何度も言うようですが、「記述式」のコツは、書き慣れですね。書いてみなくちゃわからないわけです。択一試験ならなんなく解けるはずの問題でも、いざ書いてみよとするとなかなか進まないものです。どなたにも似たような経験があろうかと思います。
そこで「記述式対策講座」のテキストには、1問だけですが、ウォーミングアップの問題を載せておきました。
その目的は、ともかく「書くことからはじめよう!」ということにあります。自分の考えを書いてみようというわけです。
問題「難破した船から投げ出された二人の人間が、波間に漂う間に一枚の板きれを見つけたが、それは、一人の人間がすがるのにやっとで、二人を支えるのには無理な大きさであった。そこで、一人が他方をわざと溺れさせ、自分だけ命拾いをしたとする。この場合に、命拾いをした者は許されるか。法と道徳の違いに着目しつつあなたの考えを40字程度で書きなさい。」
テキストでは「40字程度」にしましたが、「50字程度」でいいですね。この問題は、「カルネアデスの板」という有名な問題です。古代ギリシャの哲学者カルネアデス(B.C.214-124)が弟子に提起した問題だということです。
この問題。刑法の「緊急避難」(刑法37条)の場面で登場する問題です。なにも刑法の勉強をしようというわけではありません。道徳的に考えて、それを書いてみればいいのです。
道徳の要求する基準は、二つあります。一つは、一般国民が守れる程度の道徳です。「人の物を盗んではならない」などというもの。今一つは、一般国民が守れる程度よりは高い基準の規範(「高次の規範」などという)です。因みに、刑法の場合は一般国民に守れないようなことを要求するのはナンセンスですから、一般国民が守れる規範であるわけです。刑法と道徳。規範としてみた場合には、私たちに要求する基準がちがうわけです。
さて、その板の上の人間の問題。一方が他方を溺れさせる行為をどう評価するか。さきほどの道徳の基準のどれをとるかがポイントですね。うまく書けるかどうか。やってみてください。あくまでもウォーミングアップなんですが…。
それでそのカルネアデス。「自分は溺れても他人を助ける」と答えた弟子に対して、「お前は正しい!」……「しかし、お前はバカだ!」と答えたとか。哲学と現実とが入り混じっているような…。
もっとも、現実路線をひた走りの哲学者もいますがね…。うちのチッチ。