博覧こうき

信頼のK&S行政書士受験教室

世界の均衡が崩れ…記述式の世界

2006-07-31 02:22:24 | Weblog


 「ゲド戦記」。観に行きましたよ。朝8時50分からの。「世界の均衡が崩れつつある。」時代の話。
 観にいきましたゲド…。よくわからなかったですね。ハイタカ(ゲド)が主人公であるはずが、アレンという若者が主人公。まるで「アレン戦記」でしたね。
 原作は、全6巻(岩波書店)なんですが、そのうちの3巻だけをとりあげて映画化したわけですから、原作を読んでいない人にはわからないのもムリからんことですな。

 記述式の世界もバランスが崩れはじめているのでしょうか。あちこちからいろいろなウワサが飛んできますから。無責任なウワサはほっといてやることをやっておけば、こわいものはないでしょう。

 昨日は、形式面での注意点を紹介しましたので、今回は内容面に迫ろうと思います。もっとも、土曜日に実施した演習の話なんですが、できるだけ一般化してお話しますので、「演習など受けていないや」という方にもいくらか参考になるかと思います。

 1 事実認定をしっかりやる。要するに、事案の分析です。ここを間違えると答えはあらぬ方向に転がってしまいます。この事実認定については、基礎法学の講義でもお話したのですが、すべての事実を問題にする必要などなく、法的に意味のある事実を認定するのでしたね。
 たとえば、「詐欺による取消」の問題。第三者がいつ登場するのかで結論が違うのでしたね。取消前の登場なら96条3項の問題。取消後の登場なら177条の登記の有無で決するのが判例でした。問題文のなかに、「第三者の悪意」、「第三者が登記を経由」などと書かれていたら、取消後の第三者の問題だと見当がつけられますね。しかも、問題文に「Aは…契約を取り消した。ところが、Bはその土地を…転売し…」と書いてあるんだから。「取り消す前に」とか「取り消した後に」などと親切(?)に書かれていない場合には、時系列にしたがって問題文を読んでいくべきです。

2 制度の定義・要件は正確におさえる。法律用語には、類似の制度とか要件などけっこうありますから、それらの違いはしっかりおさえるべきです。
 たとえば、Aを騙して土地を手に入れたB。そのBから悪意で土地を取得した(単にBがAを騙したという事情を知っているにすぎない)Cが登場すると、Cを「とんでもないヤツだ」と思うのでしょうか。背信的悪意者などという人がいるわけです。

 「背信的悪意者=悪意+信義則違反」です。まさにこの判断は事実認定の問題です。信義則という言葉自体が曖昧だから、ケース・バイ・ケースの判断が要求されるのですが。典型的な例として、紹介されるのが不動産登記法4条、5条のケースですね。これはみなさんが条文でどういう場合なのかを確認しておいてください。

 その他、①先行者に登記がないのを奇貨として、②先行者に登記がないのに乗じて、③高く売りつけ、不当に利益を得る目的で、などというのが判例で出てきたキーワードです。こういうフレーズがあったら、背信的悪意者と認定してもいいですね。
 以上の場合以外に、「背信的悪意者」かどうかを一般的・抽象的に述べることは極めて困難なんです。ケース・バイ・ケースですから。だとすると、行政書士試験で受験生のみなさんに設例の中で背信性があるかどうかを認定させる問題はまず出題されないと考えていいです。

 そういうわけで、今まで法令科目の講義の際、「復習問題」を5問配布してきましたが、これから本試験直前まで「K&S記述式ドリル」(仮称)を配布します。毎回、記述式問題を1問ないし2問出題します。提出された方には添削して返却します。通信の方などには、メールでお応えしようと思います。Sクラスはわかりませんが、Kクラスは提出は任意とします。

 なぜ提出は任意か。「求められればアドバイスする。しかし、干渉はしない。」という私の研究生時代からの伝統の学風によるものです。これが染み付いちゃってますから。それに、パターナリズムなんて嫌いだし…。

記述式…どこに注意すればよいか

2006-07-30 01:31:30 | Weblog



 28日(金)。東京ビッグサイトで「第1回 u-Japan ベストプラクティスシンポジウム」が開催されました。サブテーマは、「ユビキタスネットワークはどのような社会を実現するか?」。「情報通信」は今年の試験の出題分野ですから、「ユビキタスネットワーク」などは要注意の分野です。
 このシンポジウムに三瓶講師とともに出席したので、その報告をしようと思っていたのですが。

 29日(土)。先日、本欄でも紹介したように、今回の演習では「記述式問題」を2問出題しました。40字程度の空欄補充問題など、荒唐無稽な問題などは出題しませんよ。ついでにいうと、どなたが言い出したのか「合わせて40字」は、受験生の方の間ではかなり受けているようですが(笑)。「合わせて40字」という問題も出題しませんがね。

 典型的な論点からの出題で、おそらく択一試験だったらほぼ全員が正解できるような、そんな典型的な論点。でも、いざ、40字程度で書くとなったら書けないものですね。論点を書けとか、論点に解答を書くというような問題でもありません。まあ、簡単な法律論の展開です。でも、解答には「ある要求」をしました。そのほうが書きやすいと思ったからです。いかがだったでしょうか。
 その要求のためか、答案を見ると法律論の展開はほとんどできていますね。今後もこの形式を踏襲するつもりです。

 いくつか気がついた点。
【形式面】
 主語を明確にする。40字程度であっても、文章を書くわけですから、主語がないと文意が把握できない場合があります。法律の条文では立法テクニックとして主語を省略する場合が少なくないのですが、みなさんは、主語を省略しちゃダメです。書く文字数は他の部分で調整しましょう。

 句読点を打つ。これは文章を書く場合の基本ですよね。これまた文字数の調整なのでしょうか。句読点、特に読点「、」がないものがけっこうあります。
 文章を書く場合、この読点の打ち方がむずかしいです。やたらに打つとかえって読みにくくなってしまいますから。
 そもそも読点は、読み間違えられそうなところに打つんです。次の文章はどうですか。「カネオクレナクナッタ」。読点がないと「金、送れなくなった」なのか、「金おくれ、なくなった」なのかわかりませんね。
また、一般的には「主語の後に打つ」と考えていいですね。たとえば、「裁判所は、…」などと。
 次に句点「。」です。これがない答案も何通かありました。文章は、「。」で終わるわけです。40字程度の短文であっても、文末に「。」がないと、完結していない答案だと受け取られかねないです。だから、要注意。
 一番最後のマス目に言葉がくるときには、その最後の文字と同じマスの中に同居させるんでしたね。
[る。]のように。

3 文字は丁寧に、楷書で。答案は読ませてやるものではないです。たしかに、高い受験料(行政書士法では、これを「手数料」といいます。)を払って受験するのですが、「ほれ、オレの答案読んでみろ」じゃないですね。「読んでください」ってわけです。そうですね。答案は読んでもらうものです。だった、誰が採点するかわかりませんから、誰が見ても読み間違われないように、丁寧に書くべきです。これは40字程度の短文であっても、注意しておいてください。ついでにいうと、省略字は書かない。

4 補語を明記する。法律論を展開するといっても、日本語の文章ですから。補語がないと文意がとれないです。たとえば、「裁判所は当たらない。」。何に当たらないのかわかりませんね。「裁判所が行う事前抑制は、検閲に当たらない。」。だったら、わかりますが。

5 問題を作るほうも、普通は(最近、いや前からかな、奇抜な発想をするフツーでない人たちがわんさといる所があるらしいですが…)、過不足なく40字程度でまとめられる問題を作りますから。きれいにまとめられなきゃどこかがおかしいのです。
 そこで、練習のときには、書いたものを音読してみましょう。そうすると、どこがおかしいか意外に簡単に見つけられますよ。

6 最近では、「出来る」、「する事」、「の為」など。漢字で書くことが少なくなりました。こういう言葉はひらがなで書くのがいいです。

【内容面】については、問題ナイヨーというわけでもないですから、また明日にでも。

考え込む!「基礎法学講義」

2006-07-28 02:15:28 | Weblog


 基礎法学講義。腹の膨れはいくぶん収まりましたが。

 かつて『考える民法』という本が「弘文堂」(だったかな。書斎のどこかに紛れてしまって見つからない)から出ていました。あまりの難しさに、俗に『考えこむ民法』などとも言われていました。そのためかどうかは知りませんが、今はもう絶版でしょうか。

 基礎法学が「実定法の基礎」というなら、やっぱりここでも「考える学習」が要求されるわけです。
 というわけで、基礎法学のテキストの巻末に付録として「リーガル・マインド論」を掲載しておきました。付録とはいえ、ここをじっくり講義したいと思っていたのですが、なにぶん「付録」。それほど時間の余裕もなくて…。

 「考える力・論ずる力」を養うためには、 「わが身に置き換えて」考えてみるのがいいですね。あるいは、行政書士として依頼者から相談をもちかけられたら…と考えるのもいいですね。

【設例】A・B間で建物の使用貸借契約が結ばれました。使用貸主はA、使用借主はBです。その後、AはBに貸したままの状態でCにその建物を売却(移転登記済)してしまった。そこで新所有者CはBに建物からの退去を請求するわけです。このCの請求にBは応じなければならないでしょうか。

 これは単純な問題ですよね。A・B間の契約が賃貸借であれば、Bは引渡しを受けて住んでいることから、借地借家法31条1項で保護されますね。でも、この設例ではA・B間の契約は使用貸借であるわけですから、Cの請求は認められます。この結論には異論はないでしょう。これで終わってしまったんでは、考える力はなかなか身につきません。
 でも、この場合、みなさんがBだったらどうしますか。「はい、わかりました」と言って素直に(?)立ち退きますか。明日から住む所もないのに…。なんかゴネないとダメですよね。そのゴネる方法を考えようというわけです。もちろん、民法の理論を使ってですよ。
 C対Bの問題ですから、まず、Cの請求の根拠を考えます。これは「所有権」ですね。ということは、本当にCが所有者なのかを攻撃するわけです。Cが所有者だとする根拠は、AとCの売買契約ですから、本当に売買契約があったのか虚偽表示ではないのか、などなど。Bは94条2項の第三者ではないのですが、その無効の主張は認められますよね。

【設例】A・B間で土地の賃貸借契約が結ばれ、Bはその土地に建物を建てて住んでいるが、建物の登記もなく、賃借権の登記もない。その後、AはBに土地を貸したままの状態で、Bが建物を建てて住んでいることを知っているCにその土地を売却(移転登記済)してしまった。借地人Bは悪意の取得者Cの土地明渡し請求に対して借地権を主張できるでしょうか。

 借地借家法31条があるから、「借地上に建物を所有する借地人は、所定の登記がなくても第三者に借地権を主張できる。」とは正面からはいえません。
 「所有権」対「所有権」の場合には、177条の登記の有無で決着をつけることにはそれなりの合理性がありますが、ここで問題になっているのは「所有権」対「利用権」です。この場合にも、177条で決着をつけるのは妥当性を欠くとは思いませんか。177条で処理するのなら、Cは悪意であっても保護されちゃいますが…。

 「所有権」対「利用権」の場合には、市民法原理(177条で処理するやり方)を社会法原理(社会経済的弱者救済)で修正すべきだと私は思うのです。要するに、第三者は「善意・無過失」であるべきだというわけです。いかがでしょうか。
 実質的根拠として、不動産取引にあたっては現地を調査するのが常識(現地見分主義)であり、現地調査さえすれば、建物の存在によって借地権が存在していることがわかるはずであり、借地人ないし借地上の建物を保護すべきだからです。

 因みに、判例は「権利濫用」として明渡し請求を否定しているものがあります(最判昭38.5.24など)。


話せばわかる!「基礎法学講義」

2006-07-27 03:36:40 | Weblog


 基礎法学講義2回終了。時間の関係もあって、言い足りないことも多いわけです。言わぬは「腹の膨れる心地す」などともいうので(それでなくてもお腹がぽっこりなんですから…)、この際、腹の膨れを収めたいと思うわけです。

【類推解釈そして準用】
 類推解釈は、本来であれば「準用する」という明文の定めがある場合(A)、それがなくても解釈によって他の類似の規定(B)を準用することといってもいいでしょう。この場合、Bについての規定をAについて「類推適用」するというようにいいます。

 「準用する」とは、ある事柄に関する規定を、それと類似する他の事柄について、必要な変更(読み替え)を加えて、働かせることだといわれています。「準用する」というのは、類似している事柄について、いちいち規定を設けることはかえって条文が複雑になってしまうことから、これを避けるために用いられるのです。かえって、これがわかりにくくしているのだと思われます。ポイントは、準用される条文には必要に応じて、修正(読み替え)をしなければならないという点ですね。

 「行政不服審査法」での話。再審査請求の主観的不服申立期間は、「審査請求の裁決があったことを知った日の翌日」から起算して30日以内(53条)。これは条文のままだからいいですね。

 では、客観的不服申立期間(1年間)の場合はどうでしょうか。要するに、いつから「1年間」を起算するかということです。受講生の方によれば、「処分があった日の翌日から1年間」という記述をしている受験参考書があるようですが…。

 この場合、56条によって14条3項が準用されています。14条3項本文は「審査請求は、処分があった日の翌日から起算して1年を経過したときは、することができない」という規定です。これを再審査請求に準用するわけですから、読み替えが必要です。
 すなわち、 「再審査請求は、処分があった日の翌日から起算して1年を経過したときは、することができない」(56条、14条3項本文)。これでいいでしょうかね。これは誤り。修正が不完全です。不服申立期間の意味を理解していないことから起こる誤りですね。主観的不服申立期間が「裁決」なのに、客観的不服申立期間になると「処分」になってしまうのか整合性がないですよね。

 「不服申立期間は直前の処分」に着目するわけです。だから、「処分」があって、審査請求するときには「その処分」。だから、「審査請求は、処分があった日の翌日から起算して1年を経過したときは、することができない」(14条3項本文)となるわけです。
 「処分⇒異議申立て」(異議申立て前置の場合)のときに、審査請求するときには「異議申立ての決定」。だから、「審査請求は、当該処分について異議申立てをしたときは、当該異議申立てについての決定があった日の翌日から起算して1年を経過したときは、することができない」(14条3項本文かっこ書)となるわけです。「処分があった日の翌日から1年間」という定め方をしていませんよね。

 さきほどの問題。もうおわかりですね。

 「再審査請求は、裁決があった日の翌日から起算して1年を経過したときは、することができない」と修正しなければダメなんですね。

 この問題と「不服申立の対象」の問題とを混同しないでくださいね。審査請求の対象は、行政庁の「処分」。これに対して不服申立(審査請求)をするんですよね。異議申立てを前置する場合も、審査請求の対象は異議庁の「決定」(47条、50条)ではなくて、当該行政庁が行った処分(原処分)ですよ。
 これに対して、再審査請求の場合には、「原処分を対象」とするか、「審査庁の裁決」(40条)を対象とするかは、不服申立人に選択の自由があります。

♪初恋の手紙書き綴り 眠れない夜更け いつの間にか白い朝が来て 破り捨てる手紙♪

 明日に続きます。

再び劇場のイドラ…記述式について

2006-07-26 01:37:51 | Weblog


 「4つのイドラ」。イドラとは怪獣の名前ではなく、「先入見」とか「偏見」という意味です。経験論の創始者ベーコンは、ものごとを正しく認識するためには、イドラを取り除かなければならないと主張しました。その一つが「劇場のイドラ」。

 世の中でいわれている「権威」に影響されると見えるものも見えなくなるというわけです。厳密な意味での「権威」ではなくても、「エセ権威」であっても似たような状況が起こると思います。いやなに、商号の力はすごいなと…。だから、財産的価値があるわけなんですが。まあ、商号を守ることもたいへんな努力が必要なはずなんですけどネ。……。

 平成6年。本格的に受験指導に入った頃。まだ試験科目に「論述試験」があって、時事的なテーマの問題(たとえば、「円高が日本経済に与える影響」など)を800字以内で書くというものでした。
 通信受講の方の答案の採点。一番最後に決まって「私が行政書士になったときには、国民の人権を守って業務を遂行します。」などという答案がかなりありました。政治問題でも、経済の問題でもはたまた社会問題であっても、必ず最後には決まったフレーズ。なかには、「憲法に忠誠を誓った」方まで。
 同僚に聞くと、某受験団体がそのような指導をしているらしいとのこと。商号の威力というか、市場占有率の高さの結果なのか。いやはや添削には苦労しました。

 「縮みの文化」というのがありますね。「ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲」。これです。雲ばっかりに気をとられて、秋の名残が感じられない。要するに、全体からものを見ないということです。全体から捉えないと、本質を見失ってしまいかねないですね。
 「体系的解釈」(「論理解釈」「目的論的解釈」とも)という法の解釈方法もそうですよね。文理解釈では妥当な結果が得られないから、法文の目的、法体系の中における条文との位置づけなどを考慮しながら、解釈しないと体系的解釈にならないのと同じことですね。

 今年の試験改革の目的はなにか。どのような問題を出題するか、ある程度公表されているわけです。この延長上に「記述式」を捉えるべきですね。そうだとすると、三瓶講師が「転がる石」で喝破したように、「いくつかの空欄を合わせて40字」という出題はないでしょう。

 幸い(?)、本欄は同業の方もご覧になっているようですが…。
 平成12年に試験制度が変わり、論述試験が廃止されました。受験生からみれば、かなりの負担軽減でした。それなのに自治省の発表は前年の12月16日(自治省告示第250号)。
 記述式が「40字程度」という発表は今年の7月。とすれば、それほどの負担を強いるような出題はないはずです。従来どおり、「択一式の延長上に記述式」があると考えていいですね。いたずらに、「予想問題」みたいな問題に手を出すのは、上策とはいえませんね。

 シュガーパワー氏のいうように、まず「書く練習」から始めるべきですね。40字は長いようで短い。意外に書けないです。K&SのHP欄の記述例に多くの方がチャレンジされていますが、なにを、どのように書けばよいかという観点からの一つの記述式例です。まだチャレンジしていない方はやってみてください。

 不安を煽り立てるような情報・思いつきからの情報なども少なくないようです。そういう無責任な情報に惑わされることなく、今までの学習を継続させてください。でも、これからは「これは記述式にでるかな」という意識は持つべきですね。そうすれば、定義は丁寧に覚えるようになるし、条文・判例はじっくり読むようになりますから。

 あくまでも択一試験の延長上に記述式があるのです。

『法的思考のアクチュアリティ』

2006-07-25 01:39:42 | Weblog



 『法的思考のアクチュアリティ』。やぼ用のため、三瓶講師と水道橋へ。帰途、書店に寄って買い求めた1冊。例の「早稲田経営出版」からの刊行で、著者は「田村智明氏」。奥付の著者紹介には、Wセミナーの専任講師の肩書き。

 水曜日に配布する「確認テスト基礎法学2回」が完成し、少しばかりの時間ができたので、『法的思考のアクチュアリティ』を読み始めました。本書のサブタイトルは、「どんな学校でも教えてくれない法哲学」とあります。田村氏はどういう学校を念頭に置かれているのかは知りませんが、こういう教え方はしないでしょうね。一般的に。

 この種の本は、ある程度の素養がないとむずかしいです。本書もそういう素養がない私にとっては、難しかったです(まだ全部読んでいませんが)。でも、いい本です。みなさんは、合格された後にでも手にとって見てください。
 私は心が広いですからね。同業の方のものであっても、いいものはいいとほめますよ。もちろん、悪いものは悪いとけなしますが。
 ただ、構成として、「部・章・節」立てだけでなく、小見出しもつけてほしかったですな。途中でやめようにも区切りがつけにくいのがいささか不満ですね。小見出しごとに考えるクセがついているんで、ないと疲れるんだよね。

 そういえば、かつて在職していたLECから刊行していた『法律文化』はなかなかいい雑誌でした。私は一番のヒット商品だと思いますよ。あれはね。一番。その月ごとの特集記事が良かったです。まだあるんですかな。なんでも、社員は必読だったらしいのですが、読んでいたのかどうか…。おそらく毎月、読んでいたのは私だけだったのかも知れません。もったいないことです。だから、……なんでしょうね。ね、ほら、心が広いでしょ。

 「法律家は批判されることを好む」とは、たしか刑法学者の香川先生のお言葉だったでしょうか。法律学は「議論の学問」ですから、批判されれば、根拠をあげて反論するのが法律家たるゆえんなのです。ところが、人生いろいろ。人もいろいろ。批判すると逆上する人は少なくないですね。中には、顔を真っ赤にして、目には涙を溜めて言い返してくる(こういうのは「反論」といわない)人もいます。おいおい、泣くんじゃないよ。心は広く持たなくちゃ。

 おばあちゃんが言ってた。「自分より劣っている者を批判しちゃいけないよ」って。そうなのかも知れませんが、なかなか約束は守れそうにありません。 合掌。

迷い道…「過去問」の歩き方

2006-07-23 02:15:19 | Weblog


質問メール…「過去問学習は必要ですか」…にまとめて応えて

 この時期。「過去問」の学習を意識される人が少なくないようです。過去問の学習についての質問を受ける機会が多くなってきました。

 たしかに、行政書士試験に限らず、国家試験の受験界では「過去問学習」の重要性が力説されています。行政書士試験では、平成11年まで過去問は必ず学習すべきものでした。
 というのは、平成11年まで試験問題は旧自治省を中心として作成されていたわけです。ということは、それぞれの試験科目の専門家ではない、試験問題の作成に精通していない役人が問題を作成していたわけです。

 彼らは。ボツ問がこわい。役人の性ですね。おのずから作問は、過去に出題されてきたような問題をなぞる傾向にあったのです。その証拠に、平成11年までの出題を検討すれば、一目瞭然。同じような問題が手を変え、品を変えて出題されています。
 ここでは過去問をしっかり学習する意義があったわけです。

 平成12年に試験制度が変わりました。役人に代わって法律系の大学教授などの専門家が問題を作成する制度に変わりました。試験委員は、それぞれの分野のエキスパートであるわけですから、ボツ問などありえないと思うわけです(実際、ある年のボツ問に、某大学教授「オレの作った問題のどこがおかしいんだ」と…)。しかも、その道のプロなんですから、過去問などあまり意識してこなかったのです。だから、試験の傾向は右往左往していたわけです。しかも、元試験委員の某大学教授は、「過去問など見たこともない」と発言されています。まあプライドなんでしょうか。それでも、試験問題はまだ大きく様変わりしていませんでした。
 ここでもまだ過去問をじっくり学習する意義はありました。

 平成18年。試験制度がまたまた大きく変わろうとしています。まだ誰も試験問題を見てはいないのですが、一つのヒントは昨年の本試験問題だと考えられます。すでに18年度の試験が改革されることが公表されていたわけですから、これからはこんな試験だよというメッセージと考えるのが自然でしょう。だって、法的思考力を問うなどといっても漠然としすぎているからです。
 もうここでは過去問など学習する意義は従来ほどはないのです。

 昨年の問題。過去問解いてきたからといって解けないですよ。ということは、過去問につがみつく学習は上策とはいえません。過去問学習の必要性をかつてと同じように説くことには疑問を感じますね。
要するに、過去問などやって合格できる時代は過ぎ去ってしまったわけです。

 したがって、過去問の学習に多くの貴重な時間を割くことや過去問で解法テクニックをマスターなどというのは、まったくナンセンスですね。

 では、まったく学習する必要がないかといえば、ノーですね。条文の知識の確認、判例の判旨の確認というような面ではそれなりの意義はあります。どんなに試験の傾向が変わろうとも、出題されるのは基礎法学、憲法、行政法、民法、商法なのですから。「法的な思考」といっても、出発点は条文なのですから。

 条文を理解している、判例を理解している。これらを当然の前提とするような出題がなされると考えていいでしょうね。ですから、このための学習の一環として過去問学習を位置づけていくべきです。


「法的思考」…基礎法学にこだわる

2006-07-22 02:20:50 | Weblog
 

 22日から「基礎法学」の講義スタート。テキストは46ページほど。実定法の基礎事項から法哲学的な分野まで多岐にわたります。「法的センスアップ」を図るとともに「法を科学しよう」などとだいそれたことももくろんでいますが…。

 そもそも「基礎法学」という科目じたいはっきりしないのです。学問としての「基礎法学」と呼ばれる分野があります。すなわち、法学の分野は、大別2つに分けられます。一つは、「法解釈学」の分野です。ここでは実定法の解釈が中心です。現実の、あるいは架空の問題に対して一定の解決方法を示すわけです。ここでは、従来から「体系的思考」が中心であったのですが、イェーリングなどの批判を受け、「問題的思考」に変わってきています。「具体的妥当性」を追求するわけなんです。
 いま一つが、「法解釈学」以外の分野を総称して「基礎法学」などというのです。まさに実定法の基礎ということです。これには、「法哲学」をはじめとして「法史学」、「法社会学」、「比較法学」などがあります。

 もう一つの「基礎法学」。これは従来から「法学概論」と呼ばれていたものの別称。行政書士試験では、かつては「法学概論」が出題分野であったのです。平成11年までですかね。
平成12年の試験制度改革の際、「法学概論」から「基礎法学」に変わりました。

 当時の総務省の説明では、単に名前を変えただけだと。とすれば、試験問題も従来と同じように「法の解釈」とか「法令用語」などの問題に終始していればよかったのですが…。
 それからの問題はその範囲をこえて、学問的な基礎法学のような出題がなされてきました。たしかに、法学概論、基礎法学の「所管事項(?)」は広いですけどね。実定法を包括しているわけです。

 大学の法学部では、定年が近いベテラン教授が教えるのがベターなんですが、多くの大学では新人講師のデビューの場となってしまっているようです(私は、ベテランというか中堅の教授に教わりました。試験問題は、たしか「法はなぜ守らなければならないか」だったですね)。

 かつて、ある老教授が痛烈に批判していました。「若造に教えられるほど法学は甘くはない」って。受験指導であっても、最近の試験の傾向、今年とくに明確に打ち出されている「法的思考力をいっそう問う問題」などというのを考えると、同じことがいえるでしょうか。社会経験が豊富でないと、人に「社会規範」は教えられないのでしょうね。自責の念にかられますが…。
 かつて学習塾で「倫理」を教えていたとき、「倫理感がないから、教えられるんだよ」なんて開き直っていましたが…。

 その基礎法学のテキスト。最後に「リーガル・マインドとはなにか」を入れておきました。法律学の学習は、法律の条文や判例などの細かなことをあれこれ覚えるよりも、法的に筋道を立てて考える力、つまり法律的思考能力、リーガル・マインドを身につけることが必要であるなんてよくいわれます。しかし、そのわりには、「リーガル・マインド」の具体的な内容などについてはこれまで明らかにされてきたとはいえませんね。
 一般的に、リーガル・マインドの特徴として以下のことなどが指摘されています。

①問題を発見する能力…紛争や意見の対立に直面した場合、錯綜とした状況を整理 して、そのなかから法的になにが問題なのかを発見する。
②法的に分析する能力…法的に関連のある重要な事実・争点と重要でないものとを区別して分析する。
③妥当な解決策を考える能力…関係者の主張を公平に聴き、適正な手続をふんで妥当な解決策を考える。
④バランス感覚のある判断能力…全体的な状況をふまえ、各論拠を比較考量し、バランスのとれた的確な判断をする。

 じつのところ、「法的思考とはなにか」そして、「法的思考に対する批判」なども取りあげたかったのですが、時間の関係で断念しました。
 現代社会の一つの風潮として、「法的思考」に対する批判、「法化論」に対する批判がかなり出てきているようです。ポスト・モダニズムの影響ですかね。

登記により公示の衣装に包まれて…

2006-07-21 02:46:14 | Weblog



 「改むるに憚ることなかれ」。高等動物であればあるほど間違いは犯しやすいわけです。もちろん、法律の世界でも同じことです(会社法典の誤りについては昨日のブログ参照)。
 また、間違いというわけではないのですが、わかったようでわからない比喩を使うというのは、よくある話です。まあ、悪くいえば、ゴマカシということになるでしょうか。

 我妻先生の『民法講義Ⅲ』に「登記により公示に包まれている限りにおいて」という表現がでてきます。私は学生の頃、「登記により公示の衣装に包まれて」などと学習した記憶があります。
 抵当不動産から分離した物について、どこまで抵当権の効力が及んでいるか、という問題の場面です。具体的にいえば、山林に抵当権が設定された(登記済み)のだが、その山林の立木が伐採された場合、その伐木に抵当権の効力が及ぶかという問題です。及ぶのであれば、抵当権者は抵当不動産といっしょに伐木をも競売にかけることができることになります。

 我妻先生は、伐木が抵当山林上に存在しているときには、抵当権の効力が及んでいるというわけです。その根拠は、「登記により公示に包まれている限りにおいて」だけ、その上の抵当権の効力を第三者に対抗できるが、山林から搬出されてしまったときには、第三者に対抗できないというのです。

 この「登記により公示に包まれて」という表現。星野先生などはそういう言い方はよくない、「なにかごまかしがあるようで付いていけなかった」などといわれているようです。こういうのを聞くと、学生の時分、「登記により公示の衣装に包まれて」などと得意になって使っていた自分が浅ましく思えてきて落ち込んじゃいますね。

 たしかに、こういう比喩表現をテキストなどに使うことは好ましくないのかも知れません。私など「批判能力」はありませんでしたからね。

 この点をもう少し考えてみると、抵当権設定者が正当な利用の範囲をこえて(設定者には使用収益権があるから、正当な利用の範囲内の伐採は問題にならない)伐採した場合、①抵当権は伐木にも完全に及び、それが搬出され第三者の手にわたっても、第三者が即時取得するまでは抵当権の効力が及んでいるという見解、②伐木は動産だから、伐採とともに抵当権の効力は及ばなくなる、という両極端の考え方があるようですが。

 この場合、抵当権は抵当不動産から分離した物(伐木)にもその効力が及ぶ(「抵当権は付加物を含めて目的物全部を支配する物権だから」というのがその理由。これは我妻先生も言っています)。したがって、抵当権の登記による対抗力は、伐木が山林上にある間だけ存続し、山林外に搬出されれば対抗力がなくなるというのが一般的な見解ですね。この根拠が先ほどのフレーズなんです。

 もっとも、山林外に搬出された場合でも、抵当権設定者の手元にあるときには、抵当権の効力は及びますね。当事者間の問題ですから、対抗力の有無など問題になりません。抵当権に基づく物権的返還請求権により山林内に戻した上で抵当不動産とともに競売することになります。

 第三者の手にわたったときには、その者が背信的悪意者じゃない限り、対抗力はなくなってしまうことになるわけです。

 うーん、むずかしい。

商法…実質的法改正と形式的法改正

2006-07-20 03:34:38 | Weblog



 19日。商法の講義が終了。全4回計11時間。テキスト76ページ。まあまあ納得のできる講義を展開できたとは思いますが、これは私の主観。受講生のみなさんがどう思ったかはまた別の問題ですがね。

 その商法。本欄でも何度となく書いてきましたが、やっぱりクセ者ですね。いやなに、今年の本試験のことです。「商法については、平成18年4月1日現在施行されている法令に関して出題しますが、会社法(平成17年法律第86号)により実質的な改正が行われた部分については、原則出題しないものとします。」というのがセンターからの発表でした。

 たしかに「実質的な改正」あるいは「形式的改正」などというのは、人によって捉え方が分かれるところですね。旧商法の条文と新商法・会社法の条文とを比較すると次のようにいえますね。

  ①旧商法と同じ趣旨・内容の条文が新商法・会社法にあるもの(○印)
  ②旧商法にあった条文・制度が新商法・会社法では削除されたもの(×印)

 このうち、 ①は出題される可能性があり、②は出題されない可能性が大きいですね。まさに、実質的な法改正とはこのような場合をいうと考えられます。この点に関しては、法制審議会・商法部会のメンバーでいらっしゃる商法のある教授も個人的な意見と断られながらも私の意見とほぼ同じでした。
 もっとも、②の場合であっても、程度問題であるとも考えられ、この場合にはなにをもって「実質的改正」というのかが問題とされなければならないわけですが、行政書士試験の受験生にここまでの深い洞察は要求していないでしょう。

 ということは、①を中心に学習すればいいわけです。こういう観点を踏まえて編集された問題集・テキストでないとナンセンスですね。こういう点を見据えた講義でなければ時間のムダにもなりかねません。

 やっかいなものは、③新商法・会社法で要件が改正された場合(△)です。これも細かく分析すると、要件の一部が改正されたにすぎないもの、要件が全部改正されたものなどのケースがありうるわけです。いわば「グレーゾーンの問題」。制度としては存在するわけですから、さしあたって「制度目的」などを中心に学習しておくのがベターですね。
 もっとも、改正後の「新しい要件」は出題されません。これを出題すると「新法」から出題することになってしまうからです。センターは「原則として」と逃げ道を作っていますがね。

 さりとて、「古い要件」での出題もまったくナンセンスですよね。もうこんな要件は要求されないし、古い要件から発生した「効果」など、現行法の下では意味ないですからね。ということは、出題されないと割り切ってばっさりと切り捨ててしまうのも一つの方法です。

 ちなみに、K&Sでは思うところがあって(いやあ、人間の弱さかも知れません(笑))、この③の部分はテキストに入れておいたものもあります。

 商法の改正といえば、先日紹介した現行会社法の間違いの部分。神田先生からお約束どおり「資料」をいただきました。3月に国会に「会社法の改正案」として提出されたものが、継続審議になってしまったわけですね。
 その新旧対照表(いうなれば、「正誤対照表」でしょうに)。けっこうありますね。A4で20ページ弱。あまり詳しくはみていないのですが、準用条文などの間違いがほとんどですかね。準備期間は相当あったはずで、急いで改正したというわけでもないでしょうが。

 「急いては事を仕損じる」などといいます。じっくり構想を練ってからやるべきですね。なんでも。