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木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

サルスベリの花

2023年08月05日 05時51分55秒 | 余話

農園への通勤路を花街道と称していることは既述したかと思うが、名称のとおりで、折々に花々が咲き誇っている。今回はサルスベリの花をご紹介。サルスベリはご存じかと思うが、樹皮が金色に近いツルツルした樹木である。何でも滑り安く、木登り名人であるサルですら滑り落ちるので、サルスベリとの名称が付いたとか付かなかったとか。実際には難なく登っているようですね。俗説はともかく、樹皮が綺麗で眺めるだけでも一見の価値ありなのは否めないでしょう。そんなサルスベリが清楚な花を咲かせ始めました。赤い花が多いのですが、今回は白の模様です。

現場は村の運動場付近。カーブを描いた道路脇で、ハンドル操作を行ってる最中なので、ジックリ注視する事は出来ませんが。毎回欠かさずチラ見しています。サルスベリと言えばお隣の葛城山を越えた葛城市にある石光寺のそれが有名で、何度も飽きなく訪問してました。花期は今時分で、咲き誇ってる時期では無いでしょうか。こちらは真っ赤な花、とても鮮やかです。石光寺は寒牡丹で有名なお寺さん、せこい話ですが寒牡丹の見学には入山料が必要ですがサルスベリの見学には不要なので、ご参考まで。山門脇に大樹が聳えています。

村のサルスベリは白い花、純白で何とも清楚な雰囲気なのは上述のとおりで、画像でご確認下さい。現場がカーブ地で通行量もそれなりにあり、じっくり撮影できないのが難儀ですが、雰囲気は掴めるかと。オレンジ色の花が続きましたが、白蓮に続く久方ぶりの白い花です。夏場は鮮やかな色彩の花が多いのですが、真っ白な花の存在には救われますね。

このサルスベリ、中国原産で江戸時代に伝来したようですね。漢字で書くと「百日紅」となるようですが、赤い花がベースだったのでしょうか。このサルスベリ、始めて遭遇したのは中学生の時、近くの1000メートル級の山に登ってる時でした。山頂付近でキラキラとする樹皮の樹を見つけ、金色の樹木だ・・・・・と感嘆したものです。無論、サルスベリなどとは知るよしも無く、後日の聞き伝えによるのは言うまでもありません。

灼熱地獄の日々、真っ白な花が空気感を和らげてくれるのは事実でしょう。夏場に赤い花は熱気を呼び込むようです。白いサルスベリに誘われ暑さにめげず通勤しますか。

 

 

 

 


その後のリュウゼツラン(1)

2023年07月31日 06時38分45秒 | 余話

先般、「リュウゼツランの開花」としてレポートしたが実際には開花前だった。つまり花は蕾状態だったのだ。以来、数日待って再訪したら見事に咲き始めていた。数十年に一度という大イベントが始まったのだ。情報が伝わってるようで、何台かの車が止まっていた。各員カメラをお持ちなので、聞き及んでの来訪なんだろう。邪魔にならないように端に車を止め、仲間入りする。ポジションの確保が難しそうだ。花は花茎の下から順に咲くようで、一番下のと3段目ぐらいの蕾までが開花していた。

あれこれ説明するより画像でご覧戴いた方が早いのだが、蕾と開花の状態がさほど変わらない。つまり花自体に華やかさは無いのだ。ユリやノウゼンカズラみたいな立派な花を想定していたので、少々がっかりだった。まあ、該当のリュウゼツランが名称はランとは言え、どちらかというとサボテンの仲間に近いのかも知れない。

ご確認願いたいが、蕾が少しだけ開いたような状態でしょう。これが正常な姿なのかも知れないが、少々残念な気持ちは否めません。おそろいのカメラマン氏達も同様な感慨らしく、早々に引き上げていかれました。最も該当のリュウゼツランにとっては数十年を掛けた一世一代の檜舞台なんでしょう。外野の喧しさは関係ないようです、静かに咲き誇っています。

朝早めの時間帯とはいえ、太陽は灼熱状態、ギラギラと照りつけてきます。夏場を選んで開花するのは、熱射を好む性質があるのでしょう。そういえば出自は熱帯地域だとか、サボテンに近いと感じたのも、案外遠からずの見方なんでしょうね。ともあれ数十年に一度の開花イベント、結実したら生涯を全うするのだとか。どの程度の日数なのか不明ですが、もうしばらくつきあってみようかと思っています。

 

 

 

 


リュウゼツランの開花

2023年07月25日 05時24分38秒 | 余話

知人からの情報提供だった。又聞きの更に又聞きの情報らしく、真偽の程は微妙だが・・・・・との条件付きだった。何でも数十年に一度しか咲かない花があり、しかも当地で開花中だとか。聞き捨てならない情報だ。色々調べていく内に詳細が解ってきた。名称は「リュウゼツラン」という植物で、30年から50年程の寿命があり一生に一回のみ花を咲かせ、開花・結実で生涯を終えるとか。つまり数十年に一度しか開花への遭遇のチャンスは無いのだ。その希少な機会が、今、目の前に存在するとは。何としても訪問して撮影しなければ・・・・・・・となるのは必然でしょう。

情報によると、現場は当地の河内長野市、清見台と日東町とを結ぶ連絡橋の近くらしい。早速車を走らせ、現地へ。探し回ったら、現場は清見台1丁目、上述の連絡橋(東中学校への通学路らしい)へと下る階段の根本付近だった。住宅地の道路際である。詳しくは画像でご確認いただくとして、ともあれ清見台1丁目を最初のターゲットとされたら望ましいかと。

リュウゼツランは始めて聞く名称だし、無論、存在自体も存じなかった。通常の1メートル程度の茎高かと思い、探すも見当たらない。ヒョイと目に付いたのが画像の花、花茎が8メートル近くもある。根元付近はアロエに似た状態であり、中心部から1本の花茎が伸びて枝に小さなバナナの房にも似た存在が。花と言うより未だ蕾の段階なんだろう。いわば開花目前、といった状況ではあるまいか。開花を捉えるには、もうしばらく通う必要がありそうだ。

清見台の団地も開発されて40~50年になろうかと思う。推測だが、開発時の工事関係者か最初の住人の方かが植え込まれたのでは無かろうか。季節が巡って時期を迎え、長い眠りから目覚めたものであろう。開花・結実した後は生涯を終えるとか。再び花と再会できるのは数十年の後の時代、当然ながら世代交代した次の世の住人達だ。

<清見台から日東町方面、画面中央奥の建物が東中学校です>

完全な開花にはもうしばらくかと思えますので、興味のある方々には訪問のチャンスはアリでしょう。最短ルートをご紹介しておきます。電車は南海高野線で最寄り駅は「三日市駅」、下車後観心寺方面へとバス道路(目印はファミマ)を登ること10分~15分程度。頭上に連絡橋が現れます。右横へと階段を上り、上り切った場所が清見台の1丁目、件の現場です。

 

 

 

 

 


蓮華は汚泥の中に咲く

2023年07月16日 05時52分56秒 | 余話

熱帯夜みたいな状況が続きますが、お元気でしょうか。暑苦しさで早めに目覚めてしまうこともあるかと思いますが、しばし床を離れ涼やかな夜明けの道を辿るのも楽しみかと。この時期、密かに訪ねる訪問先があります。車が必要ではありますが、興禅寺(河内長野市)という小さな山寺です。曹洞宗の禅寺ですが、森の中にあってハス池が美しく、タイミングを間違わないと「白蓮」に遭遇する事が可能です。今頃が適期のようで、ハス池の中には真っ白で清楚な花の姿が。

あれこれ語るよりも画像をご覧戴く方が早いでしょう。白蓮は早朝に咲く、とも聞きます.そういった意味でも夜明けの時間帯が望ましいのかなと。山寺は静寂で、時折散歩される地元の方が通り過ぎられる程度、静謐な時間を楽しめます。ハスの花を捉えるには望遠レンズが必要ではありますが、遠目に眺めるだけでも満足できるかと。この池、白蓮のみでピンクの花は咲かないようです。「蓮華は汚泥の中に咲く」との言葉がありますが、イメージ的には白蓮を指しているのでしょう。選択して植え込まれたのかも。

ピンクのハスの花は、同じく河内長野市の延命寺が有名でしたが、最近は少々勢いが薄いようです。近くなので両者一緒に訪問されるのもアリかなと。車だと10分~15分程度でしょうか。

先般、ヤブカンゾウの花を取り上げましたが、同じ時期に咲く花でも評価の違いが出てくるのは致し方無いこと。根本的には好みの相違でしょう。真っ白な白蓮の花は何とも美しく、ひっそりとした時間帯ともあいまって怪しげな光沢を放っているようにも思われます。少し早めの時間帯ではありますが、車を走らせてみられるのもお勧めかなと。ちなみにタイトルの言葉には仏教的な深い意味があるようですが、洞察力に恵まれない子狸は、困難や苦しみがあってこそ大輪の花が咲く・・・・・・・と言った意味合いかなと理解しております。

 

 

 

 


楠公誕生地

2023年05月19日 06時05分26秒 | 余話

皆さんは楠公さんをご存じだろうか.戦時中に教育を受けられた方々にはお馴染みかと思うが、忠臣楠公・・・・とのイメージが焼き付いておられるのでは。プロパガンダの素材として悪用されたキライはあるが、後醍醐天皇に忠節を尽くされた武将の様は事実のようだ。何を隠そう、本村の出自で(諸説ありますが)、出生館の跡と呼ばれる遺構が残っている。現在の「道の駅千早赤阪」付近で、近くには「産湯の井戸」や太平記の舞台ともなった「下赤阪城跡」等の存在もある。現場には資料館も建築されてるので、興味がおありであれば一度お訪ねを。

道の駅は、自称日本で一番小さな道の駅・・・・・とも言われるように、かなり小さめな施設である。簡素な販売棟と駐車場、トイレが立ち並ぶ程度だ。駐車場の一角に記念碑が建てられ、楠公さんの館跡との伝承が残されている。平成2年頃に発掘調査が行われ、二重の掘に囲まれた建物跡が出土した模様だ。現在は小さな社が建立されている。この地で毎年4月25日に楠公さんの「誕生記念祭」が開催されるのはご存じかと。

村人にとって楠公さんはヒーロー、村の偉人でもあるのでとかくの批評は禁物だ。楠公さんの遺跡等を保存する為、楠公史跡保存会なる組織も作られ、500名前後の方々が参画されている。我々の師匠も熱烈な会員、楠公さんへの思慕の情は深いようだ。村内がかような状況なので、楠公さんの出自に関して異説をお持ちでも口外は禁物かと。まあ、地元の贔屓の引き倒しでは無いが、のめり込みから来る副作用としてお許しを。

耕作を行う仲間達は村民では無く何れも村外からの通勤者である。村の情景や人情に惹かれ、風土に取り憑かれて何時しか通い込むようになった、村人ニアリィーなのかも知れない。

我々も村からの影響を受け、何時しか楠公さんへも親しみを。出自の説については多くの論があるのは存じておるが、まあ、村の空気を尊重するようにしている。それよりも、通学先でもあった「観心寺」への路上付近に久子夫人の実家跡が残っているのが気がかりだ。若き日の楠公さんと夫人とのロマンスを期待したいのだが、何分その手の遺構は残されていない模様、残念至極だ。