ふらっと風流記

自分の考えを深堀りしてみたり、意味のない事をあえて残してみたり。
自分の人生を生き続ける為の道しるべを綴ったり。

ただその事のみに集中する

2022-09-06 21:54:00 | 日記
これが本当に難しい。。
自分は仕事でも運動でもマルチタスクになってしまう。

これをシングルタスクにする事。
今やるべき事に全集中する。
そうやって切りかえていかないといかんな〜

もちろん、仕事がたくさんあったりする時には、最初だけ「優先順位つける」という事をシングルタスクでやる事が必要。

マルチタスクは同時進行で色々処理できるからやりがちなんだけども。
オーバーヒート感が否めない。

1人の方が楽で。それでいて大変だったりするよね。

2022-09-03 18:40:00 | 日記
少し頭良い人は、「1人の方が楽」だと言う。
あるいは依存的な人は「常に誰かといたい」と言う。

1人でいて大変だと思うのは、「自分自身と向き合う」作業だと思う。
こいつが中々に手強いの。
いや。何なら自分にとって1番手強いな。「理想の自分」という軸と、「現実の自分」という軸があって。
理想の自分に取り残される様な感覚になる時はまあまあしんどい。

1番思いどおりになるのが自分。
1番ままならないのも自分。
それで当たり前。

人にどう思われるじゃない。自分が納得できるかどうか。

2022-08-02 19:13:00 | 日記
一見楽な様でめちゃくちゃしんどい。
人にもよるだろうけど、自分の場合は、ほとんどの局面で、「他人よりも自分を納得させる事の方が難しい」

妥協が下手くそ。
ほどほど。良い加減というものがある。
そこのさじ加減を大いに学ぶ必要がある。

肩の力が抜けた人を見ると、まわりの人も落ち着けるものだ。

無駄なものをひとつひとつ省いていく作業。どんな事・どんなものでもそう。
宇宙の真理というやつは、最終的に物凄くシンプルな形になるものだ。

それは、どこか侘び寂びの精神に似ている。
シンプルこそ至高なのだが、そこにたどり着くのがなかなかに遠回りをしないといけない。

と考えると、道中を楽しめる人でいよう!と思う。
結局、好きが最強。
自分の人生。まわりの人たち。
最近は、全てに対する感謝の日々の過ごそうと心がけている。
意識しないと忘れがちなので笑

都心と田舎と。

2022-08-01 18:10:00 | 日記
19歳までは渋谷と三軒茶屋の間に住んでいた。
それが当たり前だと、客観的な視点で持ってその状況を把握はできないし、特別な感情を抱く事もない。

逆に言えば、実家が田舎にあって、上京してきた人たちが羨ましかった。
方言があって、その土地の文化があって。
深くその土地に染みついた、ニオイというか空気感というか。
そんな場所に対する憧れ。
きっと本能的に帰属意識を刺激するのだろう。

都心には、長い年月をかけて熟成・醸成された空気感というものが田舎に比べてだいぶ薄いと思うのだ。

どんどん最先端の流行が街並みを変えていく。
それ自体がひとつのアイデンティティといえば、それはそうなのかも知れないが。。

何か田舎暮らしに比べて故郷に対する愛情・愛着というものを醸成しにくいとは思う。

そんな意識があって、実家を出てしばらくは東京にいたけど、千葉に行ったり埼玉に来たり、旅行で日本各地に行ってみたり。

こうして、他所に出る事でほんの少し客観的に都心を見ることができる様になったとは思っていて。

都心の良いところは、やはり感度が高い人やモノが自然と集まっているところだと思う。

人生の終わりは必ずあって。
今自分たちが生きているタイムスケールの中での最先端が都心にはあるわけで。

それはもう好奇心をガンガン刺激してくれるのだ。

生きているうちの最先端を知りたい。
まだ見ぬ刺激を欲する。
という部分が自分の中に大きな価値としてある。

例えば100年後の未来からしたら、今の文明なんてたかたが知れていると思う。
100年後・200年後の未来を見てみたいし、日本語すらそれなりに変わっていると思う。

都心と田舎。
「新しい事を知りたいという好奇心」
「変わらない事を望む」という人間の本能。
という対比構造。

「未来へと繋ごうとする希望」
「過去からの継承」
という対比構造。

ある種、パラドックスでもあり、それが人の中に共存しているのは面白いなぁ〜と思う。

僕が感じる宗教に対する嫌悪感の理由

2022-07-31 18:18:00 | 日記
何か絶対的なものを信じる行為
↑そもそも僕は、そんなものがあるとは思わない。

一神教は特に嫌だな
↑世界は二元論では語り尽くせないと思っていて。
物事は、良いと悪いの間のグレーゾーンである事がほとんどだと思う。

トータル、地頭で必死に考えるという責任を放棄している感じがするわけ。

ただ、一方で、「地頭で考える」という事に対して価値を見出せない人もいると思っていて。
そういう人にとっては、ある種、盲目的に生きる事は、イコール幸せなんだろうなぁ〜とも思う。