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木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

伝承とは伝え合う文化

2023年09月05日 05時42分18秒 | 耕作放棄地

我が国には多くの箴言が存在するが、魂の琴線に触れるものもあり、伝え続けられている。今回。取り上げるのは「立つ鳥跡を濁さず」という箴言、多くの方にとっては説明の必要も無いだろう。周囲のコミニュティーの中で、何時の間にか自然と身につけられたかと思う。こんな箴言を思い出したのは、とある目撃事例が存在したからだ。実践者は「大御所」、無論、多くを語るわけでは無い。静かに行動で示しているだけなのだ。

ある日の午前、刈払機を持ち出した彼が草刈を始めた。不思議な事に彼の持ち場では無く、例の若き挑戦者であるO氏の耕作地なのだ。しばらく眺めていたが、刈り続けていっている。一時的な現象では無さそう。不思議に思って尋ねると、彼の転勤も本決まりのようだし、片付けておこうかなと思って・・・・・・・の一言が。無論、若き彼に頼まれた訳では無いだろう。大御所自体の自発的な行動かと思われる。

欧米人の発想では、「余計な事をするな」、か若しくは、「人の権利を踏みにじって」、かの何れかの爆発であろう。我が国の民族には異なった文化と伝統があり、立ち去る場合には綺麗に片付けて清浄な場所に戻して去る事が常識でもある。サッカーのW杯で終了後ベンチと観客席を掃除して立ち去ったサポーターの姿は、日本人としては当然な振る舞いだったのだろう。

大御所も取り立てて格別な行動では無かったのだろうと思う。彼にとっては自然な行為、日本人としての日常の姿なんだろう。ひょっとしたら、立ち去る際の行動の有り様を静かに若い衆に伝えているのかも。真意の程は解らないが、彼の行動は伝統文化に基づくもの、体に染み着いた規範意識なのかも知れない。及ばずながら真似をしていこうと思っている。最も子狸の場合はずっと後の時期、冬野菜の仕込みが完了してからだ。遅くは無いだろう。

 

 

 

 

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