60歳、還暦、定年を迎えてもしつこく会社に通うおっさんのブログ(旧:風に吹かれて)

60歳定年を迎えても我慢して会社に通う(働いているとは言ってない)おっさんの右往左往、沈思黙考する毎日。

2024/2/9 彼女、とか

2024年02月09日 17時52分47秒 | 日記


また仕事中なんだけど、もういいのだ、どうせ3月一杯で定年で、4月からは契約社員だから少々、いや多少、いやいくらでも就業中に私用ブログを書いてることがばれたっていいのだ。

それよりも、帰宅して飯食って風呂入ってからブログ書こうとしても疲れてしまって書く元気ないのと、時間がなかなか取れずに書き始めるのが深夜2時以降になってしまったりそもそもそんな時間にブログ書いているのならとっとと寝ろという話しなので、自分のカラダを守るためには仕方ないのだ。それならブログなんか書くな、って話しだが。
日記もなかなか書けなくて週に一回まとめて書くような体たらくで、要は日々の生活に追われているような状態。本当はこんなときにこそ、自分の考えをまとめ、自分がいまなにをしたいのかしているのか、自分の立ち位置はどこなのか、を考え、まとめて、行動に反映させるべきなので、(この間昼食休憩と仕事で2時間中断)、
とは思ったが、しかし私の場合、書くばっかりで行動に移さないのがだめなんだよな・・・・・

このところ、ずっと思い出しているのは昔々交際していたカノジョのこと。
もうすぐあと1カ月と1週間で還暦60歳だというのに、何十年も前におつきあいしてくれた彼女の事を毎日思い出している。

カノジョの誕生日は2月11日。そして今日は2月9日。カノジョの二人目の旦那の誕生日だそうだ。

カノジョは私とつきあっていたころから結婚願望を頻繁に口にしていて、私さえうんと言えばすぐにでも結婚してくれそうだった。一方の私も、若かったこともあるが、「結婚しよう」とか「結婚したいね」くらいのことは言っていた気がする。
しかし、そこまで性格的に相性がよかったわけではなかったのも事実で、カノジョにしてみれば、「早く結婚したいがこの人とではない」という感じだったのだろう。

あまり簡単ではなく長々と引きずるような別れ方のあと、カノジョは結婚して離婚し、また結婚して、幸せに暮らし・・・・と思っていたのだが、実はそうではなかったようだ。

それには、私とつきあう前から抱えていたのだと思うが、つきあっている間に明らかになった精神病(という言い方も最近はしないが)によるものだろう。
カノジョの部屋に言ったときだかに、「これから病院に行くので一緒に行ってほしい」と言われた。
行った先は、共産党御用達として名高い代々木病院の精神科。
この日が初心ではなかったようで、私も診察室に入る。
問診のあと、色々と聞かれ、生活上のアドバイスを受け、クスリを処方されて帰る。
精神科に行くのも、そういう患者に付き添うのも、寄り添って助けるような立場になるのも初めてだし、戸惑った。
別れることになったのは、カノジョの病を知ってから3,4カ月あとだっただろうか。

一旦、双方の親の考えで別れることになったものの、私は呼ばれて会いに行ったりしていたような記憶がある。向こうも、別れていることになっているとは知りつつ、寂しいのか、ちょっとオカシイところがあったからか会いに来たりしていて、それがばれては父親に怒られたりしていた。

しかし、普段は何も口出ししないのに、こういうときだけ偉そうに「会うな」とか「別れろ」とか言ったって息子は聞くはずないのである。だってあんた我等の交際について何も知らないし、そもそもつきあっていることさえ知らないだろう。
母親にカノジョを会わせたことがあって、私としては「お母さん、僕にもカノジョができました」くらいのつもりだったのだが、母はやはり気に入らなかったらしくいい顔をしなかった。初めて会ったのに挨拶もできない女の子じゃあねぇ。そりゃいい顔もしないなぁ。

いま思えば、最近巷間よく言われる「地雷女」だったのである。
知り合って数日後に、友人の強い勧めでデートすることになり、喫茶店で話して多分最初の話題が「ワタシ、友達いないのよ」だった気がする。
こちらは純朴なコドモで、女の子と二人っきりでお茶を飲むのにも不慣れだったのに、そんな話題を話されてもいなすような能力はない。まぁ「ふーん、じゃあ僕が友達になってあげるよ」くらいに思ったのだと思う。

その後、ふとしたはずみや周囲の押しでつきあうようなことになったのだが、いま思えばこの子のせいでずいぶんと自分の人生を棒に振ったと思うことがある。うん、そうだな、つきあわなければもっと良い大学に行って、性格よくて明るくて元気で仲のよい女の子と出会って結婚して子供も二人くらいいて春日部あたりの一軒家をローン組んで買っていたかもしれない、と思ったりする。

閑話休題。

「いま頃そんなこと言ったってしょうがないじゃん(横浜弁)。」と言われそうだが、少なくともカノジョと3年もつきあって最後には双方の親が出てきて「娘と別れろ、ついては慰謝料払え」と言われるような修羅場(といってもワタシ本人はその場にはいない)を迎えることがなければ、この歳になっても当時のことを事細かに思い出して、毎日始終反芻するように思い出すことはなかっただろうと思う。

そんなことがあったのに、未だにカノジョのことはよく覚えているし、始終思い出す。

年齢的にもずいぶんと早い結婚だった。
いくら「早く結婚したい」と言っていたとしても本当にそんなに早く結婚するとは思わなかったのでびっくりした。でも、両親とはあまり仲がよくなかったようで、父親は職を転々としていて、母親は、私も一度だけ会ったことがあるが、なんか小さな人で、年齢よりも老けて見え、私とカノジョとの交際の話しをしていたときには「娘との交際について一筆書け」と言ってきていて、当時の私はなにを言っているのかわからなかった。今もよくわかっていない。
「誠実にお付き合いしていますから信じてください」というようなことを言った気がする。

そんなに早く結婚したことと、結婚相手がいたことに当時の私は少々驚いた。
いつどこで知り合ったんだろう。
これ、どうも、私と別れたあとにカノジョは宅建の学校に行ったらしく(確証はない)、そこで知り合った人らしい。どういう流れで付き合うことになったのかはわからないが、カノジョの方から「早く結婚したい」と言って結婚することになったと聞く。

まぁ、その早い結婚の話しは、いい。順を追って書いていると全て書くことになり、今日一日の、仕事の合間にさぼって書くのだけでは終わりそうにない(笑)。
いずれ、思い出した順に順不同で書くことになるだろう。

今日のところは、その彼女の誕生日が2月11日なんだけど、二人目の旦那は2月9日で、だからどうした、という話しにを留めておこう。

だからといってその二人目の旦那に会いに行けるわけではなく、二人のそれぞれの誕生日をお祝いできたりするわけではないのだ。

このところ、ずーっと還暦、定年、仕事を辞める、いつまで続けるか、仕事をやめたあとはどうするか、収入は、生活は、・・・なんてことばかり考えざるを得なくなっていて、昔の何も考えずに二人でいられた頃の事を思い出してしまうんだなぁ。

さて、もうすぐ18時なので、今日のところはこの辺で。

会社のパソコンよりも自宅のパソコンの方が高級で、画面もデカく、キーボードも大きくてずっと良いもののはずなのだが、平日昼間に何時間も触り、机に載せて正対して入力できるので、いつのまにか会社パソコンにすっかりなじんでしまっている。
このhpのパソコン、しょっちゅう修理担当者がやってくるし、やはりアメリカのものは今一つだなぁと思っているのだが、慣れというのはおそろしい。

まだまだ書きたいことはあるが、家に帰ると疲れてしまって何もできなくなるので、今日のところはこれくらいで。

帰りに三菱UFJ銀行三菱UFJ銀行に寄って、クレジットカードの申込書をもらって帰ろう。
定年になってクレジットカードが作れなくなる前の今のうちに作っておくのだ。
もうすでに使っていないカードが何枚もあるけど。









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