精神科医山内の心の相談室

日常の臨床経験から得た心の悩みに役にたつことをわかりやすく説明します

自分「好き」がうつを治す

2023-06-03 | 日記
自分の「好き」がうつを治す

この題名の本を書きました 6月2日に出版されました
山内メンタルクリニックのホームページに貼り付けました書影をご覧ください
私がブログで書いてきたことをまとめた内容になります

私が言いたいことは何か、一番は「愛すること」
それを読者に伝えるとすると、どうなるか、
編集者さんとの話し合いは、予想以上に、時間を要しましたが、
その話し合いの中で、編集者さんから提案されたのが、
『自分の「好き」がうつを治す』でした。

このタイトルが良いと思ったのは、
「愛すること」のポイントの一つは、受け身的でないこと、
誰から言われた、させられたではない、「愛すること」
その視点で、『自分の「好き」』は良いね、と思いました

周りの人がどういうか、どう思われるか、それが優先されるために
自分の「好き」、どうなりたい、が、わからなくなっている
そういう不安うつ状態の人と出会ってきました

神経症圏の不安うつ状態の方へ
自分の「好き」が何かが、大事です。
その何かのための無理なら無理がききます。
それが先でなく、誰かのためが先にあっての無理は、症状を出します。
そのことを、本に書きました。
そして、これからのブログでも書いていこうと思います。

安心安全、安定を優先して、「意欲が出ない」

2022-09-25 | 日記
 日々の精神科臨床で、神経症圏の患者さんには、安心安全、安定を優先した語りが多くみられること、
そしてそうした患者さんが「意欲が出ない」を主訴とする、抑うつ状態がみられやすいということを多く経験してきました。
過去のブログでも、意欲が出ない、安心安全、などのタイトルで書きました。
今回、再度とりあげるのは、やはりそういう患者さんに出会うことが多いのでまとめてみようということと、
私が精神科医としていえるのは、強迫性、即ち親子関係の視点ですが、
現在のコロナ禍の状況で、
社会全体が、強迫的になっているように思われ、強迫性の視点で触れたくて書いてみます。
 安心安全を第一にするということ、それは良いことのようです。何が悪いのだと、言われそうなことです。
しかし、神経症の患者さんとの対話では、強迫性の視点で、患者さんの語りにそっていき、
安心安全、安定優先で、それが症状を出しているのではと説明すると同意を得ることは多いのです。
 安心安全を第一にするということは、親の子に対する願いです、親であれば当然だという視点です。
親はいつまでも子供でいてほしい、危ない橋を渡って欲しくない、願わくば結婚もしないで家にいてほしい、
そんな気持ちを持っている。そいうことを子であり親である患者さんの語りを聞いて、そう思います。
 子の側から親をみて親を心配すれば、親に心配をかけないようにしようとします、
それが意識的か無意識的か、心配をかけないようにすることを優先すると、
安心安全、加えて安定、現状維持が良いことになります。
実際、神経症圏の患者さんは、安定、現状維持が良いと言われることが多いです。
 安定がいいということは、職業でいえば、「資格をとって」が良い、これはよく言われます。
「資格をとって」が良い、それがなぜ健康的にならないか、
それは手段優先で、目的である「何の」資格をとりたい、「何の」が省かれているからです。
これは森田療法でいう、治療的な目的本位ではないことになります。
精神分析でいえば、治療的な自我理想をみる方向でないことになります。
もう少し精神分析でいえば、強迫性、つまり肛門期に退行していることになります
(日常用語でいえば、「しないといけない」という親子関係が一番の時期にいることになります)。
 親の願いに戻れば、職業選択での安心安全、安定の願い以外に、結婚しないで家にいてほしい、
そういう願いがあります。そんな願いはもってないと親は言ったとしても、親であれば、そういう願いは持ってはいる、
さらに、その願いが子にストレートに伝わりそうなことを親は言っている、そう思えるケースに出会うことは多いです。
その願いに沿っているように、子は恋愛をしない、親の近くにいようとする、そんな動きがあります。
また恋愛はして結婚していても、結婚した相手よりも親を相談相手の一番にする、
さらには結婚した相手より親をみるために夫婦の親密を避け、それで相手と別居することになり、
そして子が実家に帰ることになっても、親は可哀そうにと子を歓迎する、そういう患者さんと出会うことは珍しくないです。
 過去のブログで「世話役心性」を書きましたが、「世話役心性」まではいかなくても子は親を心配します。
願わくば結婚しないで家にいて欲しいという親の気持ちを心配したら、
子は親の近くに来て親の世話ができるような位置で
(親から物理的に離れていても心理的には親の近くにいる場合も多いです)
意欲を出そうとする、その意欲の出し方は無理があるから、いずれ「意欲が出ない」という症状を出す。
そこで出会う患者さんとして会う方は、安定を優先した生活歴であることが多いのです。
 親の願いに沿って子が頑張ること、それが強迫的になる、その逆は、自分自身の願い、どうなりたい、ああなりたい、
という方向での職業選択を行うことです。恋愛であれば、どうなるか。
 恋愛であれば、安心安全、安定を優先しては、恋愛しているとはいわないでしょう。
一方、親が気にいる相手を選ぼうという気持ちは無意識的に動いて、異性と向き合った恋愛はしないか避けていることはみられます。
昨今話題の未婚が増えているというのも、臨床では、仲がよくないように子からはみえる親を、
子がみよう(世話をしよう)として未婚である動きをしている、そのようなケースと出会うことから、
未婚が増えているという社会の動きが強迫性から説明できる可能性はあります。
 神経症圏の患者さんの抑うつ状態として出会うことが多いのは、自分の意欲自体はあるのだが、
親の顔色をみることや、親に相当する職場の環境の顔色をみることで、
つまり欲の向きが親や親相当の相手に向いているために、その分「意欲が出ない」という状態です。
 親に遠慮することなく、自分の素直な欲にそっていいではないかがシンプルなこととして大事で、
問題の理解と治療のためには、まずその大事さを共有することかと思います。
神経症の方の場合で多いのは、そのシンプルなことが「頭ではわかる」と一旦共有したかと思うと同時に「でも」と、
親や親に相当する側を思うことを語ることに戻り、やはり「意欲が出ない」という状態が生じています。

 ここから、強迫性の応用として書いてみます。
昨今のコロナ禍で、「しないといけない」という強迫的傾向が、社会全体にあります。
感染防止のためには、マスクをつけ、ソーシャルデスタンスを取り、新しい生活様式を定着させて、
そうしないと「我慢が足りない」「周りの迷惑を考えない」
(これは親が子にしつけるときに言う、つまり強迫性関連の言葉です)と言われる。
 まず感染防止が優先されるのは、強迫性で説明した、手段優先に相当します。
「感染しないように」が一番大事なのでしょうか、
「感染しても、重症化しない、免疫力」というのは、
本来、「治ったら、楽しい、やりがいのある仕事や仲間、好きな人と過ごしたい」が目的としてあったはず。
そんなことをいうと、風邪と同じにしてはいけないと言われそうなのですが、
他の大事なことを後回しにするほど、コロナ感染は怖いものか、
そういうことを言って良い時期にあると思われるのに、そんなことはいってはいけないことでしょうか。
 親が子にしつけるときにいう「我慢が足りない」「周りの迷惑を考えない」、それは精神科的には強迫性であるといえます。
精神科医としているのは、強迫的であることが、うつ状態の要因になる、ということです。
安心安全、安定のために、家にいよう、そして新しい生活様式の定着は、生活習慣の乱れや強迫的であること絡んで、うつ状態になることは過去のブログでも書きました。
 まるで、政府が、親であるように、「しないといけない」とワクチン接種
(私は強制的なワクチンに反対し、子供へのコロナワクチン努力義務化に反対です)を進め、
デジタル化への「義務化」を進めている(マイナンバーカード関連で、オンライン資格確認の義務化というのがあります)。
親には反抗していいのだから、まして政府や、その関連機関の強制には反対していいはずです。

 強権や義務化という表現がコロナ禍でみられやすくなっています。
強権や義務化が必要な状況とは、どんな状況でしょう。
過去ブログのタイトルにしました「自由であること」が兎に角大事です。

本屋さんは必要です

2022-06-19 | 日記
本屋が閉店、本屋が減っているというニユースを読んで、
精神科医として困ったなと思うのです。
本屋さんは必要です。

本屋さんがあることで、家から外に出る理由になります。
本屋さんに行けば、自分の好きな作者はいるだろうか、 
興味のある分野には何があるだろうか、そういう思いで本屋を回ります。
その行為自体はネット検索でもできるのですが、
実際本屋さんに行って本屋さんをぐるぐる回るのは心と体に良いです。

不安うつ状態の方は、自宅から「外へ出にくい」状態にあります。
「自宅が安心」という方もいます。
私はよくこう説明します。
「リハビリとして外に出ましょう。散歩が大事です。
考えすぎて体が堅くなっているので、歩きはじめがしんどいですが、
歩いているうちに体がほぐれ、しんどさがとれ、
それまでの考えすぎの雑念が消える経験をすると思います。
ウオーキングより、ゆっくり景色みて、散歩することがいいことです、
散歩するだけでもいいですが、散歩に行く目的を加えたい。
目的の一つとして 本屋さん図書館は良いことです」

「家に『あるもの』でいい」、
そういう捉えかたでいないほうが良いです。
欲しいものは、家の中だけでなく、外へ、スーパー、本屋
種類が沢山おいてあるところに、買いに行く そういう行為が大切です。

人から勧められたり、言われたり、求められたりの、
受け身に、遠慮して、相手に合わせるは、欲を抑制する方向では
(いわゆる親の、学校のいい子、過去ブログで述べた強迫性が強い場合では)
自分の欲がわからない、したいことはわからない、ことがおきます。
自分から、欲しい、みたい、手に取りたいが健康的です。
そうであれば環境の多少の無理や、人間関係が良くなくても、
好きなことをやりたいで仕事内容を選んでいるので、うつにはならずに頑張れます。

本屋さんがなくなるというのは、利便性の問題と関連があるのでしょうか。
本屋さんがなくても、本は通販で手に入るなど。。
精神科臨床医として、利便性重視はつくずく困ったものだと思うのです。何かできないか。。

本屋さんがなくなる、その困ったことを、精神科臨床医の立場で書きました。
社会、政治情勢に触れることのできる立場にはないが、
困ったことがおきている。

自由であること

2022-01-15 | 日記
自由でありたい、マスクは苦しい、
心の健康には、これが基本です。
精神科医として書きます。
感染防止ありきではないです。
感染防止ありきで、自由が抑制されたら、症状が出ます。

やはり動いたほうが良い。
家で考えてばかりは良くない、大事な人と話した方が良い。
大事な人をみつけるには考えてばかりではみつからない。
これは臨床で日々経験することから、やはり基本です。
当たり前のことと思いつつ コロナ禍では言葉を選びます。
選びますが、実際の臨床では、目の前の患者に、
やはり動いたほうが良いと話します。

新しい生活様式など定着させていけば、
心の健康はどうなるのかと大変危惧します。
規則正しい生活、昼間に張りのある活動、
昼間に自宅以外に自分の居場所があり、
好きこそ物の上手なれ、好きなことが先で、
効率が先でない、便利が先でない、
手間暇かけても良いものをつくるほうが視野は広がる、
遣り甲斐としての経験が増える。
この逆が新しい生活様式になると思うから大変危惧です。

自由でありたい。
精神分析の基本に自由連想があります。
言いたいことを言ってください、何を言ってもいいです、
そう患者さんに促しますが、
患者さんはよく、どう言えば良いか、何を言ったら良いか、と言います。
また 大事な人に、例えば夫に、どうせ言ってもと言います。
まずは気持ちを言葉にしてみましょうが、精神科医の説明です

沈黙は金 これは強迫のほうで、不健康の方向です。

コロナをそこまで恐れる必要があるのかとか、
ワクチンを若者や妊婦に打っても良いのかという意見は確実にあって
それを正しいと言える立場に私はないのですが、
精神科医としては、そういう意見も自由に言っていいではないか、を言いたい

またこれだけコロナが長引けば、
そこまで恐れるのかとみたほうが、良いことが増えるのではと思う。
外出制限、面会禁止、人と人との距離、リモート活用、デジタル化、
それが当たり前になって良いことないはずと思う。
精神科臨床では、まだ明らかな影響は出ていない。
マスクして表情がみえない、ただでさえ発音の悪い私の言葉が聞き取りにくいはあるが、
それが明らかに治療にマイナスかの証拠は難しい。
元々精神科はエビデンスをいうのが難しい科です。
私の師と仰ぐ先生に教育を受けたとき、よく当たり前だろう、と言われた。
シンプル、イズ、ベストだと。
今、その言葉を使おう、当たり前ではないですか。
マスクしないで(今はできないが、いつかはできる)対面で面接をする。
人と出会いを大事にする、当たり前です。
間違えているかもしれない、
でも、そう思っていることを自由に言いたい。

今年の正月、ある新聞の一面に、自由は2の次、という文章があり
ずっとひっかかっています。
コロナ禍では、強権が必要、自由は2の次というのでしょうか
精神科は政治に関わるものでないと、教わってきましたが、
治療で、自由であるように、と援助する立場から、
自由が基本で、一番大事と書きます。

ちゃんと、しないといけない

2021-06-10 | 日記
ちゃんとしなさい 自分の中に厳しい親がいます。
大人になっても ちゃんとしなさい、しないといけない、
自分の中にいる厳しい親と、向き合ってしまうことはよくあって、
知らず知らずに自分を縛ってしまい、
症状を出していることは、よくあります。

親のいうことを聞いていたら安心です。
良い子でいることは安心です、だから我慢のし甲斐があります。
それは、小さい頃の親子関係でみられていたことでした。
その親子関係は性格傾向として、「しないといけない」捉えかたを優先する
強迫的な性格傾向の由来となっています。
性格傾向ですから変えられないことはないのですが、
大人になってからの職業選択や恋愛の仕方に、かなり影響をもっています。

今回は、その「ちゃんと、しないといけない」傾向は、
前回に書きました「免疫力」と関連するということを、書きます。

小さい頃は我慢のし甲斐があるのです、親が褒めてくれるから。
8時だよ、全員帰ろう、キャンペーンについて、
「8時だよ、全員集合」は、8時に帰れば親と子が楽しめる時間がありました。
当時は9時から、キーハンターという大人のドラマが始まって、
オープニングの音楽と映像が出ると、子供は早く寝なさいと、親に言われました。
(キーハンターの前は、プレイガールだった。女性の唇がオープニングに出る)
子供の私は、大人のドラマを見たい気持ちと、いけない気持ちの両方を感じ、
その何ともいえない気持ちを今も思い出します。
8時までに、時間までに、という捉え方は、ちゃんとしなさい、に繋がりやすい。
強迫傾向との関連で、そのキャンペーンに反対します。

ちゃんとしなさい、言うこと聞いて自粛しなさい、安心安全、
それは、まずストレスになります 。
ちゃんとしなさい、の前に、どうなりたい、
新しい生活でなく、元の生活に、まず戻りたい、が先だと思います。
感染対策のために、新しい生活の定着は、わからないことです 。
一時的に生活様式を変えるのであれば、わかることです
わからないことはわからないと言うことは大切です。
新しい生活様式の定着は、免疫力を下げます
目的本位が大切です。
人はただ生きていれば良いのではないのです。

好きなことの抑制はストレスです。
本来ストレス自体は悪いものではありません。
好きな仕事をしたい、好きな人と会いたい、そのための無理はストレスになりません。
しないといけない、ちゃんとしなさい、ただ我慢しなさい、
それだと好きなことがわからなくなり、やる気がでない、うつ状態になります。

安心、安全、我慢が足りない、言うことをきかないと罰金など、
臨床で日々経験する「自分の中の親」の言い分に聞こえてきます。
言いたいことは言って良い、が基本のはずです。
その逆の、言いたいことはありません、言うことを聞きます、
言うことを聞いていたら安心、それは症状を出す方向です。
しないといけない、は緩める必要があります。

日常の臨床経験から、言いたいことを書いてみました。