ニュ~ヨ~ク&ペル~日記を書けず・・もう随分時間が経過してしまいました
おっちゃん出張に行ったことですし、私も元気モリモリになったことだし、半年以上振りに旅行記を更新したいと思います

前回のつづきです
激激激寒の中、自由の女神を観光し、その後は来たフェリーにまた乗船して、Ellis Island Immigration Museumに行きました。
NY旅行記ナンバ~6でもすこし書きましたけど
記事はこちらに
フェリーに乗ってるとき、自由の女神の中に入る前のセキュリティーチェックで出会った、例の怖そうなお兄さんが仕事終わりで乗っていたのですが、
今度は笑顔で喋ってくれました
いやぁ~、良い人だった
(←おっちゃんのスペイン語のおかげです
)
このエリス島は「移民の島」として知られてます。
現在のアメリカ人の3分の1の祖先はこのエリス島から入国したんだって
このエリス島の移民局が設けられたのは1892年。
閉局される1954年までの間の約60年間に1200万人の移民がここから上陸して、今のアメリカを築いてきたってわけなのです。
タイタニックの映画でも出てきたエリス島。


そして、うちのオッチャンのおじぃちゃん・おばぁちゃんもペルーではなくアメリカに当初は上陸予定だったそうです。
そうなっていたら、また違った運命をたどったことでしょう。
もしアメリカに上陸していたら、戦争の時は間違いなくアメリカ政府に強制収容されていたと、オッチャンのおじぃちゃん・おばぁちゃんは言っていたそう。
当時は飛行機もない時代で、船で何ヶ月もかけて太平洋を渡り、多くの日本人もシアトルやエリス島に上陸して、自由の国・アメリカを夢みたそうです。
オッチャンのおじぃちゃんのお兄さんはアメリカ、ブラジル、ペルーではなく、ハワイに行ったそうで、ずっとハワイで暮らしていたとか。
ハワイも日系人多いですもんね。
NYに行く前、オッチャンの祖父母の事を私は聞いていたので、このエリス島に行くのを楽しみにしていました
オッチャンNYは何回も行ってますが、オッチャン自身もエリス島に上陸するのは初めて
博物館には、当時アメリカに入国した人の姿の記録や写真があって、感慨無量でした。
荷物はこんな感じで積まれていたそうです。

当時のアメリカ・エリス島行きのチケット。
みんなこのチケットを持って自由の国へ行くことを夢みたそう。

エリス島の移民局に着いたら、身体検査が必ずあったみたで、船が着いたらいつも大混雑してたんだって。

子供達もたくさん上陸。
当時の子供の靴もそのまま残ってあり、展示されてました。

こんなに船に人が・・・・。
数ヶ月かけて渡航するのだから、体力がないと無理だよね・・・。
自由の国に上陸する前に、船が沈んで亡くなったり、船の上で病気で亡くなった人もいっぱいいたそう。
そして、入国審査で健康状態に問題があると、アメリカに上陸できなかったそうで、一緒に来た家族と離れ離れになるということもいっぱいあったそうです。
なので、エリス島は「涙の島」とも呼ばれていたそう
。。。
自由の国に行くために命がけで行ったんだね・・・。

自由の国アメリカ。

反対から見ると、移民した人達の写真やその子孫が。
これにも胸打たれました。

入国するのに、ここにたくさんの人が列を作っていたそうです。

オッチャンももしかしたらアメリカ日系人になっていたかもね。

日本からもアメリカを夢見て。。。



こんな小さな子供が単独でアメリカに来るなんて・・・・
ほんとに信じられない気持ちでいっぱいでした
島国とは違う大きな大きな大陸は彼らにどんな風に映ったんだろう。。。
色々じっくり見ていたせいか、かなり時間がかかってしまい、最終のフェリーで帰りました
自由の女神も素敵だけれど、やはり歴史を知るためにもこのエリス島は是非訪れて欲しい場所です

日本人観光客は自由の女神を見て、観光は終わりって人が多いらしけど、ほんとにエリス島に立ち寄って欲しい!
夜のニューヨークの街はほんとにキレイだった


でもデッキに出て写真撮ったときは、死ぬかってくらい寒かったけど・・・・


フェリーに乗りながら、アリシアの歌を唄いながら、マンハッタンへ戻りました~

つづく

おっちゃん出張に行ったことですし、私も元気モリモリになったことだし、半年以上振りに旅行記を更新したいと思います


前回のつづきです
激激激寒の中、自由の女神を観光し、その後は来たフェリーにまた乗船して、Ellis Island Immigration Museumに行きました。
NY旅行記ナンバ~6でもすこし書きましたけど

記事はこちらに
フェリーに乗ってるとき、自由の女神の中に入る前のセキュリティーチェックで出会った、例の怖そうなお兄さんが仕事終わりで乗っていたのですが、
今度は笑顔で喋ってくれました

いやぁ~、良い人だった


このエリス島は「移民の島」として知られてます。
現在のアメリカ人の3分の1の祖先はこのエリス島から入国したんだって

このエリス島の移民局が設けられたのは1892年。
閉局される1954年までの間の約60年間に1200万人の移民がここから上陸して、今のアメリカを築いてきたってわけなのです。
タイタニックの映画でも出てきたエリス島。


そして、うちのオッチャンのおじぃちゃん・おばぁちゃんもペルーではなくアメリカに当初は上陸予定だったそうです。
そうなっていたら、また違った運命をたどったことでしょう。
もしアメリカに上陸していたら、戦争の時は間違いなくアメリカ政府に強制収容されていたと、オッチャンのおじぃちゃん・おばぁちゃんは言っていたそう。
当時は飛行機もない時代で、船で何ヶ月もかけて太平洋を渡り、多くの日本人もシアトルやエリス島に上陸して、自由の国・アメリカを夢みたそうです。
オッチャンのおじぃちゃんのお兄さんはアメリカ、ブラジル、ペルーではなく、ハワイに行ったそうで、ずっとハワイで暮らしていたとか。
ハワイも日系人多いですもんね。
NYに行く前、オッチャンの祖父母の事を私は聞いていたので、このエリス島に行くのを楽しみにしていました

オッチャンNYは何回も行ってますが、オッチャン自身もエリス島に上陸するのは初めて

博物館には、当時アメリカに入国した人の姿の記録や写真があって、感慨無量でした。
荷物はこんな感じで積まれていたそうです。

当時のアメリカ・エリス島行きのチケット。
みんなこのチケットを持って自由の国へ行くことを夢みたそう。

エリス島の移民局に着いたら、身体検査が必ずあったみたで、船が着いたらいつも大混雑してたんだって。

子供達もたくさん上陸。
当時の子供の靴もそのまま残ってあり、展示されてました。

こんなに船に人が・・・・。
数ヶ月かけて渡航するのだから、体力がないと無理だよね・・・。
自由の国に上陸する前に、船が沈んで亡くなったり、船の上で病気で亡くなった人もいっぱいいたそう。
そして、入国審査で健康状態に問題があると、アメリカに上陸できなかったそうで、一緒に来た家族と離れ離れになるということもいっぱいあったそうです。
なので、エリス島は「涙の島」とも呼ばれていたそう

自由の国に行くために命がけで行ったんだね・・・。

自由の国アメリカ。

反対から見ると、移民した人達の写真やその子孫が。
これにも胸打たれました。

入国するのに、ここにたくさんの人が列を作っていたそうです。

オッチャンももしかしたらアメリカ日系人になっていたかもね。

日本からもアメリカを夢見て。。。




こんな小さな子供が単独でアメリカに来るなんて・・・・
ほんとに信じられない気持ちでいっぱいでした
島国とは違う大きな大きな大陸は彼らにどんな風に映ったんだろう。。。
色々じっくり見ていたせいか、かなり時間がかかってしまい、最終のフェリーで帰りました

自由の女神も素敵だけれど、やはり歴史を知るためにもこのエリス島は是非訪れて欲しい場所です


日本人観光客は自由の女神を見て、観光は終わりって人が多いらしけど、ほんとにエリス島に立ち寄って欲しい!
夜のニューヨークの街はほんとにキレイだった



でもデッキに出て写真撮ったときは、死ぬかってくらい寒かったけど・・・・



フェリーに乗りながら、アリシアの歌を唄いながら、マンハッタンへ戻りました~


つづく
