日本最古の学校である足利学校に隣接する鑁阿寺(ばんなじ)は、もともと足利氏が住んでいた館跡。本堂は国宝になったということです(^^)/
参道の大門通りには、こんな建物も。
残念ながら、本日は貸し切りとのことで見学できませんでした(>_
参道の両側には古い建物が一杯!
ウ~ンいいね!\(^-^)/
足利尊氏公にも、お会いしました(^_^ゞ
歴史の重みを感じさせる楼門(ろうもん)(^_^ゞ
湾曲が美しい太鼓橋とお堀。
「カルガモのとびだし注意!」の看板に、お堀を覗いてみると(^_^)いました!
カルガモと錦鯉のコラボ?
もともと足利氏の館跡なので、四方に堀をめぐらし、お寺というより城。実はお城として「日本百名城」の一つに数えられているそうです(^_^ゞ
多宝塔。もともとの真言宗に、武士の流行だった禅宗を取り入れているので、なんだかフシギ感のある寺院てす。
武家風の西門と、朱色が美しい御霊屋(みたまや)
大酉堂(おおとりどう)は、もともと足利尊氏公の木像が安置されていたところ。明治時代、尊氏は後醍醐天皇を滅ぼした逆賊と言われたため、危険を感じた住職が本堂に移したそうです(^_^ゞ
校倉(あぜくら)は、大切な物を仕舞ってあったところ。
ナニコレ!(((^_^;)
よく見ると、ギッシリと並んでいるのは、ただの石ではなく庚申塔(こうじんとう)らしい。これは街道歩きをしていると、村の入り口などでよく見かける。江戸の昔に流行ったもので、魔除けと道しるべを兼ねたようなもの。それにしても、近くにで見ると、石ではなく折り重なった人のようで、チョッとブキミ!(^_^;)
蛭子堂(ひるこどう)は、源頼朝の妻である北条政子の妹を祀ったところ。彼女は自害したとされ、同じ時期に自刃した若い侍と、悲しいロマンスがあったようです(^_^ゞ
いまは、なぜか安産の神様として人気らしい。奉納してある物を見ればわかる(^-^)
本坊は、ご住職の住まいかな!チョッとだけ、覗かせて貰います(^_^ゞ
国宝となった本堂。
鐘楼(しょうろう)で、見学は終了。和の建築を堪能させていただきましたm(__)m
参道の大門通りには、こんな建物も。
残念ながら、本日は貸し切りとのことで見学できませんでした(>_
参道の両側には古い建物が一杯!
ウ~ンいいね!\(^-^)/
足利尊氏公にも、お会いしました(^_^ゞ
歴史の重みを感じさせる楼門(ろうもん)(^_^ゞ
湾曲が美しい太鼓橋とお堀。
「カルガモのとびだし注意!」の看板に、お堀を覗いてみると(^_^)いました!
カルガモと錦鯉のコラボ?
もともと足利氏の館跡なので、四方に堀をめぐらし、お寺というより城。実はお城として「日本百名城」の一つに数えられているそうです(^_^ゞ
多宝塔。もともとの真言宗に、武士の流行だった禅宗を取り入れているので、なんだかフシギ感のある寺院てす。
武家風の西門と、朱色が美しい御霊屋(みたまや)
大酉堂(おおとりどう)は、もともと足利尊氏公の木像が安置されていたところ。明治時代、尊氏は後醍醐天皇を滅ぼした逆賊と言われたため、危険を感じた住職が本堂に移したそうです(^_^ゞ
校倉(あぜくら)は、大切な物を仕舞ってあったところ。
ナニコレ!(((^_^;)
よく見ると、ギッシリと並んでいるのは、ただの石ではなく庚申塔(こうじんとう)らしい。これは街道歩きをしていると、村の入り口などでよく見かける。江戸の昔に流行ったもので、魔除けと道しるべを兼ねたようなもの。それにしても、近くにで見ると、石ではなく折り重なった人のようで、チョッとブキミ!(^_^;)
蛭子堂(ひるこどう)は、源頼朝の妻である北条政子の妹を祀ったところ。彼女は自害したとされ、同じ時期に自刃した若い侍と、悲しいロマンスがあったようです(^_^ゞ
いまは、なぜか安産の神様として人気らしい。奉納してある物を見ればわかる(^-^)
本坊は、ご住職の住まいかな!チョッとだけ、覗かせて貰います(^_^ゞ
国宝となった本堂。
鐘楼(しょうろう)で、見学は終了。和の建築を堪能させていただきましたm(__)m