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木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

楠公祭

2023年04月27日 05時51分03秒 | 余話

4月25日は楠公さん(楠木正成)の誕生日である。彼は1294年の同日に河内国の土豪の子として生まれたと言われており、出生場所は現在の「道の駅千早赤阪」付近と伝承されている。無論、諸説あるようだが、とりあえず通説に従っておこう。地元民として異説は受け入れ難いのはご理解願えるかと。現場には記念碑や産湯の井戸等が残されており、毎年、「誕生記念祭」も実施されている。当地では主に①観心寺、②出生館跡、③建水分神社、の三ヶ所で実施の模様だ。今回は③の建水分神社(タケミクマリ神社)での祭礼をご紹介しようかと思う。同日は所要と天候不順とが重なり、参加は困難だった。画像は過去の物であることをお断りしておきたい。

誕生記念祭は午後の時間帯、従って午前中は②の記念祭に出席し、午後は③の記念祭に出席と掛け持ち参加の事例が多いようだ。地元には「楠公史跡保存会」という組織が作られており、約500名前後の方々が所属されてる模様。運営は保存会が中心となって実施されている。記念祭は、神職による神事から始まるのは何処も同じかと。続いて奉納行事として和太鼓や邦楽の奉納があり、お祝いとしての餅蒔きが実施される。大半の参加者は餅蒔きへの参加がお目当てかなと・・・・あくまでも推測。

神事は丘の上にある本殿で実施、参加は役員さんのみだ。従って一般参加者には内容を伺い知る術は無い。神事が終わったあと、境内の中にある南木神社(楠公さんが祭られてる)へも参拝し、一般参加者へも感謝して公式行事は終了となる。その後は奉納として和太鼓や邦楽が演奏され、しばし聞き入りながら楠公さんを偲んでいく。最後には待望の餅蒔きとなってくる。組まれた櫓の上から役員さんや神職によって餅がまかれ、競い合って拾い上げていく。中には記号が書かれた紙が入ってる物もあり、後刻、記念品と交換の楽しみもあるようだ。

子狸は撮影に専念するのが常なので、餅拾いには参加できないが、結構な迫力だ。餅への執念は凄まじいようで、鬼気迫る・・・・・と言えば少々オーバーかな。同じ餅であっても、自宅で作るものと神域でのそれとは趣が異なってる模様で、執着甚だしいにも無理は無いかと。餅はハレの日の食物、古来から神事の品として珍重されてきた歴史がある。歴史文化は現在も継承されているようで、参加者も神様からのお下がり・・・・・・との認識のようだ。持ち帰って家族で更なるお祝いを共有されるのだろう。

時期はシャクナゲの開花と重なっている。まさか開花を狙って誕生祭を組まれた訳でも無かろうが、見事なお祝いでもあるのかと。少し水気を帯びたシャクナゲの花は憂いを秘めたようで、楠公さんの壮烈な生涯に想いを寄せてるようにも見えるかと。

 

 

 


吉年邸のクスノキ

2023年03月30日 06時02分18秒 | 余話

今回の巨木訪問の特徴は、過去の事例と異なり個人宅の屋敷内に存在すること、従って家庭訪問と言う訳にもいかず、前面道路から覗ける範囲でご紹介しようかと思う。訪問先は、吉年邸(河内長野市)だ。その前に3月16日付け記事(長野神社のカヤノキ)を立ち上げ戴き、両者併せ持ってご覧頂けたら幸いです。実は両者はお隣どうしで、連続してご紹介したかったのですが時間が空きました。ご容赦を。

所在地は南海電車の河内長野駅前で、これまた、「駅近徒歩5分、但し駐車場は無し・・・・・・」の条件は全く同様です。吉年邸は「吹屋」と呼ばれる業種のようで、河内鋳物師の系統に属する流れの模様。内部には多分だが、遺構が残されているのでしょう。現場が高野街道の集結地であるのは過去のレポートのとおり、交通の要衝でもあったようです。

件のクスノキは屋敷内に所在するのですが、余りにも巨木なので、外部からも容易に覗えます。画像でお解りのように、大きなクスノキがそびえ立っているでしょう。現場にあった河内長野市教委の解説板によると、大きさは幹周りが凡そ5メートル、樹高が約20メートル、樹齢は不明だが数百年は経過してるでしょう。長い歴史と所在地の特異性から長らく保存されてきたのでしょう。街道の旅人にとっても一里塚代わりだったのかも。クスノキは巨木になりやすい傾向があるようですが、この樹も資質に恵まれたようですね。

佇む細い路地がかっての「高野街道」で、京大阪と高野山とを結ぶ大街道だったようですが徒歩旅行の時代のこと、現在では狭い路地にしか見えませんね。現在地から山裾を回りながら「三日市宿」へと繋がり、旅人の大半は三日市宿で宿泊されたようです。「油屋」と呼ばれる本陣がありましたが、近年解体されてしまいました。

最後に吹屋について少し触れておきますが、金属の精錬や鍛造を行う仕事や職人或いは工場群を指していたようです。どんな商品を作っておられたのかは不明ですが、鉄を使って工具や日用品を加工されていたのでしょう。

 

 

 


サクラが満開

2023年03月27日 05時58分05秒 | 余話

まるで航空機の急激な転回のようだった。何がって、期待のサクラだ。当地の開花は例年だと4月の6日~8日頃、小学校の入学式とほぼ同じ頃だった。開花予想では当初、少々早まりそうとの予測。それが何時しか27日頃の開花予測と変わり、現実には22日頃には三分咲き位の状況だった。それが昨日の日曜日には完全な満開状態。いったいどうなってるんだとの疑問の声すらも。インバウンドの旅客も予定が外れ大慌てではなかろうか。サクラの開花に合わせ、日程を組まれる方々が多いだろうに。

開花はあるのだからまだしもだが、心情的に辛いのは新1年生の入学式、とりわけ小学校のそれである。やはり初めての学び舎への登校はサクラの開花若しくは満開状態でありたいもの。古くさいと言うなかれ、日本人の伝統的な慣習であり民族としてのアイディンティティーでもあるのだから。現状では、入学式には散り桜若しくは散ってしまった跡となり得るかも。例年よりは2週間ほど段取りが狂ってしまった模様だ。

思えば昨年から異変は続いていた.国や地域によって異なるが、干魃や大洪水或いは地震やハリケーンの頻発など、苦難の襲撃とも思えるほどだった。それに加えて紛争まで生じさせるのだから、地球の創造主はお怒りなのかも。サクラの日程変更など、まだしもかわいらしい現象だろうか。原因を推測究明する程の能力は持ち合わせていないが、先達たちから教えを請いたいものである。

ともあれ満開のサクラ、今のうちに楽しまなければもったいないだろう。日本人特有の「もったいない精神」も外国人に奪われがちだが、負けてはなるまい。雨模様だった先週に比べ、今週は晴天続きの予測だ。満開のサクラ探訪に出かけてみようかと。

 

 

 


ソメイヨシノの開花

2023年03月23日 06時11分35秒 | 余話

何気なく近くの街路を歩いていた。ふと見上げると真っ白な花が。サクラだ.予想されていた27日どころの話では無い、予想日よりも1週間近くも早いのだ。直感したのは、異変が生じた・・・・とのこと。何が何でも早すぎるのだ。期待された、小学校入学式との同時開花の夢想は儚く消え去った模様だ。このままでは入学式にはサクラの存在は無理だろう。本年度の新1年生には何とも気の毒な。

樹種はソメイヨシノであろう。クローンで育つから近隣のサクラ樹は全てが一斉開花かと思われる。現在のところ、三分咲きか四分咲きといった状況だろうか。満開となるのも時間の問題かな。花見の適期は来週位だろうか。新入社員の担当と目される、花見の場所取りも今年は間に合いそうに無いようだ。最初の仕事を挫かれて意気消沈なのか喜んでいるのか、どちらだろうな。

天候はあいにく雨模様の予測だ。閉塞前線が引っ掛かっているようで、雨若しくは雨交じりの曇りだとか。下手をすると満開を待たずして散ってしまう可能性もあり、何とも危ぶまれる。当地も雨の予報だったが、今のところ降ってはいない。ただ上空は雨雲なので、時間の問題かとも思われる。

さてこの異変の原因だが、一般には地球温暖化の故と説明されている。何でも地球の平均温度が1度か2度上昇した結果、地球に大きな負荷をもたらし環境条件が変わってしまった結果だそうな。これを「温暖化脅威論」と言うそうで、現在学会の主流となっているようだ。反して「温暖化懐疑論」と呼ばれる論もあるようで、要するにマイナリティーの立場な模様だ。とある学者氏の分析によると、「温暖化脅威論」が主流の結果、同調圧力が強くて「温暖化懐疑論」の論者は論説発表の機会すら奪われている状況だとか。

子狸は個人的には、「真理は常に少数者の手中にアリ」との独断と偏見を信条としている。天動説全盛の時代に、それでも論説を変えなかったガリレオ・ガリレイでは無いが、少数説の論者の見解に注目していきたいものと思っている。

 

 

 


長野神社のカヤノキ

2023年03月16日 06時22分20秒 | 余話

巨木訪問は車で走るのが通例である。理由は、所在地が郊外の神社仏閣や山間僻地が多く、公共の交通機関は利用し難いからだ。無論、原則論にそぐわない事例も存在する。今回の訪問など、典型的な事例ではあるまいか。不動産屋さん風に表現すると、駅近徒歩5分、但し駐車場は無し・・・・・・といった案配だろうか。現場は南海電車の河内長野駅前、何が何でも電車訪問だろう。駅近とあってか駐車場の設備は無い。あえて車訪問されるのなら、有料の駐車場を探さねばならないのだ。

訪問地は「長野神社(河内長野市)」、上述したように駅前から南西方角に徒歩5分程度、旧の高野街道の集結地だ。街道は各地から東高野街道、中高野街道、西高野街道、の3本で当地に至るが、神社の前で一本化しいわゆる「高野街道」となる。いわば街道筋の大集結地でもあったわけだ。多くの旅人が神社に詣で、旅の安全を祈願すると共に休憩されたのではなかろうか。長い歴史を誇るようだ。

目的とする「カヤノキ」は境内の隅に存在する。本殿の脇で、どうやら何やらの指定樹になってる模様。府教委の解説板が設置してあった。記述によるとカヤノキの大きさは、幹周りが4メートル余り、樹高が17メートル前後、樹齢は不明だが恐らく百年は下らないかと思われる。当地には数少ないカヤノキの樹種だ。

この神社には該当のカヤノキ以外にも、クスノキ・イチョウの巨木も存在する。それにしても当地では河内長野市に巨木が集中している。昔から奥河内とも表現されるように、金剛山・岩湧山を始めとした山々に囲まれてる所以かも知れない。最近は河内長野市と千早赤阪村とが提携し、両者併せて広い意味での「奥河内」と称している模様。いわば大阪の奥座敷とも言えるかも。

交通至便な長野神社、由緒ある歴史を訪ねて高野街道巡りを為されたら如何であろうか。無論、長野神社を起点として。お隣の三日市駅前には、「三日市宿」の名残が残っていますよ。