」
 言われてみれば、たのしいのだった。イライラさせられたり、むずむずさせられたり、じりじりさせられたり、くらくらさせられたり・・・なのに、小麦といるとたのしいのだった。
「へへっ、たのしいよねぇ」
「・・・そう・・・かもな」
「なら、いいじゃない。あたしもたのしいもの」
 そうか、それでいいのか。振り返ってみれば、どんな苦難(それはまったく極端な苦難なのだが)に遭遇しようと、小麦と一緒だと、どういうわけか切り抜けられるのだった。乗り越えてしまえるのだった。
「それにあんたは、命の恩人だし、ね」
 シャンパングラスをカチンと合わせた。毎度の間抜けなメリー・クリスマスだが、平穏すぎるよりはマシなのかもしれない。
「そうだ、もらったコレ・・・手編みの・・・ありがとな・・・」
 首にぐるぐる巻きになった、奇妙な色のマフラー。あらたまって言うと照れくさいものだ。こんもりとした毛糸の中に、鼻先を突っ込んだ。親しみ深い匂いがする。
「ああ、いいのよ。それ、あんたのセーターの毛糸を使ってつくったやつだから」
 はた、と正気にもどった。
「・・・なんだって?」
「何着かほどいて、ごっちゃに編んだから、ヘンテコな色でしょ?」
「ほどくなっ!つか、なぜわざわざヘンテコにするっ!」
 どうも今年の冬は寒いと思ったら、タンスの中のセーターが二、三着足りなくなってたというわけだ。
「これが、大事なセーター何着ぶんも使わなきゃならないようなシロモノかっ!」
「だって、あたしのセーターを編むのにほしい色だったんだもん」
「じゃ、自分のセーターを編んだら毛糸があまったんで、ついでにマフラーをつくってやった、ってわけかっ!」
「そうじゃなくて、必要のない部分を使って練習したのっ。あたしのは、これから『ちゃんと』編むのっ」
 物事をわきまえたスキンヘッドの家来が、ふたりにシャンパンを注ぎにきた。それは、ガソリンの味がした。

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20・再び、マボロシ酒場

2011-12-10 08:59:32 | 日記
 そもそも、ケースを押し入れに残しておいたのが気に食わない。中身だけを抜き取ったのだ。明らかに、発覚を恐れての手口だ。
(確信犯めっ!)
 やるなら、堂々とやればいいのだ。あいつにあるまじきこざかしさが許せない。寒さも忘れ、頭に血をのぼらせて、マボロシ酒場の引き戸を開けた。
「くぉらっ、コムギ~っ!」(ギ、の部分は、歯ぎしりで発音してくれ)
「はぁい、おかえりなさいませ~」
 ?
 さっきまでふたりが飲んでたテーブルに、小麦の姿がない。ふと店内を見渡すと、声の主はカウンターの中にいた。
「早いお戻りで、ごしゅじんさま~」
 カウンター内に設えられたシンクに向かう小麦は、泡まみれの手で額の汗をぬぐう。エプロンをして、三角巾まで頭に巻いてる。コスプレ?
「おまえ・・・なにやってんだ?」
「・・・皿洗い・・・」
 スキンヘッドの店員が、ギロリとこっちをにらむ。なるほど、飲み代を払えないことがバレたのか。
「からだで返してもらってます。金がない、って開き直られましてね」
「あ、はあ・・・」
 いい気味だ。ま、この酒場では何度目かのことだが。スキンヘッドも、小麦には甘い。カウンター内で一緒に立ち働いてもらえるのがうれしいらしい。話しかけるとき、強面の目尻があからさまにゆるむ。
「これもお願いします、小麦サン」
「はぁい。シンクに置いといてくださいな」
「ゆっくりでいいですから、小麦サン」
「ゆっくりやりまぁす」
「ありがとうございます、小麦サン」
 ・・・なに言ってやがんだ。小麦はほおに薄紅が射してる。恥じらってるのではない。ほろ酔いだ。見れば、シャンパンを飲みながら皿を洗ってるらしい。こんなにもフリーな刑罰があろうか?悪い女め。ハゲ店員を必殺の笑顔で昇天させ、骨抜きにしたのだ。
 カウンター内の二人は視線を交わし合い、スピーカーががなり立てるパンクロックが耳に入ってないかのように、ワルツのステップで動きまわる。いい気なもんだ。うふふ、あははー、ってなノリだ。
 ところが瞬後。小麦はオレに向けて、殺意に近い目線を送ってきた。
「ちょっと、お金はっ?」
 上唇のほくろを突き出してくる。どの口がそれを言うのだ。この女の脳の構造が知りたい。
 オレはのうのうとした態度で、カウンターのスツールに腰を落ち着けた。さらにたっぷりと間を取り、セリフが効果的に聞こえるようにした。
「金か・・・金ならつくったさ。ギターを売ったからな」
 小麦は、さっと顔をふせ、肩をすくめた。いたずらが見つかったネコの表情だ。バツが悪そうで、それでいてしれっとこの難局をやり過ごそうとしてる。
「ふ、ふうん、ギターね・・・あれはいいものだったらしいね・・・」
「あぁ、あぁ。いい品だったさ。ケースだけで1500円の値がついたからな」
 千円札と500円玉をちらつかせると、小麦の態度が明らかに小さくなった。もじもじとからだをくねらせながら、手に持った大皿の向こうに隠れようとする。オレはサディスティックな気分に酔いしれた。
「そういえばさ」
 小麦が話題を変えた。
「さっき、うちの部屋にドロボーが入った、って、大家さんから携帯に電話があったよ」
「げげっ・・・」
 今度はオレの方が顔を伏せた。大家め、よりによって小麦に・・・。なんというバツの悪さ。携帯の電源を切ってたオレも悪いのだが。
「やっぱり。あんただったのね、ドロボーの正体」
 ドロボーはお前の方だろうか!・・・という言葉は、さすがに飲み込んだ。
「そのドロボーなら知ってるからほっといてください、って言っといた。安心していいよ」
 鼻高々で言ってのける。いい根性してやがる。うちにはドロボーが入りすぎるらしい。

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19・大団円

2011-12-09 08:47:12 | 日記
 逃げたその足で、すぐさま質屋にギターを持ち込んだ。店員は革張りのケースを開けると、おっ、と声をあげ、目を見張った。
「こ・・・これは・・・」
 楽器方面に明るい店員らしい。取り出したアコースティックギターをかかえ、ためつすがめつ、ホレボレとした顔でながめる。
「ギブソンですね。いい品です・・・いや、すばらしい・・・」
 全体の状態を見た後は、細部の観察に入る。
「年代物ですね。型番もいいし、申し分ないです」
「そんなにいいものなんですか・・・?」
「この音色をお聴きください」
 そう言うと、店員はその場でつま弾いてみせる。なるほど、澄みきったいい音だ。
「・・・で、あのー・・・」
「ええ、かなりの高額で買い取らせていただきますよ」
 店員が電子計算機をはじく。パネルに、ギョッとするような額が提示された。
「ま・・・んま、んま、まま、マジですか?・・・」
 ゼロの数を指で追って確認したが、間違いはないようだ。相手の気が変わらないうちに合意し、オレは大枚を受け取った。なんという劇的な終幕。天にものぼる気持ちとはこのことだ。
 さて小麦の待つマボロシ酒場へ急がなければ。と、振り返ったそのときだった。質屋のフロア内には、販売コーナーが設けてある。そのまさに振り向いた先で、いっこの品が光り輝いている。近づいてみると、それはプラチナのリングだった。亡くなった母が・・・優しくて大好きだった母が・・・終生大切に身につけていたものと瓜ふたつだ。オレはそれを見た瞬間、あるインスピレーションを得た。
(これを、小麦の左手薬指に通してやろう)
 即決で買い求めた。値は張っても、あいつのためなら苦ではない。大変な事件つづきの夜だったが、これでやっとあたたかいクリスマスにすることができる。オレにとっては、小麦の笑顔がいちばんなんだ。その笑顔を一生のものにしてやろう。オレはしあわせの種のようにいとおしいリングを手の平に握りしめ、雪景色の街を駆け抜けた。小麦がオレを待っている。いつの間にか灰色の雲間が開き、夜空には星ぼしがまたたいていた。完。
「『完』・・・と」
 ちゃぶ台上でペラ紙に向かってたオレは、鉛筆を置いた。
「ちょっと待って!なにこれ?」
「あの~、この予定調和は、さすがにいただけませんよ、先生」
「っせーなー。いいだろー、多少は脚色したって」
 「小麦の風景」最終回のあらすじネームで、小麦と宮古に責め立てられてるオレなわけである。
「だいたい、あんたのお母さん、生きてるじゃない。仕送りまでしてもらってるのに。あやまりなさいっ」
「そこはほら、この方が感動的だし・・・」
「でも、それ、ありきたりすぎます。あの夜の事実を描いた方が、読者はよろこんでくれると思いますっ」
「ギターケースは空っぽだった!なんて、恥ずかしくて描けねーだろ!」
 質屋で開いたケースに、ギブソンは入ってなかった。押し入れの奥から目ざとく見つけた小麦が、すでに売り払ってたのだ。実際は、オレは怒り狂ってマボロシ酒場に向かったのだった。

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18・ダイ・ハード

2011-12-08 10:41:39 | 日記
(げげっ、宮古だ!)
 アパートへ折れる最後の三叉路に差しかかったところだった。担当編集者の後ろ姿に遭遇。あのツモリチサトのトレンチコート、ギンガムチェックのレインブーツ。傘をさしてるので顔は見えないが、間違いない。とにかく、取り立て屋がわがアパートに向かってるってことだ。
(こんな日に・・・どこまで仕事熱心なヤツだ・・・)
 クリスマスイブなのだ。彼女にどこにも行くアテがないことは薄々わかってたが、まさかうちにくるとは・・・
 尾行すると、案の定、アパートの屋外階段をのぼってく。オレの部屋をノックしてる。
(やべー・・・やべーやべーやべーやべー・・・やべー・・・)
 原稿は描きかけのまま、ちゃぶ台の上に下に散らかしてある。カギはかけてきたっけ?かけたはずだ。宮古がノブを回してる。ドアは開かなかった。・・・安堵。
(くそっ・・・早く帰れっ)
 しかし、次なるピンチ。宮古はトレンチコートのポケットから携帯を取り出し、操作しはじめた。
(やばっ・・・)
 あわててこちらも携帯を出し、電波の届かないところに逃げ込む。間一髪の電源オフ。まったく、なんておっかない装置なんだ、携帯電話。
 宮古はしばらく携帯を耳に当ててたが、やがて途方に暮れるようにポケットに戻した。たのむ、今夜のところは見逃してくれ。
 ところが。しつこさこそが編集者の美質。宮古は部屋の前で座り込んでしまった。雪の舞い込む、吹きっさらしの渡り廊下だ。主の帰りをいつまでも待つ、とハラをくくったようだ。なんという心意気。見上げたものだが、
(バカ・・・早く帰れっ。そんなとこでじっとしてると・・・)
 行き倒れになるぞ・・・と、待てよ。そういえばちょうど去年のこの夜も、同じ場所で同じように行き倒れてた女がいたっけか。
 しかし、今は危急の事態。とにかくオレは、小麦から先に救い出さなければならないのだ。宮古が張りつく入り口側とは逆のサイドに回り、窓から部屋に侵入を試みることにした。
(窓カギは開けっぱのはず。あそこから・・・)
 塀をよじのぼってベランダの手すりをつかめればいけそうだ。そうと決めたら、必死に伝いのぼる。
 全身雪まみれになりながら、なんとかベランダにたどり着いた。立て付けの悪い窓は、キシキシと音を立てて開いた。しかし、ドアの外までは聞こえまい。コンバースを脱ぎ、凍える素足で部屋に踏み入る。コタツにまだ温みがある。束の間つま先を突っ込み、血の気が戻るのを待った。だが、時間のロスは許されない。さっさとギターをさがし、質屋に持ち込み、換金したあと、マボロシ酒場で支払いを済ませて小麦を救出し、すぐさまアパートに取って返し、宮古も救出したのち、二人の女からひんしゅくの視線を浴びながら原稿仕事をしなければならない。なんてすばらしいクリスマス。ダイ・ハードか。
 明かりを点けられない部屋内は薄闇だが、窓外に積もった雪のおかげで、ことのほか目が利く。押し入れをさぐり、扇風機や掃除機、それに「ロッキン・オン」のバックナンバー(小麦よ、これは売らないのか?)を積み上げた山の奥から、ギターケースを引き抜いた。
 そのとき、部屋のドアを叩く音がした。
「誰かいるんですか?ヤマキ先生?」
 心臓がのどの奥にせり上がる。ほんのわずかな物音を、執念深い宮古の耳が拾ったのだ。あわててケースをかかえ、クツを突っかけ、窓も閉めずにベランダから飛び降りた。下には、夕方にガキどもがつくってた雪山があった。そこに尻を落とした。
 どさっ。
 大きな音がして、一階にある大家の部屋の窓も開いた。
「誰だっ!」
 まっ白な雪だるまのような姿で、現場から遁走した。

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17・天衣無縫

2011-12-07 09:00:02 | 日記
(そういえば小麦のやつ・・・)
 ここしばらくの間、毛糸をごちゃごちゃに絡ませたりほどいたりして苦闘してたっけ。まさか、あれは毛糸を
(編んでたのか・・・)。
 まったくわからなかった。このマフラーを、小麦があの不器用な手で編み上げたのだ。まったく、女のクリスマスにかける意気込みというのは半端じゃない。この執念深さ・・・いや、丹精の込めっぷりには感服する。逆に、その思い入れへの見返りの期待もすさまじいものだろう。
(仕方がない・・・質屋しかないか・・・)
 金をつくるには、そこにすがるより他はない。とはいえ、買い取り価格に高額が期待できる質草などなにかあっただろうか?
 再び、かえりみてみる。
「お互いの持ち物は、ふたりの共有財産だね」
 小麦は声高らかに宣言し、部屋に乗り込んできたのだった。たしかにふたりで暮らしはじめた頃、オレが小麦の給料に依存したことはあったかもしれない。しかし、通帳の中に大きな数字を見たのは、あれが最初で最後だった。小麦は、最低限の仕事しかしない。飢えたら派遣仕事を見つけてくるが、そうでないときはまったく働かない。つまり、やつは常に文無しなのだ。常に空腹なのだ。それで平気なのだ。耐えきれなくなってから、狩りに出るのだ。怠け者というよりも、脳の構造が野生動物じみてるとしか言いようがない。
 やがて小麦は、ついに食い詰めると「共有財産」に手を出しはじめた。それに気づいたのは、読みかけの本が手元から消えたときだった。
「おい、ここにあったスティーヴン・キングしらね?」
「ああ、アレ。売っちゃったよ」
「・・・へ?」
 小麦はあっけらかんと言ってのける。キョトンとするしかない。ひとのものを勝手にか?百歩譲って、今夜のパンのためにそれをするとしても、作法というものがあるだろう。しおりをはさみ込んだ本なのだ。読みかけということは一目でわかろうし、キング作品におけるオチの重要さくらいは理解できるだろう。
 しばらくふたりで暮らしてみてわかったことだが、この手の思慮が小麦にはまったくできない。暴虐といっていいほどに天衣無縫なのだ。その無遠慮っぷりときたら、あぜんとするほどだ。オレが午前に買ってきたCDが、午後には小麦の手から中古ショップの店員の手に渡ってる、といった具合だ。うっかり目を離すと、たちまち大切な品々が手元から、それこそ忽然と、姿を消した。「共有財産」なるものは、次々と蒸発していった。いっとき二倍(ふたり分)となった家財は、またたく間にそぎ落とされて、生きてく上で必要最小限のものしかなくなってしまった。
(くそ・・・まだなにか残ってなかったかな・・・)
 質草、質草・・・
(そうだ!押し入れの奥にギブソンがあったはず!)
 何年か前、ゼミの教授の引っ越しの手伝いをしたときに、旧家屋のスミに眠ってた古いギターを見つけたのだ。もう弾かないからやるよ、と言われて持ち帰ってみると、革張りのケースに入ってたのは、ギブソンという大層なシロモノだった。
(あれを売れば!)
 しんしんと雪が降り積もる路地を、いそいそとアパートに向かった。

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16・記念日

2011-12-06 11:33:41 | 日記
「これから一緒に暮らすってことはさ、お互いの持ち物は、ふたりの共有財産だね」
 一方的にひとの部屋に転がり込んできた小麦は、自分の荷物を運び終えると、そんなことを言いだした。
「あたしのもの、なんでも使っていいよ」
 親切顔にそう言うが、女の持ち物で男が使えるものなど、そうはない。しかし逆の立場だと勝手がいいようだ。小麦は、オレのジャケットからGパン、Tシャツ、パジャマ、下着に至るまで、断りもなくタンスから引き抜き、自由気ままに着たおした。自前の衣類をもったいぶって仕舞い込んでるわけではない。小麦はひとのものを肌身に着けることに、本当に頓着がないのだ。無頓着とはいっても、そのスタイリングは見事だった。動物的な感性で、あっと驚くコーディネイトをしてみせる。そのセンスにはほれぼれと目を見張らせられ、つくづくと感心させられたものだった。
「ふたりの貯金も、いっこの口座にまとめたほうがいいね」
 金融機関で働いたこともある派遣OL嬢は、ねえさん風を吹かせて、生活費は自分が管理する、と主張しだした。親からの仕送りで生活してるオレは、そんなの冗談じゃない、と反論した。しかし、開設したての預金通帳にプリントされた小麦の給料を見て、ドギモを抜かれた。
「派遣仕事がひと月空いたから、年末はキャバクラでバイトしたんだ」
 学生風情のオレには見たこともない数字だった。仕送りの額など、まるで比じゃない。仕方なく(というより、内心うっしっしの気分で)口座をまとめることに同意した。
「暗証番号は、1・2・2・4ね。あたしたちが出会った日」
「1・2・2・4・・・」
 つまり、クリスマス・イブだ。
「クリスマス・イブだ!」
 そして今、銀行のATM機の前で、背中にナイフを突きつけられたような気分になってるオレだ。まったく忘れてた。街中にジングル・ベルが流れてるってのに。そういえば、小麦は示唆してた。「25日の一日前よ、鈍感!」と。
 なんという迂闊。〆切に集中してた、なんて言い訳は、女の前では通用するまい。なぜなら女という生き物は、一年365日をこの日のために生きてるんだから。その上、オレたちふたりにとっては、その日はさらに重要な意味を持つ。なんせ、出会った日なんだから。行き倒れの氷漬けになってた小麦を部屋に引き入れ、交わり、ふたり暮らしをはじめた日なんだから。
「しまった・・・しまった、しまった、しまった・・・」
 形勢は完全に逆転した。悪役はオレだったというわけだ。ずっと、ずっとオレは悪いヤツに映ってたのだ、相手の目からは。そう、小麦はちっとも悪くない。放埒だが、あいつは純情で素直なのだ。まっすぐなのだ。不器用なだけなのだ。
「まずい・・・まずい、まずい、まずい、まずい、まずい・・・」
 マフラーに鼻先を突っ込んで、この窮地を考えてみる。
「うわああああああっ!」
 こ、こ、このマフラー。マボロシ酒場を出るときに小麦に渡されたこのマフラー。
「て、てて、て、手編み・・・」
 あの女が?オレのために?
(出し抜かれた・・・)
 なにがあろうと・・・たとえ命と引きかえにしても、今夜のシャンパン代をつくらねばならなくなった。男として。

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15・ネコとニンゲン

2011-12-05 09:01:54 | 日記
 結局、ふたりの関係がフェアじゃないってところに問題があるんだ。
 振り返れば、あいつと過ごした一年間は、ネコとニンゲンの共存生活みたいなもんだった。共存・・・というよりは、主従の関係か。あいつが自由気ままなネコとすれば、オレがそのネコに飼い慣らされてるニンゲンってわけだ。ネコがその潤んだ瞳でニンゲンを見つめ、何事かを訴えるひと鳴きを発すれば、ニンゲンはすぐさまそれに応えなきゃならない。ミルクボウルを差し出したり、毛艶を整えてやったり、いたずらの後始末に走ったり・・・。ご機嫌取りをしたその見返りにニンゲンは、ネコを「カワイイ」と愛でることができる。その関係は、正常なんだろうか?
 師走の町は妙に浮かれて、チープなイルミネーションに風景全体が白々しく輝いてる。行き交うコイビトたちには、降り積もる雪もあたたかい夜の舞台装置なんだろう。ぐしょぐしょのクツ履きの文無しにとってそれは、地獄に近い環境なんだが。
 そうだ、当面の懸念は金策なんだった。
(あんなやつのために・・・)
 自分の几帳面な性格がうらめしい。とにかく一刻も早く任務を果たし、暖気の前にもどらなければ。さもないと、死んでしまう。この寒さは尋常じゃない。手の平に息を吹きかけると、指の間から抜けた呼気はまっ白に凍って、いつまでもそこにとどまりつづける。マフラーに鼻先を突っ込んで、少しでも前に進もうと決めた。
 ムダと知りつつ、とりあえず銀行に足を運んだ。ATMの前に立つ。
「イラッシャイマセ」
 バカにしたように響く電子音声。根拠のない祈りを込めて投じるキャッシュカード。無意味に気合いを込めて、暗証番号を押してみる。
「1・2・2・4・・・と」
 しかしパネルには、わかりきってた残高、その額。
「・・・い、1円・・・マジか・・・」
 失念してた原稿料が振り込まれちゃいないか、仕送りが残っちゃいないか、巨額な利息が付いてやしないか、暗黒の組織から間違って大金が・・・と、淡い期待を寄せてはみたものの、それが幻想であることは、
「ああ、わかってた・・・わかってたさ・・・」。
「アリガトウゴザイマシタ」
「っせー。機械フゼイが」
 カードを引き抜き、出口へと向かう。すると、ずらりと並んだATM機の前を総なめに横切ることになる。このアホな原始的ロボットどもは、いちいち前を通り過ぎる客に向かって、
「イラッシャイマセ」。
 全員がそれを口々に言うもんだから、やかましくてしょうがない。
「イラッシャイマセ」「イラッシャイマセ」「イラッシャ」「ラッシャ」「ヘイラッシャ」「イラッ」「イラッ」「イライライライラ」「イラッシャイマセ」
 ああっ、イライラする!ロボットおしゃべり機能よりも、黙らせ機能をつけろ、ATM開発部門よ。
 手にした残高照会の明細書にちらりと視線を落とし、それをくしゅくしゅっと丸めてゴミ箱に捨てようとした。しかしそのときだった。脳裏に数字の残像が引っかかり、何事かを印象した。
 12・24。

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14・幸福

2011-12-04 08:43:24 | 日記
 幸福ってものを考えるとき、オレには昔からひとつのイメージがあった。それは、ふたりの愛し合う男女が究極的な状況に置かれて、どちらかが死ねば、もう一方は生き残ることができる、「さてどうする?」ってシーンだ。片方が死ななきゃ、もう片方を生かすことはできないの。そこで男は、愛する女のために、自らの命を絶とうと決心する。男は、愛する女を幸福にしたいがために、ひとり死のうとするわけ。ところがだよ、ひとり残される女の方は幸福かっつーと、そうでもない。その後の生涯を孤独と罪悪感と悔悟の念とにさいなまれながら生きてかなきゃなんないんだから。逆に男は、女を生き長らえさせることができる幸福の中で死ねる。女を幸福にしようと思うばかりに、男の方が幸福になっちゃうわけ。だけどさらにリロンを進めると、生かされる女の方にこそ、男に本望を遂げさせ幸福のうちに死なせてやれるという満足感、すなわち幸福感が生じちゃったりして。女を生かすことこそ男の幸福なのだとしたら、むしろ男にそれをさせてやるべきでしょう。だって、女の方だって男のために死にたいんだから。死んだ方が幸福なんだから。その後の生涯を苦悶と共に生き抜く決意で、男に「幸福の死」の選択を譲るとしたら、それは女にとっては、壮絶な愛の内にある幸福感なんじゃないの?しかし、だとすれば、女に苦痛の生を強要する男の死ってのは、男自身にとって幸福なのか、どうなのか?いったい、死んだ方が幸福なの?それとも生きた方が?相手が?あるいは自分が?はっきりして!
 ・・・つわけで、幸福の行方はどこまでいっても堂々巡りのシーソーゲーム。ただ、相手の幸福と自分の幸福はリンクする、って部分だけは揺るがないんじゃないかと、オレ自身はそう思ってるんだ。
 オレと小麦とは、これと同じような設定の舞台に日常的に立たされてる。どちらかが生きるために、どちらかが犠牲にならなければならない。だけど、いざその場面に出くわすと、ふたりは上記した価値観とはまるで逆の心持ちで動いてしまう。つまり、痛みの押しつけ合いだ。その関係に、幸福感はどこにも存在しない。
(幸福になれないし、させられない・・・)
 それをついに今夜オレは、心の底から理解してしまった。ふたりの関係は間違ってる!そして決意したのだ。もうこんな生活、まっぴらなんだもんね。出てってやる!いや、部屋に転がり込んできたのはあっちの、小麦のほうなんだから、出てってほしい。出てかないんなら、追い出してやりたい。いや、きっと追い出してやる!できれば。
(・・・絶対に・・・今度という今度は・・・断固として・・・問答無用に・・・きっぱりと・・・)
 と、心の内でつぶやきつつ、結局は小麦のために当面の金のあてを求めてさまよい歩いてるオレって。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園