プラユキさんの、ある日のツイート。
小出遥子さんのツイートを引用して、「~がんばらなくていいところでがんばりすぎ。」というもの
<以下、Twitterより引用>
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いい発見! 色んな人の悩み聞いていて、いつも思うのがまさにコレ。過去のトラウマ探索。悲劇的未来のストーリー製作。「私を傷つけた」犯人探し。今やらないことの言い訳作り、などなど。がんばらなくていいところでがんばりすぎ。こうしたがんばりやめれば、膨大な余剰時間とエネルギーが手に入る。
プラユキ・ナラテボー(公式)さんが追加
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このツイートにつづけて、
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ということで、今現在進行中で「黒歴史」を紡いでいる皆さん、安心してください。そこから脱した後に、「ああだったから、ああなっちゃってたんだなぁ。ああしないと、ああならないんだなー」と、その縁起を観て、同じ苦境にある人に心から共感でき、希望を与えてあげられる人になれるでしょうから。
がんばらなくていいところでがんばったあげくの「黒歴史」、、、ざぼんにもありまーす。
ざぼんの場合、プラユキさんのツイートの中の特に「過去のトラウマ探索」に関連して、瞑想実践をきっかけに「黒」くなった過去が。
ご参考までに、その体験をすこーしご紹介
10年ほど前。
とあるところで呼吸瞑想するようになると、「私にも過去のトラウマがあるはずじゃ~~!」という思考にとらわれ、過去のトラウマ探索をがんばる。
「この記憶にはもっと違う意味があったんではないか??」と過去の記憶をがんばって掘り起こしつつ、思考の力で(苦しい物語になるよう)再構成するのをがんばる。
ほっときゃ痛くもない腹を「痛くするべし!」とぐりぐりぐりぐり探り続けるのをがんばって、吐きそうな日々を送る
その後。
とあるところでラベリング瞑想に取り組むようになると、<雑念><妄想>etcの言葉イメージに負けながらもがんばって、「私って、真っ黒けっけ~」なイメージを膨らませ続けることをがんばる。
もっと微細にもっと微細にラベリングせねば、、、で、ぎゅうぅぅぅぅぅとなることにがんばって、息苦しい日々を過ごす
数年前。
プラユキ瞑想に取り組み、パッ、パッ、とトラウマ(というオリジナルストーリー)やら、真っ黒けっけの私に「気づく」ようになると、あれやこれやが、パッ、パッ、と消えちゃった
なんじゃこりゃ(脱力~)、というかんじ。
<図>黒い私がパッ、パッ、と気づいて自由になるプロセス
瞑想方法や指導者との相性、自分のその時の状況、その他の条件もろもろによって、人それぞれにプロセスやとらえ方、結果などが違うというのは、プラユキさん他たくさんの方がご指摘されているとおりとおもいます。
ざぼんの場合はこんな感じなのねー、というご参考資料までにて。
もし、瞑想していて苦しくなっちゃってるかもーとかいう人がいたら、こんなこともあるんだなぁ、くらいにご笑覧いただければ幸いです