博覧こうき

信頼のK&S行政書士受験教室

法學研究の心得(2)

2008-03-31 03:44:28 | Weblog

『法典質疑録』に所収されている、梅謙次郎博士の一文です。適宜、句読点を打ちましたが、ほぼ原文のまま(改行も私が)。

読みにくい箇所もありますが、民法三博士の一人「梅謙次郎」の説くところのエッセンスを汲み取ってください。

なお、「法學研究の心得(1)」については、1月13日付けのミクシーの日記をご覧ください。けっこう参考になりますから。


第二、自宅に居て書籍、講義録等に就て専ぱら研究せらるる方法は如何

是は幾分か講義を聽くよりかむづかしい私などは概して講義を聽いて學問をしたが科目に依ては學校の講義で聽かないものがあるから夫れは仕方かない。

書籍に就て研究した、講義を自分の方て求めなくも耳さへ明けて居れは師の方からどしどし耳の中に入れて呉れる。夫れだから勞すること少くして入ることか深い。

之に反して書籍を讀むのはこちらから眼で以て取て來て、夫れを頭の中に入なけれはならぬ。夫れたから勞すること多くして入ることか淺い故に、出來ることなら講義を聽く方か宜い。惡い講義ても先程申す通り判斷しつつ聽きさへすれは宜しい。

書籍に就て研究する人は私の考へる所、又自分てやつて見た所ては先つ一つの本を讀む。此場合には唯其所に參考とする譯にはいかない是は先つ其本を初から讀むのてある。併なから、唯すらりと讀て仕舞てはいけない。

讀む中に分らないことか屹度出て來るに違ひない、分らないことかないと云へばまるで分らないのか又たは非凡な人である。さう云ふ人は滅多にない、ですから大抵分らんことか出て來る其分らないことで矢張前に申上けるやうに抛棄してはいけない。之を抛棄しないに付ては學校へ來る人よりも少し不便なることかある。

其不便に二つある。一つには家で本を讀んて居るやうな人は多くは極極師匠を持たないのてあるから、分らんことがあるからと云て直く行つて質問することは出來ない。

學校に講義を聽きに來る人は、各専門の師に就て質問をすることが出來るから便利である。夫れは仕方がない、出來ることなら師を求めて質問をする方が宜しい質問の出來ん場合にはどうするかと云ふと、之に付ても不便が多い。

講義を聽たのであると前に申上くる理窟で注意して聽いてさへ居れは其聽いたことが頭の中に這入て居るへき筈である。さうして分らんことは質問するなり何なりして分らす、質問をしても一人で考へても一遍聽いたことは餘程分り易いのである。

所が本を始めて讀だ人は余程頴才でなければ理窟か半分りしてどうも何だか靴を隔てて痒を掻くと云ふやうな心持だらうと思ふ。

私などは本に據て初めて研究したことはないが、併し本を讀むとどうもさう云ふ心持がする、何だか分たやうで分らぬやうで從て他の本に就て調べると云ても何所を見て宜いやらどうも方角の付け所がない。故に先つ實際のやりやうは本であつたら是は少し講義と違ひ一遍通り丈けは唯讀む。

さうして分らぬ所があつたらば印しを付けて置くさうして同し本をもう一遍讀む、併なから今度はすらりと讀んではいけない。今度は分らん所に至つたらは先つ本を覆せて置いてさうして其所の問題に付て眼を眠て考へて見る、又は質問をする人があれは質問をする、他の書籍を出して讀む。

今度は一部讀んて來て居るから他の本を所所參考しても分る一部で分らんけれは二部二部で分らんければ三部ある丈けの本を參考として讀む。夫れで分らんけれは、師に就て聽くとか云ふことにしなけれは仕方がない。さう云ふ風に分らん点が有たら先きを讀まんで直ぐに調へて仕舞ふ。

段段さう云ふ風にして不審がある度びに其不審を解いていかなけれはならぬ、解く方法は多くは他の本に付て調べると云ふことにしなければならん、さう云ふ風に貫通して讀む本は一科目に付て一部經濟學などは少し違ふと思ひますけれども、純然たる法律の方は皆夫れで宜いと思ふ、一部丈けは貫通して讀む後は貫通して讀むには及はん、さうして一部は初から終りまで人情本でも讀むやうに讀んで仕舞ふ。


(なお、ミクシーの日記は「勝ち目がなさそうですがね」です。お読みください。)


狭きに失し・広きに失する。

2008-03-30 07:59:22 | Weblog
よく法律学の答案にみられる表現なんです。常套句のように。私もよく使いました。反対説をうまく批判できないときには。

「○○説は狭きに失し、△△説は広きに失する。」と。要するに、○○説や△△説は妥当ではないと。だから自説がいいんだと…。いわば消極的な・守りの答案なんですね。

さすがに概説書ではあまりお目にかからない表現ですがね。受験生の答案には少なくないんですね。これが。

…と、思えば、「○○は△△とは明確に区別しがたい。」などというのもありますね。「区別できないのはあなだだけでしょ」って。

こういうのは概説書にもみかけますね。「区別できないのはあなだだけでしょ」っていうのもよくあることで。そんなときには「あなたバカね」って言ってやればいいんですが。

国家賠償法の講義の際、そんなことを思い出しました。

「公権力の行使」の意義について、狭く捉える「狭義説」。広く捉える「広義説」。最も広く捉える「最広義説」というような展開がありますね。

まさしく狭義説は狭きに失し、最広義説は広きに失するってわけで。

ところで「無効等確認訴訟」(行政事件訴訟法36条)についても、「一元説」と「二元説」の対立がありますが、「最判昭51.4.27民集30.3.384」については評価がわかれますね。

ある学者は「二元説」を採用した判例であるとか、またある学者によれば「一元説」を採用したものなのか「二元説」を採用したものなのかは明確ではないと。

これはさすがに「あんたバカね」っていうわけにもいきません。


なお、ミクシーの「博覧こうき」には「その一行の陽気なことぉ」を書いています。あわせてお読みください。。

妨げられてこその…

2008-03-29 02:20:51 | Weblog


月にむら雲・花に風。

美しいものはとかく妨げられるってことですね。かえって、そのほうが美しさが際立っていいのかも知れません。

28日。冷たい雨が降りましたね。季節柄というべきかだいたいこの桜の時期には風とか雨とか。

花はさかりに。月は隈なきをのみみるものかは。と。兼好のじっちゃんに言われるまでもないことですが。ニッポン人ならば。

「妨げ」っいえば、例の朝鮮民主主義人民共和国(この国、なんで国名に「民主主義」って謳っているのかいまだにわからない)。またまたミサイルを発射しちゃいましたね。三発も。

かの国からみれば、国際社会には何らの「妨げ」もないかのようです。強気の国ですね。それとも焦っているのか…。

国際社会のあちこちで妨げられているからこそ。燃えるんでしょうかね。背水の陣っていうのはもともとあちらが発祥の地ですからね。三国志だったでしょうか。孔明の作戦だったかな。

新聞などマスコミは「北朝鮮」などと略称していますが、国名ですから、正式名称で紹介するのがスジっていうもんでしょう。

かつて…。だいぶ前。地方のあるN大のH教授。「北鮮」などと書いて相当な反撃を受けていましたね。別に客観的に紹介したまでで私には他意はありませんがね。

妨げられてこそ…の発言だったのかどうかまでは知りませんが。

そのH先生のご子息。やっぱり学者(…のつもりらしい。私の感想ですが)先生。ご著書もあるんですが、「ちゃん」が代わりに書いたんじゃないかというウワサが○○学界では有名なウラ話。

ひょっとしたら、ここにも何らかの妨げがあったのかも。ちゃんは偉大でしたからね。

眠りの素…民事訴訟法

2008-03-28 02:50:02 | Weblog


民事訴訟法。略して「民訴」。古くからその筋では人口に膾炙している(?)言葉に「民訴は眠素」。「眠りの素」ということらしい。味の素なら料理の味を引き立てるのですが。

「眠りの素」はどうも…。

現在、K&Sでは行政事件訴訟法の講義の真っ只中。「行政事件訴訟に関し、この法律に定めがない事項については、民事訴訟の例による。」(行訴法7条)って規定がありますから、少しぐらいは民訴の知識があったほうがいいですね。

(講義では必要に応じてお話していますが)

一般に「知識はジャマ」にはなりませんが。時として、あんまり勉強していない人がヘタに「知識」を身につけると危ないって…。とくに独学の方は要注意ですね。諸刃の剣に豹変してしまうってことも。

その民訴。洛陽の紙価を高めている書物もあるのですが、最近出版された本。『小説で読む 民事訴訟法』(木山泰嗣著/法学書院)。税別2000円なり。

民訴ってどんな法律なのかなぁ…という方におススメです。もっとも、行政書士試験受験であればこのぐらいの本がお手軽です。試験には出題されませんが、基礎法学の「裁判制度」の学習には最適です。訴訟用語・法廷用語もマスターできますよ。

活字も大きくて読みやすい。小説ですから、苦もなく読み進められますがね。ただ、「上慶大学」とか「彼妻先生」とか「讀買電機」などわざとらしくて…。目障り(と、私は感じましたが)。

学生時代にこんな本があったら…。ひょっとしたら民訴がもっともっと好きになっていたかも。教授も悪かったに違いないと(不勉強さを棚にあげて)。

民訴の最初。訴訟物論争で完全にメゲましたよ、わたしゃ。人並みの成績はとりましたがね。一応は。でも、あまり勉強はしなかった。新堂民訴を読み始めると…いつの間にか「眠素」に。

しかも研究室の先輩弁護士「民訴がわからなくても困らない」なんて豪語するもんですから(信じがたい発言ですが)。法廷でわけわかんないときには、「然るべく」って言っておきゃいいって。後で事務所に帰って調べるんだそうな。


  ♪民法商法60点 民訴が落ちて50点 朝な夕なの皮算用 祈る姿のいじらしさ♪

ルール無用の悪党に…

2008-03-27 01:59:09 | Weblog


痛ましい事件が相次いでいます。あの平和で安全で…治安大国とまで言われたニッポンはどこに行っちゃったんでしょうね。

相変わらず他人を巻き添えにする事件が後を絶たないですね。もっとも、一般に犯罪は他人に対するものですから、巻き添えになるのも運命なのかなと…。

ルールなき世の中。危なっかしい世の中でもあります。「自己の注意において」というような自己責任だけでは防ぎようがないですね。

イヌも歩けば棒に当たる。「君も歩けば行政法に当たる」とは行政法学者のA先生(異端でしょうね、この先生。あら、居たんですか)の名言。

そんな呑気なことを言ってられません。道を歩けば人が降って来る昨今ですからね。

♪白いマットのジャングルに 今日も嵐が吹き荒れる ルール無用の悪党に 正義のパンチをぶちかませ♪

価値観の多様化…。正義も地に落ちてしまったかのようで。J.ロールズ先生も草葉の陰で嘆いているやも知れません。

ルールは守るべきもの。これは社会ルールだけではありません。記述式などでもルールはありますね。字数制限。

ライブの方は答案用紙を提出しますので、ほとんどないのですが。それでも時折、ご自分で「マス目」を付け足される方が…。

通信の方はほとんどの人がメール添付ですから。提出されるときには字数をチェックしてください。キチンと字数を明記される方も少なくないのですが、字数など関係ないやって方も。これまた少なくないです。

「40字程度」というときは、「35字から44字」。「50字程度」というとき
は、「45字から55字」。これがK&Sのルールです。

というわけで、みなさんに配布しているドリルは「44字分のマス目」と「55字分のマス目」があるはずです。

本試験問題中にある「下書用」のマス目は「45字」。45字以上書く受験生はいないでしょうね。たぶん。

明らかな字数不足も字数オーバーも論外。採点などされないのがルールと肝に銘じておくべきですね。

序に言っておきますが、私が適当に「40字程度」とか指定しているわけじゃないのです。自分で書いてみて、こうすれば指定字数に納まるはずだと考えて字数制限をしているわけです。

長きに失し・短きに失するってわけです。

今の「赤」だったよ!

2008-03-26 06:37:16 | Weblog


講義を終えて…。駅を降りると雨だったから、タクシーでの帰宅。ワンメーター710円の距離なんですが、退屈なのでよく運転手に話しかけることがあるんです。

「雨降ってきちゃったね」と私。
運転手「……」。
私「今日の夕方、駅前の交番の前にカメラを持った人たちがたくさんいたけど、何かあったのかね」
運転手「……」

もうまったくムシですね。ムシの居所が悪かったのかどうか…。わかりませんがね。何人かに一人はいますね。それでも話をムシするのはまだいいほうですよ。

「今の赤だったよ!」。信号ムシまでしちゃいましたよ。べつに急げって言ったわけじゃないのに…。「どこ見てんだよ」と私。料金タダでしたよ。言ってみるもんだね。「これって口止め料?」と言っちゃいました。

赤信号で交差点に突っ込むなんて…。人生のうちで何度もあるもんじゃありません。わたしゃ何度かありましたがね。

初体験…高校生の時。酔っ払ってナナハンに彼女乗っけて送って行く途中に信号無視。車が来てたら…。あのヨーって。無理心中でしたよ。

2度目…。同じく高校時代。若気の至りでチョコット横道にそれた時。高校からパトカーで警察署に。これは公認の信号無視なのかも。そんなに急がなくても暴れないって言ったのに…。

何度目か…。数年前、地方のH大での講義。夜7時36分だったか(ほとんど記憶がありませんが)の新幹線に乗って帰る予定だったんですが、講義が終わったのが7時20分。急いでタクシーを呼んで。運転手に事情を話すと…。いくつかの赤信号をすべて無視。いやあ、田舎道で良かったぁ。

…っていうわけで「赤」にゃメゲませんよ。わたしは。

みなさんはいかがですか。記述式ドリルの「赤」にメゲていませんかね。メゲちゃダメです。赤の原因を考えましょうね。私のせいではありません。念のため。

「赤」っていえば、「学生時代、赤線から司法試験を受けに行った」って豪語していた老教授がいましたね。一緒に合格した友人は裁判官をやっているなんて…。そんな時代もあったようです。

そのセンセー。円盤投げかなんかの記録を持っていたらしく。「みなさんはどれをとっても私には勝てないでしょう」なんて。講義の合間に言うんですよ。

「歳だけは勝っていますぅ」と教室のどっかから。無限の可能性があった(と信じていた)学生時代。それは幻想だったと気がついた今日この頃。

♪ぎんぎんぎらぎら夕陽が沈む ぎんぎんぎらぎら日が沈む 真っ赤っかっか雲の色 みんなのお顔も真っ赤っかっか♪

反省のないところには…

2008-03-25 01:54:11 | Weblog


反省のないところには、進歩の余地はないですね。過去の自分の行いを振り返ることから始まっていくわけです。

「三省」って言葉があります(出典は「論語」なんですが)。吾日にわが身を三省す」などと。原語は「吾日三省吾身」ですから、「吾日に三たび吾身を省みる」って訓読する人もいるようです。もともと「訓読」は日本語読みですから、間違いとまではいえないでしょうね。

その「三省」。なんども反省するという意味なんですが、一説には「三つ」反省する意味だとも…。そうだとすれば、一日に三つ反省しなきゃいけないわけで。

何を反省すべきなのか。ちゃんちゃんとの「論語」(書いてあるんですな)。困ったときの「論語」。論語はまさしくこの時期に読むべき書物。「花より論語」って…。

論語の「学而編」。曾子がいうには、(1)人の為に謀って忠ならざるか。(2)朋友と交わって信ならざるか。(3)習わざるを伝うるか。

ワタシ的には(3)ですね。忠義に反することはしょっちゅう…。友人に誠をみせないってこともしょっちゅう(どうせオイラは裏切りモノよ)…ってなわけで。あんまりしょっちゅうだと反省する時間がありませんね。

習わなかったことは教えませんね。序にいうと講義の最中に思い出したことなども。これは米倉先生の教え(この先生は手厳しい。役にたたない論文などは知的クズだと…。それでも「知的」と言ってもらえるだけありがたや)。講義中に思いついたことはしゃべるなって。

「理路整然とうそを言い」。または「理路整然とうそを書き」。受験界に今も生き残っている「名言」(?)。かつてよく聞きましたよ。「なんてごまかそうと思った」…とか。某予備校の講師控え室での会話。

騙したワタシが悪いのか…騙されたあなたが悪いのかって…。言うんですよ。平然と。

…そんなことよりも「反省」。例の土浦のいたましい事件。警察当局は「ベストの捜査」だったと…言ったとか。反省材料がないかのようです。

反省がなければ第二、第三の。同じような事件を防止しきれないでしょうね。今回の捜査は失敗だった…というところから出発すべきでしょうね。

受験勉強だってそうです。反省のないところには成果はあがらない。


「三日」…と続かない

2008-03-24 03:11:45 | Weblog


世に「三日坊主」なんて言葉がありますね。でも、三日も続けばいいんじゃないでしょうかね。閉塞感漂うこんな世の中ですから…。

この「三日坊主」。今や男女同権だとかいう世の中。実質的平等なんていうなら「三日人」とでも言うべきでしょうか。「オンブズマン」は男性を言うから「オンブズパーソン」なる言い方をする人たちがいる世の中ですから。ここ濁るんですからね。「ブズ」って。念のため。

それでもオンブズパーソンならいいんですが。「三日人」なんて言うと「三ケ日原人」と間違えられそうですね。

今も昔も。三日も続けばいいって…。そんな風潮もあったようです。かつての「通い婚」。夫になるべき人が妻にすべき女性の家に通っていく。

三日目の夜は。「三日の夜」(「みかのよ」と読みます)なんて言っていますからね。古き良き時代では。結婚後、三日目の夜には、女性の家ではモチをつくのがルール。

これが「三日夜のモチ」。新婚夫婦に食べさせて、結婚成立の証としたわけです。だから、三日も続けば…。

その三日に賭ける。

なんのことはない、書斎の整理をしたんです。一部だけですが。足の踏み場ぐらいしかないし…。チッチとミミが積み上げた本の上に乗っては崩すっていう日常でしたから。

試験に合格された方や実務に入っている方からの受贈の希望もあるから少しは整理しようかと。書斎なんて散逸するにまかせておくほうが意外に機能的なんです。下手に整理しちゃうと…。探しモノが見つからないってことにも。

もっとも…知識は整理しないと使えませんね。使えない知識などもっていたって…。知識は少しずつ整理するのがいいです。後になって一気に整理しようとすると時間不足になりますからね。

…というわけではじめた整理も頓挫。三日も続かない…。

転んだら…起きりゃいい

2008-03-23 04:33:56 | Weblog


スケートの浅田真央選手。転倒しても逆転優勝するとは。あっぱれ~!
土曜日は朝から、あちこちのテレビで放映していましたね。おかげで何度も観ちゃいましたが。

七転び八起きって言葉がありますが、大切なことは転んだ後のことなんですね。いかに立ち直ったか…ですね。転びっぱなしじゃ困るわけなんです。

転んだら…後は起き上がるだけなんです。(七回転ぶことに意味があるんじゃないんだってば!「七」って「何度も」という意味)

試験だってそうです。落ちたら…後は合格するだけなんですから。目標は明確ですね。目標が明確ならやるっきゃないんです。それでもヤル気がおきないっていうならやめたほうがいいでしょうね。

天気がいいのに。閉じこもって条文なんて読んでいるより…。遊びまわったほうがいいに決まっています。楽しいしね。

中途半端が一番悪いんです。勉強も中途半端。遊びも中途半端。これだとなーんにも得るものがないですね。虚しいだけでしょう。

まっ、かくいう私は勉強は徹底的にやりまくって…遊びも徹底して…。だけど、だけど…人生が中途半端-ing。アハハ。

いちばんダメですかね。でも、いいんです。「うっ、今、虚しいな」って感じるときなんてサイコーですよ。(後50年なんてたぶん生きられませんからね)

失敗のないところに成功はないんです。転ばないところに立ち上がりはないんです。転んだら起きる。

浅田選手の立ち直りはすばらしかったです。日々の練習があのような立ち直りの早さを生んだのだと思います。やっぱり、あっぱれ~。

安藤選手がいい。アカ抜けないようなあの表情も…。ワタシ的にはファンなんですがね。

カッコをつけてみようか

2008-03-22 03:20:12 | Weblog


21日金曜日の朝日新聞の「天声人語」。

「年齢を括弧に入れる」という河合隼雄氏の言葉を紹介してありました。それによれば、「年齢を忘れる」という意味ではなくて、「年齢は自覚しつつ、それはそれとして何かに挑む」っていう意味らしい。

青春とは、人生の一時期のことを言うのではない。夢を抱いてその実現に向かって邁進している時期のことだと…。学生時代に何かの本で読んだ記憶があります。

夢も希望もなくなってしまった時が「青春時代」の終わりなんだと…。含蓄のある言葉ですね。河合氏の言葉と通じるものがあるようです。

受験生のみなさん。合格への夢をもっていますか。ただ惰性で勉強するのはつまらないですからね。合格への夢があるのなら、後は簡単です。その実現に向けて努力をすればいい。

年齢をカッコに入れてみるのもいいですね。がむしゃらさが・ひたむきさが足りないって人は。


  ♪悲しくほほえむ君の うなじに乱れた髪の やさしさに甘えてボクは 苦い夢をみていた あれが青春時代の匂い 傷つく心の姿♪


カッコ。いい文章を書く一つのコツとして、「カッコをつけるな」ってよく言われます。カッコのある文章は読みにくいんですね。とかく文章に恰好をつけたがって…カッコをつける人がいるんです。(私もその一人)。

40字程度の記述式の解答には、さすがにお目にかかりませんが、800字の論述試験があったときには少なくなかったですね。カッコ書きの答案が。

文章にはカッコなんぞつけなくたってわかるもんなんです。それどころかわからせなきゃいけないんですよね。

…ところが「条文」にはやたらにカッコ書きのものが多いですね。しかも法文のカッコはみんな「()」ですから。いくつつけても。

たとえば「行政機関情報公開法5条1号ハ」をご覧ください。もう読むのさえイヤになってしまうほど…。

そこで私の「合格のためのGo Roppoh」(若干の在庫があります)。まず「かっこは飛ばして読む」んです。