前回口唇期について説明しました。
口唇期は母子関係が重視されます。
精神分析を学び始めた頃の私の関心はそこから始まっていました。
私が精神分析学に出会ったのは遡れば高校生のときで、
ユング派の河合隼雄先生の本を読んだのが最初でした。
今でも思い出すその本の一節があります。
現在はその書物の所在がわからないので、
あくまで私の理解として読んで下さい。
それは「ダンボールに入れられて育った子供が健康に育った、
その理由はダンボールの周囲が自然豊かな大地であった」
というものです。
母なる大地が母親の代わりになりえるものかと
当時感動しました。
尤も大地だけでなく、実際の人としての親の存在がなくては
育ちませんが、自然が乳幼児期に必要な母の肌の感覚を説明
するのに例えられた点で意味深いです。
ユングはフロイトの弟子の一人ですが、
フロイトから離反していった人です。
私は高校生から医師になる頃まではユングに興味をもち、
フロイトの性欲論やエディプス葛藤は理解できないと思いました。
出会いというのは本当に大事だと思います。
私は高校生の頃、ユングやその関連の心理学に関心を持つことで、
精神医学を学びたいという動機を持ちました。
そして医大生のときに、知り合った精神科医の先生に、
精神分析を学びたいと相談しましたら、
紹介してもらい参加することができたのがフロイト派の研究会でした。
元々好きなことがあって、
学びたい動機があって、
いろいろな出会いによって、
挫折もあるが、新しく得るものがあり、
自分の好きなことが変化する。
精神分析学と私の出会いはそうでして、
これは、精神分析学の発達論、
口唇期から発達していく考えと重なると思います。
好きなものの基本が乳児期の母子関係にあるのは確かではありますが、
やはりそこには父親がいて、その三者関係で、
得るもの、排除するものがある。
その親子関係の中で人は育つので、
精神症状はその親子関係に由来していて、
反復されることが多い。
しかし人は親から離れ、友人や異性、職業との出会いによって
変わりえる。
私のプログ、強迫、エディプス葛藤、などで
説明してきましたのは、親子関係が由来するものの
人は変わりえる、ということです。
これからも、このことを説明していきたいと思います。
読まれる方の体験にそって理解でき、役にたつことが少しでもあればと思います。
口唇期は母子関係が重視されます。
精神分析を学び始めた頃の私の関心はそこから始まっていました。
私が精神分析学に出会ったのは遡れば高校生のときで、
ユング派の河合隼雄先生の本を読んだのが最初でした。
今でも思い出すその本の一節があります。
現在はその書物の所在がわからないので、
あくまで私の理解として読んで下さい。
それは「ダンボールに入れられて育った子供が健康に育った、
その理由はダンボールの周囲が自然豊かな大地であった」
というものです。
母なる大地が母親の代わりになりえるものかと
当時感動しました。
尤も大地だけでなく、実際の人としての親の存在がなくては
育ちませんが、自然が乳幼児期に必要な母の肌の感覚を説明
するのに例えられた点で意味深いです。
ユングはフロイトの弟子の一人ですが、
フロイトから離反していった人です。
私は高校生から医師になる頃まではユングに興味をもち、
フロイトの性欲論やエディプス葛藤は理解できないと思いました。
出会いというのは本当に大事だと思います。
私は高校生の頃、ユングやその関連の心理学に関心を持つことで、
精神医学を学びたいという動機を持ちました。
そして医大生のときに、知り合った精神科医の先生に、
精神分析を学びたいと相談しましたら、
紹介してもらい参加することができたのがフロイト派の研究会でした。
元々好きなことがあって、
学びたい動機があって、
いろいろな出会いによって、
挫折もあるが、新しく得るものがあり、
自分の好きなことが変化する。
精神分析学と私の出会いはそうでして、
これは、精神分析学の発達論、
口唇期から発達していく考えと重なると思います。
好きなものの基本が乳児期の母子関係にあるのは確かではありますが、
やはりそこには父親がいて、その三者関係で、
得るもの、排除するものがある。
その親子関係の中で人は育つので、
精神症状はその親子関係に由来していて、
反復されることが多い。
しかし人は親から離れ、友人や異性、職業との出会いによって
変わりえる。
私のプログ、強迫、エディプス葛藤、などで
説明してきましたのは、親子関係が由来するものの
人は変わりえる、ということです。
これからも、このことを説明していきたいと思います。
読まれる方の体験にそって理解でき、役にたつことが少しでもあればと思います。