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~こころに吹く風~

1952年生まれの みよです。
人生の花野に遊びたい。
心躍ることも心塞ぐことも綴ります。

大晦日

2016年12月31日 | 家族

次男と紅白を見ています。
一緒に見るなんて初めてかも。
見るつもりはなかったんだけど、離れるのも悪くて見ています。彼も気を遣っているのかも。
大竹しのぶさんが歌った「愛の賛歌」(エディット・ピアフ)が素晴らしかった。二人して感動しました。

もうすぐ年が明けます。
皆さん今年もお付き合いありがとうございました。
良いお年をお迎えください。

長男家族と

2016年11月27日 | 家族
昨日、土曜日は孫の幼稚園の作品展でした。


「ままとパパのこと」

ままとぱぱとおいしいあじをたべました。

ままがほねをぜんぶとってくれたことがうれしいです。

ままいつもごはんをつくってくれてありがとう。


いい文章です。「ままとパパのこと」なのにパパが出て来ないけど。
絵も孫の家のリビングを忠実に描いています。ゲージの中にワンちゃん2匹、金魚の水槽も。


ランドセルをプレゼントした内祝いとして食事をご馳走してくれました。




時々こんなことがあると、気持ちが華やいでいいですね。

私のルーツ/屋根裏の仏さま

2016年08月05日 | 家族


友人に勧められて、図書館で借りて読みました。
100年ほど前に、見合い結婚の形式で写真結婚し、会った事のない男の写真を胸に、集団で船に乗りアメリカに渡った写真花嫁のお話しです。
話しの中には多くのケースが「私たち」(=写真花嫁たち)という主語を用いて語られ、それは不安な船旅に始まり、厳しい労働、子を産み育て、喪い、ようやく築いた平穏な暮らし、日米開戦時の不安と混乱、収容所へ、と進みます。

実は私の母方の祖母ツヤは写真花嫁でした。
アメリカに移民した同郷の男性(私の祖父亀之助)の元に写真花嫁として嫁ぎました。彼女は私が生まれる前に亡くなったので会った事はありません。私の中のツヤさんは母の話しに出て来る、私の母のお母さんです。なので、私はツヤさんを今まで母の目線でしか捉えていませんでした。

母は自分の母親を好きではなかったようです。
母は5人兄弟の下から2番目なので、母の記憶にあるツヤさんは渡米後数年が経った頃からのことでしょう。
母はアイダホで生まれました。その後カリフォルニアに移り、亀之助はレストランを経営していたそうです。
ツヤさんは英語を覚えず、子ども達はどんどん環境に適応して英語を喋り、日本語を忘れて行くので、親子のコミュニケーションも上手くできなかったといいます。
ツヤさんは日本人とばかりかたまり、家庭ではいつもイライラして文句ばかり言っていたそうです。亀之助は子煩悩で、妻がプンプンしていてもいつも黙って我慢して優しかったと母は言っていました。

この本の写真花嫁の苦難を読みながら、祖母はどんな想いでいたのだろうと、初めてツヤさんの目線で考えました。
亀之助とツヤは同郷だったのですから、まるで知らない人同士ではなかったかもしれません。幼い頃に遊んだ山や川を共有していたでしょう。共通の知り合いもいたのでは?そこが少し救われます。
亀之助一家は開戦の年の8月に、日本語を忘れた子ども達を連れて日本に戻りました。私の母が18才、ハイスクールの卒業間際でした。
祖父は不穏な空気を察知したのだと思います。
じいちゃん、すごいよ!

訳者あとがきを読んでびっくり。
著者のジュリー・オオツカさんは1962年にカリフォルニア州パロアルトで生まれています。私の10才下。
実は、私の父方の祖父母もアメリカ移民なのですが、住んでいたのがカリフォルニアのパロアルト。
父方の祖父、長三郎は開戦の7年位前に日本に帰国しました。その時、6人兄弟のうち私の父とその妹だけを連れ帰り、成人していた4人をアメリカに残して来ました。
私の父は日本軍に入隊しましたが、アメリカに残った4人の兄達はどうしたのでしょう?両親の心は張り裂けそうだったのではないでしょうか。

母のふるさとはアメリカです。アメリカへの望郷の想いが強い人でした。父の退職後、二人で一年間の期限付きで親戚の多いパロアルトに家を借りて暮らしました。
著者は多くの日系人を取材したようです。きっと本に出て来る人の中に私の親戚がいるのだろうな。
私の母が亡くなった時、パロアルトの親戚に連絡を取ろうとしましたが、住所録にある電話番号はすでに使われていませんでした。父母の世代の方々は高齢になられて既に以前の生活をされてはいないということだと思います。
聞いておきたかった事が沢山ありました。無常ですね。
若い頃はなんとも思っていなかったことなのに、年を経ると自分のルーツを知りたくなるものなのですね。

駿河路を行く(ベルナール・ビュッフェ美術館)

2016年08月02日 | 家族
「クレマチスの丘」は静岡県長泉町、富士山麓のオシャレな丘にあるアートなスポットです。
その中のベルナール・ビュッフェ美術館で「ロベール・クートラス展」とビュッフェの常設展を見て来ました。
良い展示でした。





ここを訪れるのは二度目。前回は子ども達が中学生だった頃に3人で来ました。26年前です。
離婚して貧乏暇なしな夏休みの一大イベントに、ブラックバス釣りをしたいと言う長男のために芦ノ湖々畔の安宿をとり、私のためにも何か、と思ってビュッフェ美術館に来たのでした。
開館直後の美術館で、絵を見た長男が「すげぇー!おかあさん、すげぇーよ!」と感動して騒いでいる姿が嬉しかった。
自己主張が少ない次男のための企画がなかったな、かわいそうなことしたなと、振り返りながら少し心が痛みます。

クレマチスの丘のフラワーショップで苗をいくつか購入。
昨日、汗びっしょりになって植え替えました。







こちらはちょうど良いサイズの鉢を買わなくては。

実家の最後の日

2015年05月28日 | 家族
いよいよ実家の明け渡しの日が迫ってきました。
一年かけてぽっちりぽっちりと片づけてきましたが、昨日今日は長野の義妹と泊まり込みでラストスパートです。
早朝目覚めて、アラームが鳴るまでの時間、布団の中での女同士のゆる~いお喋りが心地良かった。

8時半には不用品処理業者が来ました。
あの品もこの品も思い出があって「う~ん、う~ん・・・とっとこうか」 「勿体ないよねぇ」と二人で悩みながら、それでも決断せざるを得なくて沢山捨てました!
業者さんが、庭の鉢やレンガ・物置を片づけ、エアコンやカーテンレールを取りはずし、ゴミや処分する家具の運び出しなどしている間、二人はしばらく外出させていただきました。

横浜の海に面した卸売市場「南部市場」へ行ってみました。
家から15分位の所なのに、4年も住んでいたのに、行くのは2度目。前回は年末でほとんどの店が閉まっていたので初めてみたいなものです。肉も魚も野菜も食品全般なんでも揃って安くてとても面白かった。



 

料理上手な義妹が手を伸ばすイタリア料理の調味料などを一緒に見るのが面白かった。

そしてアウトレットへ。



わ~! 潮の香り~♪
風、気持ちいい~♪

雑貨や靴を少し見てから、ゆっくりランチ。





なんだか南国リゾートみたいだね^^ 

孫の幼稚園お迎えがあるので、お掃除までは付き合えずに帰って来ました。
義妹は今日は横浜の親友宅泊。
いつも家業で忙しい人なので、こんな機会に友だちとゆっくりできて良かった。

実家はなくなってしまったけれど、横浜はなくならないから、また遊びに行こうと思うし、淋しくはありません。
義妹は私の両親と同居していた家なので思いが深くて、泣いたり笑ったりしながら片づけていました。