ロシアの北都 サンクトペテルブルク紀行

2005年秋から留学する、ロシアのサンクトペテルブルク(旧レニングラード)での毎日を記します。

600年前の修道院

2006-03-08 22:01:16 | Weblog
2006年02月28日
ロシア滞在通算170日目
【今日の写真:Кирилло-Белозерский монастырь(キリル-ベロゼルスク修道院)。これは修道院の建物の一部で、本当はもっととてつもなく大きい。】

今日の主な動き
05:48頃 チェレポビェッツ着
ニーナの家へ
午後 キリーロフ キリルーベロゼルスク修道院を見学
夕方 チェレポビェッツ

 今回私が訪れたヴォログダ州はウラル山脈以西のいわゆるヨーロッパ=ロシア北西部に位置し、ペテルブルクのあるレニングラード州やトゥベリ州などと境を接する。ロシア人達が古来から開拓してきたこの地域は、北隣のアルハンゲリスク州とともに”Русский север(ロシア人の北国)”と一般に呼ばれているそうである。面積は14万6千平方キロ。日本の3分の1以上の広大な州土に、約130万人の人が暮らす。

 まだ暗い午前5時48分頃、390列車は定刻にチェレポビェッツに到着した。
 プラットホームはなく、雪が積もった地面の上に直接降り立つ。懐中電灯を持った作業員らが列車の周囲を歩き回っていた。プラットホームがないところに停車している列車を見ると、暗闇の線路の上で緊急停車しているかのようである。ここがチェレポビェッツ駅だという認識がなければ、駅に停車しているという感覚すらない。ナジェージュダによると、プラットホームがあるのはペテルブルクやモスクワの駅くらいで、こうして線路と同じ面に降り立ち、線路を横切って出口へ行くのが普通なのだという。日本の新幹線と同じ標準軌の線路を堂々とまたいで歩いていくのは、なんだかドキドキする。
 セルゲイの弟が車で迎えに来てくれていた。その車に乗ってセルゲイの母、ニーナの家へ向かう。この街の積雪はペテルブルクよりずっと多い。車道の両端に歩道との間を隔てるほどの雪壁ができており、私の地元に帰ってきたような感覚。これが普通の冬というものだと思いながら景色を眺める。まだ6時前なのにバス停には行列ができていた。

 今回のヴォログダ旅行では、多くのホストファミリーの親戚らに会った。あらかじめ登場人物を紹介しておく。
○ホストファミリー夫妻
セルゲイ
 ナジェージュダ(以下本文では愛称名「ナージャ」で表記)

○今回出会った人々
 ニーナ(セルゲイの母 3月1日で70歳になるおばあちゃん)
 リョーシャ(セルゲイの弟)
 ニキータ(リョーシャの息子)
 ビェーチャ(セルゲイの一番下の弟)
 ナターシャ(ビェーチャの妻)
 クスーシャ(ビェーチャの娘)
カーチャ(ナターシャの友人)
以上チェレポビェッツ在住

 アリューダ(ナージャの妹)
 イーラ(アリューダの娘)
 イーゴリ(アリューダの息子) 
以上ヴォログダ在住
 
 ロシア風の(ソヴィエト風のというほうがより正確か)集合住宅にニーナは暮らしている。リョーシャも同じ所に住んでいるようだ。ロシアでは、地方都市でも集合住宅に住むことが一般的なようであるが、中は想像以上に広く、キッチンの他に部屋が3つあった。
 家に着いたのはまだ朝6時を回ったばかりの頃だったが、いきなりコニャックで「出会いに」乾杯。シーとじゃがいも、サラダを食べ、その後みんな寝た。

 私が再び目を覚ましたのは10半過ぎ。とても良い天気で、窓越しの日差しが暖かい。今日はチェレポビェッツの北にあるキリーロフという町を見てきたら良いと言われ、午後、ビェーチャの友人2名とともに出かける。彼らは500ルーブルでタクシーになってくれた。
 車中で日本の「サケ」や車などの話をしているうちにいつの間にか街を離れ、ひたすらまっすぐの道を車は進んでいた。細かい雪で見事に化粧した背の高い木々や、夏はおそらく畑と思われる白銀の大地が車窓に広がる。時々青地に白の標識が出てきて、矢印と地名で集落への入り口を示している。矢印の方向に目を向けると、一戸建ての背の低い家がまとまって建っているのが見えた。こんな集落が数キロおきくらいに点在している。

 チェレポビェッツから約1時間半。シェクスナ川を渡って間もなく、キリーロフのキリル-ベロゼルスク修道院に到着した。
 平日の午後とあって人は訪問客は極端に少ない。とても大きな修道院なのだが、積雪のため歩けるところは博物館への通路など、除雪されているところに限られる。
 博物館に入り、展示品を見学。キリロフは人口わずか8,200人の小さな町だが、外国人観光客の訪問も想定しているらしく、展示品のタイトルにはロシア語と英語が併記してあった。ところどころにある展示の内容の説明はロシア語のみ。この博物館で、修道院が1397年に建てられたこと、ペテルブルクが建設される以前の17世紀にあってはモスクワ、ヤロスラブリ、ノブゴロド、アルハンゲリスクなどに教会を従える、ロシア北西部の中心的な修道院だったことなどを知った。
 風雨にさらされてもとの姿がほとんど分からないイコンや、何度も塗り直されたと見られる建物の外壁に、ペテルブルクの建造物とはまたひと味違った年季が感じられた。

 夜、リョーシャとテレビを見ながら話をしていて、チェレポビェッツにはローカルチャンネルだけでもたくさんあり、BBCなど国外の放送も受信できることを知った。「あんた英語分かるか?俺は分かんないけど。」などと言いながら、彼はBBCを実際にかけて見せてくれた。ロシアの地方都市のど真ん中で、ほとんど視聴者がいないと思われるBBCを見るというのはちょっと違和感があったが、BBCが入るなんて意外だった。



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