~つれづれに~

♪ 歩くの大好き~山歩きで見た花 庭に咲く花のこと
 布・糸・針も大好き。 手作りのことなど・・・・・ 

四国遍路―阿波の国 4

2024-04-10 | 日記

4/3(水) 路線バス  13番大栗山花蔵院大日寺 ・・14番盛寿山延命院 常楽寺・・15番 薬王山金色院国分寺

・・16番光耀山千手院 観音寺・・17番瑠璃山真福院井戸寺

今日のコースは平地を約35kmと長いので早くスタートするつもりで朝食時間を早くしてもらいましたが、

どしゃ降りおまけに雷注意報が出ています。有名な枝垂れ桜の並木道を歩きたかったけれど

ご主人の勧めもあり、宿のまえのバス停から13番までバスを利用することにしました

車道歩き4時間の所を、バスだと30分なのでスタートを1時間遅らせたら小雨になりました。

次のバス停から初日に同宿だったお坊さんも乗ってこられた。桜並木は、車窓からたっぷり楽しめました。

13番大日寺に着いた時には雨は殆どあがっていました

13番大栗山花蔵院 大日寺

大日寺藥医門

本堂

大師堂

しあわせ観音

14番に向かっていると小雨がふってきましたが、ポンチョと菅傘で傘をささなくていいので歩くのが楽です

14番盛寿山延命院 常楽寺

流水岩の庭園は 、山を切り崩して埋め立て、岩盤の奥に堂宇を建てたためにできたと
いわれている。ゴツゴツした地面は歩きにくいが、川の流れのようで美しい

15番 薬王山金色院 国分寺

本堂(重層入母屋造り

七重の塔心礎と鐘楼堂

16番光耀山千手院  観音寺

鐘楼門 :鐘楼は戦時中に供出されている

本堂

17番瑠璃山真福院 井戸寺 

大門

本堂

小雨が降ったり止んだりしていたけれどほぼ上がりました。

6ケ寺の納経を終え、徳島市内の宿まで歩きます

とちゅう、阿波踊り会場や眉山の前を通り寄ってみたかったけれど また、雨が降りそうだったので

宿へ急いだところ、チェックイン時間まで時間があったのでホテルに荷物を置いて、コンビニで買い物したあと、珈琲店へ

久しぶりの本格珈琲が美味しかった。

心配した天気は 雷もなく時折小雨がぱらつく程度でたすかりました。

コメント

四国遍路―阿波の国 3

2024-04-10 | 日記

4/2(火)12番 摩廬山正寿院 焼山寺

歩き遍路の昔から、「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」といわれ、遍路道の中でも特に難所であった焼山寺。

「へんろ転がし」とは遍路をころげ落とすような険しい道の意味と

行こうか 戻ろうか 遍路さんの気持ちがコロコロ変わるところからきているらしいとも夕食時にききました
二つの山を越え「へんろ転がし」が6回出てくる山道を上ってやっと辿り着く、

標高938mの焼山寺山の8合目付近に位置するお寺です

スタートして5分、お地蔵様に手を合わせて 白衣を着ていないのに気付き引き返す(;´Д`)

気を取り直し藤井寺を目指す

11番藤井寺は昨日納経を終わっていたので、前を通り過ぎて本堂脇の登山口から(標高37m)

今も残っている 空海の歩いた道

最後まで残った空海の道

水大師

随所にある休憩ポイントで休みながら、予定通りで端山休憩所を過ぎ長戸庵で休憩

標高454m

足に優しいきれいな道もあります

中間地点となる「柳水庵」に着きました (標高508m)

水場とトイレがあるのがありがたいです

 中に入って足腰伸ばして寝転がれるきれいな遍路小屋です

海外からのお遍路さんが多い。家族で満開の枝垂れ桜を楽しんでいます。

「是より焼山寺迄 壱里」

じぐざぐに刻まれた山道から石造りの階段の途中で一息。

ふと、階段の先を見上げると大木を背にした空海の立像が建っていました

 

天然記念物(左右内の一本杉)推定樹齢約1000年

遍路道最高地点標高746mの峠にあります

大きな樹木に囲まれた峠、苔に包まれた石仏や御堂がならんでいて、霊場感漂っています

ここから集落までくねくねと曲がりながらの厳しい下り

左右内の集落(標高450m)

最後の急登を登る。一丁毎の道しるべ、

へんろころがし6/6を終え、緩やかな上りになると徐々に道が開けお花も出てきます

杉林とクロモジ

ミツマタ

駐車場から本堂まで、ゆる~い坂道。その途中には十三仏像がならんでいます

やっと、山門に到着

本堂

本堂の隣のお堂に三面大黒天が祀ってあり、弘法大師作と伝わる本尊は秘仏なので前立てを拝顔しました

正面に大黒天、左右に小さく毘沙門天、弁財天が合体した仏様でした

大師堂

平均時間で歩けて予定より少し早くついたので 

6日目予定の鶴林寺~太龍寺が少し自信になりました(*‘∀‘))

四国遍路の元祖といわれる「衛門三郎」ゆかりの「杖杉庵」

「衛門三郎は強欲な富豪で、托鉢の僧(空海)を箒で追い払った。

その翌日から三郎の子が次々と亡くなり、悔やんだ三郎は 追い払った僧が空海と知り

弘法大師に直接懺悔するため財産を処分して妻とも離縁し、四国巡礼の旅に出ました。

なかなか会えあなかったところ21周目逆打ちで巡り、この地で力尽きたところに大師が現れ

非礼を詫び息を引き取った。

大師は衛門三郎をこの地に葬り、墓標として衛門三郎の杉の杖を立てた。」

 

枝垂れ桜の並木道

無事に宿に着くと「早かったね」「お風呂へどうぞ」とご主人が迎えてくれました。

コメント